僕の作法はこの通り

 綺麗な折り鶴の折り方を探す人が絶えませんね。
 綺麗な折り方を探し求める人が、何に困り、どうつまずき、どこにこだわっているのか聞いてみたいものである。しかし今のところ、このサイトにはそんな手段はない。ないったらないのだ。

 本当のところはよくわからないし、もしかしたら、10人いたら10通りの問題点なり疑問点なり悩みや知りたいことが出てくるのかもしれない。ほんで、それに対してこのサイトの記事がどのくらい役立っているのか、まったくわからない。
 しかしそれはそれとして、ここで改めて、僕の鶴の折り方の詳細を掲載しておこうと思う。何かの足しに、ヒントのひとつくらいにはなるんじゃないかと。現状で僕にできることは、そのくらいのものだろう。
 単に折り鶴の折り方なら、他にサイトがゴマンとあるし、そっちを見てもらった方がいい。そこに改めて僕が自分で掲載するのも面倒だ。面倒だとか、どんだけ面倒臭がりなんだと思わなくもないけど。

 過去に「折り鶴の作法」という記事をアップしている。今回のは、その詳細バージョンとでもいったところですね。

 さて、鶴に取りかかる前に、折り紙の基本の注意点などを。
 角の先までズレないように折って、辺と辺をぴっちり合わせる。これは、基本中の基本である。シャープに処理する...とでも言おうか。もっとも、わざとそうしない場合もないわけではないけど(今回の折り鶴でも、わざとずらす箇所がある)。
 ただ、市販の折り紙は、実は正確な正方形であるとは限らない。また、紙を折る時に歪みが生じることもある。繊維のクセがあって、それが折り加減に影響するとかね。だから三角に折っても、綺麗に重ならないことは珍しくない。少しだけズレちゃうことがよくある。
 でも折り鶴くらいのものなら、その程度の小さな難点は修正可能である。
 この修正の詳細については、記事の終わりに追加いたします。

 また、ここに掲載するのは、あくまで僕の折り方である。基本的な手順は変わらないのだけど、ごくごく普通の折り鶴とは違う点が3点ある。
 第一に、羽に折り目がない折り方である。羽に折り目がない折り鶴は、多少折り慣れないと少しばかり苦労を伴う。おそらくは。これは同時に、最初の手順が違うということを意味する。
 第二に、首と尾を折る時にちょっとだけ細工をする。
 第三に、羽は根元で折ってしまう。普通は広げるだけなんだけどね。
 一般的な折り図の通りに折らないのは、この3点だ。3点目などは、好みですけどね。
 また、鶴の基本形にする時のやり方が、少しばかり個性的であるかもしれないけど、よくわからない。まぁこのへんも好みで、適当に。



 さて、それでは鶴を折るといたしましょう。今回は青色で。細かい一折りひと折りを、画像で載せていきますね。

 正方形の紙が1枚。
 

 青(表)を上にしたまま、三角に折る。
 

 広げて、裏返す。この時点では、斜めに1本の折り目(山折り)が付いていますね。当然だけど、山折りと谷折りは、裏返すと逆になる。
 

 垂直方向を折る(辺に対して)。長方形に、辺と辺を合わせて半分に。
 

 一旦広げて、もう一方も同様に折る。それを広げると、こうなる。
 垂直方向の谷折り線が十字に2本。斜めに山折り線が1本。計3本の折り目がある。
 

 これを、今付けた3本の折り目だけを使って、スイと折り畳む。
  > 途中経過。

 紙の中央の頂点(3本の折り目が交差している場所)は、裏側(白面側)ではなく、表側(青面側)にへこんだ状態で折り畳む。
 これが逆になると、鶴の基本形ではなく、ふうせんの基本形へのステップとなる。しかしふうせんの基本形にするためには、もう1本折り目が必要だ。ここまで折ってきた通りに折りたたむなら、3本の折り目では折ることができない。

 正しく折り畳んだのが、次の写真だ。
 

 ひとつ、補足的なお断りを。
 ここではわかりやすくするために、折り筋を付けた後で一旦広げて戻した。でも実際には、広げずに、長方形に折った状態から即この形に持っていくことが多い。多いのだけど絶対でもなくて、一旦広げることもある。
 これは気分みたいなものですね、僕の。その都度、気まぐれとでもいうような。時によりけり。
 ただですね、一旦広げるよりも、長方形からダイレクトに変形する方がサッと折れますね。ちょいと開いてたたむだけ。手順もちょっとだけ少なくなる。だから、そう折ることが多い。
 ここではあえて写真や詳しい手順は掲載しないので、その気のある人は謎解きだとでも思ってお試しあれ。

 いずれにせよ、通常はもう少し手順が多くなる。
 最も一般的な方法では、三角に折る→もう半分、三角に折る→開いて潰す→開いて潰す...で、この形にする。もしくは、長方形に折る→左右互い違いに角を折って三角にする→中を開いて潰す...で、この形になる(こちらの写真は割愛)。
  > 最も一般的な手順。

 しかしどちらの方法でも、下図のように平たい面に折り筋ができてしまう。僕のやり方では、ないはずの折り目だ。ここは羽になるのである。羽には折り目がない方が、綺麗だ。
 

 次にこれを、折り鶴の基本形にする。いわゆる花弁折り。
 僕がよくやるのは、折り目をつける前に、とりあえずなんとなく形にしてから折り進めるというやり方だ。これは、あまり一般的ではないかも。
 鶴の背中になる部分(袋の頂点)を平らなまま押さえて、少し開いてやればいい。
 

 この「なんとなく」の形を作っておくと、実際に折る時にやりやすい気がする。気休めかもしれないが。
 この時、二股に分かれた側から折る方が、綺麗にできる。またこの方が、後で説明する修正もしやすい。

 途中経過。
 

 もう一方も、半分ほど折る。
 

 羽の先を折る時は、羽の根元の折り目をしっかり決めることと、紙を少し引くようにしながら折ることがポイントかな。

 片側をすべて折ったところ。
 

 もう一方も折る。
 

 これで、鶴の基本形の片面ができた。

 裏側も同様に。
 折り終わったのが、次の写真だ。これが、鶴の基本形。
 

 次は、首と尾の部分を折ります。ここで、ちょこっと細工する。
 通常は中央の辺に合わせて折る。しかしここをいっぱいまで折ると、次に中割り折りをする時に表裏(左右)の紙が互いにぶつかり合うので、折りにくくなってしまう。
 そこで、少しだけ中央からずらすのだ。ただし、角はキッチリ尖らせるように、折り目を角に集めるように折る。また、ずらすといっても、ずらしすぎてはならない。過ぎたるは及ばざるがごとし。
 

少し拡大してみましょう。
 

もちろん、裏側も反対側も、同様に。
  > 裏側終了。

  > 両カド終了。

 ちなみにこの時、僕は角の先の方をあとで折る。
 

 では、中割り折り。
 折り慣れない人だと、この中割り折りが難しく感じることもあるようで。中を割るように折るので、中割り折りという。たぶん。
  > 片方折ったところ。

 さきほどずらしておいた効果で、このように左右の紙の厚みがケンカすることなく、すんなり折れます。
  > 途中経過。

  > できました。

 がしかし、実はこの時点で、首と尾の先はまだ折りきっていない。
 

 なんでそんなことをするのか。それは、こういうことだ。
 このふたつの角は、左右対称ですね。
 つまりどちらを首にしてもいいわけだけど、より自由で積極的な視点で言い換えると、1羽だからどちらでも好きな方を選べる...ということだ。頭を変更できないタイプの連鶴にでもなるとそうもいかなくなるけど、1羽だからね。
 僕はこの時、より角が綺麗に折れている方を首にする。うまく揃わなかった方は、このまま隠してしまえばいいのだ。
  > 比較。

 ここでは、左の写真の角を首にしたい。こっちの方が、先まで綺麗に折れた。てなわけで、そのように。

 首が決まったので、尾も先まで綺麗に折りきってしまいます。
 

 羽は、根元で折るのが、僕の好み。
 

 出来上がり。
 



 さて、冒頭に挙げた、紙の「ズレ」や「歪み」について追加しておこう。
 この「ズレ」や「歪み」の修正は、角の折り目をずらさない...という単純なものだ。写真で例示しておこう。

 例えば三角に折る時、普通に頂点を合わせて折ると、底辺側の角がズレることがある(今は紙の裏表を、ここの説明とは逆にします)。
  > こんな具合に。

 紙の歪みとか、繊維の方向だとかの影響があるので、これは仕方がないことなのだ。
 しかし大雑把に言えば、このズレは途中で修正しながら折り進めれば、あまり問題にはならない。その程度のものである。
 折り鶴の場合は、簡単な作品だけど、ものすごく簡単なわけでもないし、いい具合にごまかしが効く。シンプルな作品ほどごまかしは効かなくなるし、難解な作品ほどズレが生じやすくて修正が難しくなる場合がある。
 しかし折り鶴なら、この後で挙げるズレも含めて、羽を広げてしまえば目立たなくなるし、なかなか都合がいい。この程度の重なりのズレは、簡単に誤差の範囲内でしかなくなる。

 では、手順の中で、修正するオススメのタイミングはどこか。と言っても好みだと思うので、これは人によって違う。たぶん。
 僕の場合は?
 首と尾の先を折る時も修正できるのだが、後からだと頭と尾の修正は難しくなるので、鶴の基本形に入る前に修正しておいた方がいいかと。このあたりで先に手を入れておくと、うまくいく。と思う。
  > この形。

 ズレてますね。
 

 これをちょいちょいと。
 

 もちろん、最初に三角に折った時点で修正することもできる。結果としてはそれと同じことなんだけど、僕はここで調整するのが好きなので。
 なぜなら、長い辺の端と端の角をしっかり合わせるのって、意外と難易度が高いから。簡単なようで、簡単じゃないんだよね。


 それともうひとつのポイントが、折り鶴の基本形での両の羽の状態だ。
 ここは、紙や折り方によっては左右の羽が同じように重ならないことがある。上の修正を加えた時、ここでズレが大きくなることもある。こんな感じで。
  > ちょっとズレてる。

 しかしここでは、それぞれの羽先の処理を優先する。左右の羽の重なりは、少々ズレていてもかまわない。
 なんでほっとくの? それは、羽の先が綺麗に折れていないと、みっともないからだ。こっちの方が重要なのだ。羽先は絶対に、角をきちんと合わせて折る。そうすることで、厳密には羽が左右対称になっていなくても、綺麗に見えるものである。
 羽を広げれば目立たなくなるし、羽の根元を折る時にも多少の修正ができる。いくらでもごまかしは効く。
 問題解決(?)。

 

 といった具合で、綺麗に見せるためには、荒技も含めていろいろあるのでありました。参考までに。

振り返ってみたならば

 最近、あれこれあって、書きたいことがいろいろできているんだけど、なかなか思うに任せない。と言っても、気に病んでいるわけではないが。それはそれでいいと思っている。のんびり。
 そういえば昔は、今とは違って日記のようなスタイルだったんだよなー。その日その日であったことなどを、3日にあげず書いていたしなぁ。
 随分と様変わりしたものです。

 どちらかといえばネタが少しずつ少しずつ増える一方で、当分切れることもなさそうなのが、今の状況である。それに更新スピードが追い付いてない...とも言えるけど。そのネタのヒントになるもののひとつが、当サイトへの検索に使われたキーワードである。
 今年もいろんなキーワードが使われてましたねぇ。
 でも、大雑把に分けると、4つに大別できる。とりあえず「その他」は無視で。
 折り紙、アンダーウェア、シューズのソールの黄ばみ取り、セクシュアリティ。この4つです。

 その中から、ちょいと折り紙について。
 折り紙は、大半が妹背山、特に2色の色分けバージョンの妹背山の検索が多い。
 あれはやり方は簡単なんだけど、知らない人は「なんで?」って思うものだし、折り間違えることもある(妹背山の詳細は「折り紙」タグから、いくつかある該当記事をご覧ください)。

 そういえば小学5年の頃だったか、妹背山(普通の妹背山)の折り方を教えろとしつこく迫ってきた友達がいた。単に折り鶴を2羽折るだけだから、最初は「紙をこう切って、あとは折り鶴を2羽別々に折るだけ」って教えた。もちろん、頭の位置も含めてね。だけど、なぜかそれができなくて、「次は?」「次はどうするの?」「それで次は?」って最後のひと折りまでしつこすぎて、嫌になったことがある。
 妹背山の折り方を教えて欲しいと言われたことは、これまで何度もある。わりと簡単にできるし、そのわりには見栄えがして、ちょっとすごいかも...とも思われるし、便利で手軽な「使える作品」なんだよね。
 だけど後にも先にも、あんな人はいなかったなぁ。
 しかし今思えば、1羽の折り鶴を折るのも苦手な人もいるし、特にそんな人にとっては、数が2羽に増えて、それが繋がってるなんて、何がどこでどうなってるのかイミフだったんだろうなー...と、ちょっとかわいそうな気もしないではない。その当時は、かなりイライラしたけどね。

 とにもかくにも、細かく見るといろいろと不思議なキーワードもちょこちょこ使われていて、なかなかおもしろい。そのいくつかは、またネタに使わせてもらおうと思っている。

 さて、実生活ではどうだったかな。
 昨年は「高い買い物をしなかった」と書いたんだけど、今年は久々に万を超える服を買ったり、デジカメを買ったりしましたねぇ。
 服は、コートです。もともとパンツを購入するつもりで、時々顔を出しているお店に行った。前にどんなものがあるのか見ていたので、おおよそは決まっていた。早々に選び出した2本で悩んだものの、無事購入。と言っても、裾上げと、ついでにウエストも直してもらったけど。これは、いつものお約束。
 で、仕上がったパンツを引き取りに行った時に、なんだか心惹かれるコートがあったのだ。
 試着してみると、これがジャストサイズな感じであった。あえて言えば、二の腕のあたりはもう少し細くていいけど。しかしそれでも、こうピッタリくる服とは、なかなか対面できない。とはいえ、買えば懐は痛い。これは迷います。その時を逃すと、次はいつそんな服にお目にかかれるかわからないのだから。
 という事情があるのも、ある意味ひとつのお約束。
 結局は、ある時に買わないとね...ってことで、買ってしまったわけです。

 デジカメは、超望遠タイプ。ミラーレスとかデジタル一眼とかじゃなくてね。
 どこかのポイントだとかがいろいろ貯まってて、それを使った。
 まぁこの類いの機種は、「お手軽さ」だと思う。デジタルでも、画質にどこまでもこだわろうと思えばデジタル一眼に歩があるし、コンデジやその延長線上のデジカメじゃあどうしたってかなわない。総合的に劣るのはもちろんだが、撮像素子とか細かいスペックからして、不利だ。
 だけど、デジイチより遥かに安い金額で、ある程度のことはできる。目的を絞れば、ハイエンド機を凌ぐ点もある。そのへん、どこまで許せるかとか、自分がどう使うかがポイントなんだと思う。使い方や目的に合わせればいい。
 それに、たしかにコンデジより「いい機種」を持つ人が増えたけど、だからといって「いい写真」や「おもしろい写真」がそのまま増えるわけじゃないんだよね。機能的に優れる機種は、スペック上の「担保」はあるけれど、それがそのまま写真の出来やおもしろさにつながるわけじゃない。
 とはいえ、各々撮りたいものも違うわけで、ぶっちゃけ自分が満足できればいいわけですが。
 それはともかく、超望遠タイプのデジカメがどこまで使える代物なのかを図りかねて、買うまでけっこう悩んだなぁ。僕の目的にどこまで応えてくれるのか、本当に使いやすいのか...。
 結果的には、大満足とは言えないまでも、満足です。撮像素子も小さいし、「画質」とか言いだすとキリがないけど、これはこれで使える。何より、楽しければいい。

 そんなこんなな本年も、残すところ2日。
 よいお年をお迎えください。

これも驕りの一種かな

 先日から、妙な発言が止まりませんねぇ。
 議員だとか公職だとかに就いている人たちが、同性愛者についてデタラメな批判や否定、揶揄を発信している。なんともかんとも。
 年齢の高い人ほどこういった偏見が強く、事実に基づかない手前勝手な自説を曲げようとしない傾向があるんだよねー。ほんで、同性愛者が嫌いで認めたくない若い人もまた、同じ傾向を持つ。

 どれもこれも基礎的知識に欠けていて、言い分は的を外してばかりで、その発言のどこにも正当性を見いだせないという、救いようのないものである。
 まぁ、これは氷山の一角にすぎない。続く時には、どんどん続くんだろうと思う。年末までに、まだまだありそうな気もする。
 発言の度に問題化しているわけで、後から発言する人は学習してもよさそうなものだが、それは期待できないだろう。彼らは、学習する気がまるでありませんから。

 僕には、恥と無知を晒してるなぁ...と思えてならない。
 議員にしろなんにしろ、ちっとも学習できないのがいい歳をした大人ですからねぇ。あぁ、間違っていたんだなと知り、正しい理解を深めるのならともかく、そんな様子は微塵もない。
 自分の不見識ぶりを振りまいているだけに見えてしまう。

 さて、それらの発言がどんなものであるのか、相手にするのもばかばかしくなるようなものだが、見てみよう。
 一度に書くので、とても長くなりますが...。

 発端とも言えそうなのが、「同性愛者は異常動物で、異常人間が多くなれば人類の破滅。その報道は倫理観に欠ける。正当化するな」とかとかいう内容の某議員の発言ですね。
 倫理観に欠けているのは、むしろこの方だろう。同性愛は倫理の問題ではないし、異常などという性質のものでもない。人類が破滅するなんてことも、あり得ない。
 基礎的知識も倫理観もないので、こんな発言になるのだろう。
 この発言の主は、「その時はお酒を飲んだ時でありましたし」「普段は全く深く考えてもいませんし」「本当に軽はずみで書いてしまったということでありますので」などとも言っていたようだが、それは言い訳にも免罪符にもならない。むしろ、自分の無知と不勉強さと軽率さを露呈している。
 だから目くじら立てなくても...とか、だから軽く流してよ...とでも言いたげだが、酒の席なら何を言っても許されるというわけではないし、深く考えていないのなら考えてみてはいかがでしょう。考えていないのにわざわざあれほどの発言をしたのだとしたら、あまりに軽薄だよなぁ。
 本当に軽はずみで...って、軽はずみだからこそ、むしろ本心が出ているのではないのかな?
 他の発言を見ていても、つまりはこれがこの人の、人となりなんだろうなと思わずにはいられない。同性愛に限らず、印象で独善的に判断した、根拠のない発言が多い。利己的な独りよがりの見地しか持ち合わせていないようである。しかし、それを改める気もないのだろう。
 それで政治家が務まるのだから、楽なものである。
 また、「まじめ人間が馬鹿を見る」などとも言っていたけれど、それ、同性愛者かどうかには、まったく無関係のことですよね。異性愛者ならみんな「まじめ」だとでも思っているのかなぁ。

「正常」という名の暴力...。

「同性愛は異常でしょ。だいたい、何で同性愛者とかは自分の変態的異常性を公表したがるんだ?」と受けた某職員がいた。
 これも、トンチンカンな発言だよなぁ
 冒頭の不見識ぶりに続いて、「だいたい...」と言いながら「だいたい...」の内容が的を射ていない。同性愛と変態は違うし、同性愛者に異常性があるわけでもないし、誰もが積極的に公表したがるわけでもない。
 この発言も、何ひとつ正確なものがない。哀れですね。
 たしかに、公表する人はいる。積極的かどうかはともかく。それが社会的に広く認められた著名な人でもあれば、驚きを持って受け止められることも多い。しかし、その状況そのものが、既に「異常」で「差別を孕む」ものなのではないのか?
 今現在は、わざわざ公表しなければならない状況があるのだ。「公表しなけりゃいいんじゃない?」などという話ではない。自分が自分のアイデンティティを守るために思考を重ね、何某かの決意によってわざわざ公表し、それが「当たり前」に受け止められるとは限らないという現状の「異常性」が省みられないという現実があるのだ。
 カミングアウトするかしないかは、その個人が決めればいいことだ。でも、そんなことで悩まなきゃいけないのは、なぜなんだろうなぁ。これって、同性愛が異常だからではなくて、同性愛を異常だと思い込み、理解しようとしない人が大勢いるからじゃないの?
 著名人に、前向きな思考によって公表しようとする人がいるのは確かだろう。だけどそれもまた、世間の差別がまだまだ根深いということを知っているからこその行動であったりする。この行動そのものが、差別の存在を強く物語っている。
「あいつらなんで公表したがるんだ?」などという発言からは、性についてはおろか、その行動の意味も、なんら理解していないことがよくわかる。

 こういった発言は、しばしば「不適切な発言」として片付けられ、削除される。「賛同発言」からの「発言削除」という流れでも、同様だ。
 でもね、「不適切な発言」ではなくて、「誤った発言」とか「理解していなかった発言」と言うべきでしょうねぇ。「(自分が)誤解した発言」ならまだしも、「不適切」と表現するのだ。
 あの人たちは「不適切な発言だった」だとか「誤解を与える表現だった」だとかよく使うけど、なんとも釈然としない言い方なんだよねー。弁解のようにも使うけれど、それは弁解にはならない。
 自分は悪くない...と暗に言ってるようなもので、批判をかわして自分が逃げるためだけの便利な口実のようにしか見えない。
 まるでそれを証明するかのように、「自分が間違っていました」とはけして言わない。自分は悪くないけど、本当のことを理解する気もないけど、とりあえずその場にそぐわない発言だったみたいです...と。他人事のように、暗にそう言っている。
 発言を取り消そうが、書き込みを削除しようが、意識は変わらないんだよね。何もわかっていない。何も変わらない。
 内輪では、発言を正当化する者同士で賛同しあったり、同性愛者を批判したりするのだろう。情けないことにね。それを情けないと指摘しない周辺も、同じ穴の狢だ。
 不適切なのではなく、真実を知らなかったし、知ろうともしていなかった結果の発言だろう。何が正しくて、何が間違えているのか、正確に判断できていない。
 辞職などについて問われると、「与えられた責務・職責を全うしたい」などと答えるのも、常套句ですね。この後に出てくる誰かさんも、同じことを言っていた。
 いやー、全うしたい...って、既に全うできてませんよー。どうするの?

 話が少々逸れてしまっているが、もっとも、この趣旨の発言は珍しいものではない。珍しいものでないことそれ自体が、嘆かわしいことではあるが。
 それらの発言そのものは、政治家だから許されないわけじゃない。誰が発言しても、同じことだ。発言の意味自体は、なんら変わることがない。
 それでも、立場が変われば、発言の責任や重みは、変わり得るものだろう。政治の運営にかかわるつもりなら、そのくらいの「常識」は持っていてもいいんじゃないかなぁ。
 それがないのに、職責なんて全うできるの?

 渋谷区の例の条例について、「男らしさや女らしさ、男女による結婚を尊重し祝福する日本社会の価値観を否定するもの」と批判した人もいる。「婚姻は次の世代を産み育てること」「同性カップルから子どもは生まれない」「憲法に"結婚は両性の合意のみに基づく"とあり、条例制定権を逸脱している」とも言ってますね。
 これも、ツッコミどころが満載です。
 男らしさ、女らしさがどうとか言っているけれど、それはヘテロセクシュアルにだけ備わるものだろうか。そうではなかろうて。
 日本社会の価値観とやらを持ち出す人の根拠も、よくわからないんだよね。よくよく聞いてみれば、その価値観とやらが、たかだか200年にも満たない新しい歴史、それも著しく偏った偏見に基づくもののことを言っていたりする。
 普段はグローバルだのなんだの言うのだけれど、こういう時だけ都合よく手を翻す態度も、感心できるものではない。そもそもその価値観が作られたのは、遮断されていた欧米(特にプロイセン)の文化や思想が入ってきたこととも関係している。その欧米は、同性愛者に対する社会的地位などの改善においても、先進国となりつつありますが...さて、どうするのでしょうね。
 あの条例が学校教育で「性的少数者に対する理解を深める」としていることについては、「教育への介入で、子どもの価値観を混乱させかねない」とも言っている。
 しかし、教えないことの方が、むしろ価値観を混乱させるかもしれませんよ。今はその混乱を、数少ない同性愛者などのマイノリティだけに、当事者個人だけに押し付けているとも言える。しかも、救いのない状態に放置して。多様なものを多様だとせずに、狭い視野の固定観念を「正しい」と教えれば、当然そうなるよね。その固定観念から外れるものは、「異質なもの」「異常なもの」としてしか扱われない。それがセクシュアルマイノリティ、特に子供を苦しめることになるというのに。
 ここで事実なのは、ただひとつ。「同性カップルから子どもは生まれない」という点だけだ。でもねー、子供が産まれないからどうだというのだろう。結婚さえすれば許されるとでも? 子供を産まない、あるいは産めない夫婦には、何と言うつもりなのだろう。やはり暴言を浴びせるのでしょうか。
 それに、子供を持ちたい同性カップルもいる。彼ら・彼女らが、それをどう実現できるかは、ここで深くは触れない。現状では体外受精は不可能だが、仮に人工授精などの他の方法で子供を得るカップルが増えるとすれば...どうなんでしょうね。
 それはさておき、いつも思うことだけど、同性カップルがどうとか言う前に、「普通の家庭」が抱える「目に見えていない重大な問題」について考えた方が、よほど有意義だと思う。
 さらに、憲法にも言及しているけど、そこには同性愛者の結婚については何も書かれていませんよ。また、「結婚」ではなく「婚姻」です。いずれにしろ、同性愛者の結婚(婚姻)が禁じられているわけではない。見識に欠けてます。

 もうひとつ。
 某議員が、某職員による同性愛者を中傷する上記のツイートに関連する質疑で、「同性愛は異常だ」とやじを飛ばしたというもの。
 これも、発言そのものの不正確さもさることながら、その後の発言も、どういう言い訳なのかとあきれるばかりだ。
「やじではない。私人としてつぶやいただけ」と言ったそうだが、やじかどうかが問題なのではないだろう。また、私人としてなら許されるのであれば、どこで何を言ってもいいということですよね。それはまさに、どのような暴力も差別も許される際限のない乱れが蔓延する世界を認めることになるのでは? 彼らが大好きな「規律正しい」世の中は、永遠にやって来ない。皮肉にも、彼ら自身の思想によって。彼らの言う「規律正しい」社会が、歪んだものだってことはともかくね。
「差別的な意識はなく、誰かを中傷するものではない。同性愛を社会全体が認めて拡大すれば人口減少につながるとの思いから発言した」と、トンチンカンなことも言っている。
 差別的な意識はない、中傷もしてないって言うけれど、きっとおおありでしょうね。この言い訳、苦しすぎるよ。
 この後半部分も、もう笑ってしまう。「同性愛を社会全体が認めて拡大すれば人口減少につながるとの思いから」って、いやいや、おかしいでしょう、根本的に。社会全体に認められたからといって、同性愛者が拡大するわけがない。
 セクシュアリティが、倫理や精神、あるいは嗜好の問題だとでも思っているのだろう。違いますよ。認めるかどうかには関係なく、同性愛者はいる。そんなことでは、同性愛者は増えも減りもしない。増える要因はあり得るけど、それは社会での認知とは無関係だ。
 また「人口減少」とやらにも、結びつくわけがない。仮に高めに見積もって、同性愛者が10%いるとしよう(おおよそ 5〜8% というのが定説です)。で? そのまま人口が10%減少するとでも? 異性と結婚する同性愛者もいるけれど、それはむしろ少数派だ。ごっそり減少するわけがない。
 そんなことを言っている限り、人口問題は永遠に解決しませんよ。問題の本質を見ずに、見当違いの話を問題として持ち出している限りはね。それも、不見識であるが故にね。
 さらに、表現の自由だから撤回する必要はなく、問題もないのだとか。あれ? 公共の福祉に反する明らかに差別的な発言も、公共の福祉を乱す事実に基づかない誹謗中傷も、表現の自由として認められるんでしたっけ。これは表現の自由の問題ではないし、公共の福祉に反する事実に基づかない誤った発言を取り消すことに、何をためらうことがあろうか。
 おかしな正当化ですねぇ。それが間違いだろうと何だろうと、よほど自分の言ったことを引っ込めたくないらしい。

 その他、某弁護士による指向と嗜好の区別もできていない発言などが続いているけど、割愛。
 ホント、あきれるよなぁ。彼らこそ、人を深く理解すべき人たちではないのですか? 驕り高ぶることしかできないのなら、責務など果たせないだろうし、その席が相応しいとは思えない。

 科学的な不確かさと、自己都合による倫理・正義を基にする主張の暴力性。それがわからない人たちが、公職に多いという現実が透けて見える(年寄りが多い世界なので、ある意味では当然のことだが)。
 しかもこれって、子供に対しては容赦ない暴力になり得るのでは? 大人ならある程度の耐性を持っているけど、そんな力も知識もなく仲間もいないであろう子供たちを、否応なく深く傷付けると思いますが。青少年の心をズタズタにしようとも、それがどんな嘘であろうとも、自分が正しいと信じることならば、なんでも許されるんでしょうかねぇ。
 当事者全体に対して失礼なのはもちろんだが、心ない言葉が、多感な子供に対しては、命を奪いかねないほどの凶器になり得るのだという重みを感じて欲しい。
 気持ち悪いとか生理的にどうだとか、そういう人がいるのは致し方のないことかもしれない。けれど、それらの人たちが主張する自分たちに都合のいいこういった言説こそ、倫理にもとる。もう一度言っておこう。倫理的に問題だというその主張こそ、倫理に欠けています。
 それ、自分の「気分」を、理論を装って「あたかも正しいことであるかのように」見せかけているだけでしょう? でもその理論武装は、不確かな「思い込み」に基くものなので、ハナから破綻している。
 それを真っ逆さまに主張していることの歪さに、気付いて欲しいものですね。

記憶と記録に残るもの

 今年も残すところ、あと1か月ちょっと。
 まだ年の瀬でもないしこんなことを言うのはまだ早いかもしれないけど、有名人の結婚がいくつもあった印象だ。
 そう思うのは、長らく結婚しないのかと言われていてようやく...という某ミュージシャンの影響があるのかないのか。あるいは、昨年末あたりからの、僕でもわかる有名人の入籍や交際の話が続いたからか。
 うーん、どうなんだろ。

 まぁ僕は芸能界関係には疎いので、本当にただの印象に過ぎない。実際には、昨年は昨年で、一昨年は一昨年で、毎年いろいろ続いてたわけでして。
 印象に与える影響を考えると、「気になる人か」と「気にならなくても目立つか」とは、大きなポイントのひとつなんだろうなー。ちなみに某ミュージシャンは、後者です。僕にとっては、ね。

 結婚式といえば、披露宴がありますね。必ずではないけど。
 僕はいわゆる普通の結婚かどうかに関係なく結婚をする気はないし、したこともないので、自分で披露宴を開いたことはない。だけど、親戚縁者が多かったり、同年代に結婚が続いたりで、結婚式や披露宴には何度も出席している。
 ほんで披露宴といえば余興があるけど、音楽つながりの仲間の披露宴は賑やかなものが多い。合奏あり、合唱あり、歌も楽器もソロありで、曲はといえばポップス、ロック、ジャズ、クラシックとジャンルを問わず、クラシックも古くはルネサンスやそれ以前の時代から現代まで...といった具合に多彩で、楽しい。披露宴で使う全曲を、すべて出席者(と新郎新婦)の生演奏で賄うこともある。
 演奏するのもいいけど、聴いてるだけでも楽しめる。

 音楽つながりを離れて、僕個人はどうかといえば、昔々に一度、従姉の披露宴で演奏を頼まれたことがある。
 もう何年だっけ。15年ばかり前になるかな。

 しかしそれは、僕にとっては黒歴史である。

 やはり披露宴には、それに適する曲選びというものがある。
 曲選びというものは、どういう視点を取るか、何を一番の目的とするか、どういう内容で何をしなければならないのか、どんな場面で使うのか、何某かの制限があれば何ができないのか、あるいは何をやってはいけないのか、重視することや制約によって変わり得るものだ。
 と言っても、大抵は難しく考えなくてもいいんだろうね。多くの場合、どうしたら誰に喜んでもらえるかなーとか、そういう単純なことなわけです。

 しかし「なんでもいいからやって」なんて言われて、いざ自分がやることを考えたら、まさに際限のない中から選ばなきゃならないわけで、これはこれで大変だ。
 ねーちゃん、大変ですよそれ、マジで。
 僕としては、有名でなくていいので、クラシック系で耳当たりの悪くない曲を選んでおけば無難だし、プラスお祝い代わりになって、自分でも歌いやすいものがいいな...くらいに思っていた。場合によっては、ボップスとかでもいい。

 しかしここで、横槍が入った。

 その槍を振りかざしたのは我が母なのだが、とんでもないことを言いだした。
 わかりやすく言えば、オペラとか、ババーン! と歌い上げるような曲を歌えと。それが望まれているのだと。めちゃくちゃ簡単にすると、そういう意味の槍である。

 いやー、それ違うと思う。

 あの頃は僕にも柔軟性がなくて、内心では閉口しながらも従わざるを得ないような状況であった。今でも柔軟性が高いとはとても言えないが、今とは比べるべくもない。
 とてつもない要求に沿いつつ、僕に歌えるもの。そんな都合のいい曲、簡単に見つかるわけもなし。

 それにしても、母の強権(狂犬?)ぶりには困ったものである。
 なんというか、自分が信じるものに対しては融通が利かないし、他人にもその考えを押し付けるところがある。たとえその内容が、間違えていたとしてもね。
 表向きは仲違いしているわけではないが、正直なところ内情はといえば、母と僕とは、ほとんど水と油のごとくに交わらないのではないかというくらいに別の世界にいるのは確かだ。いろんな意味で。共通項もあるけどね。
 程度を示すのは難しいけど、かなりの部分で相容れない。
 そんな母でそれが当たり前なので、本人には「要求して押し付けた」つもりはまったくないんだけどねー。

 ともかく母のむちゃくちゃな「指令」で選択肢を狭められて選んだのは、いわゆるイタリア歌曲みたいなもの。ええ、もういちいち説明はしませんよ。実際に何を歌ったかも言いませんよ。つーか、具体的な曲名なんてとても口にはできない。
 なんでもいいから、要するにイタリア歌曲みたいなもの。ちょっとハデめの。
 そんなもん、ウケるわけがねえ!
 そもそも僕は、そっちが専門ではない。僕の得意とするものとは、路線が違う。まったく違う。脱線どころの話ではない。線路も根こそぎ吹っ飛ぶ勢いである。

 後の祭りだけど、本当に本当に心底自分が嫌になるほどバカな選択であったと思うわけです。思わずにいらりょうか。
 しかもマイクだって、妙な使い方されて...。だからあんな、なんともいえない...その......。しかもこれって、きっと映像が残って......。


 うわゎぁぁぁあああああ!



  ∧_∧ ザック     lヽ_lヽ
( •ω•) ザック   (   )
(つD―○|> ,.;∴ ゚。°と   i
しーーJ彡 ・;;過去'∴  しーーJ



 ...と、なかったことにできれば、そうしたい。
 しかしこの類いの過去は、消し去れない。

 あー、やだやだ。

 そうは言っても、ちゃんと歌いましたよ。喜んでいただきましたよ(本心が別にあるかは、怖くて聞けない)。
 でも、本音云々はどうであろうと、自分では許せない。恥ずかしくて死にそう。

 それにしてもこういう嫌な記憶というものは、なぜ時々ふっと思い出してしまうものなのだろう。ほんで思い出すたびに、ひぇぇもう生きていけないよう...て気持ちになるのだ。
 あんなもん、歌わなきゃよかったよ...。ただひとり、そう繰り返すばかり。
 死にたい。

 あぁぁ...。

 今でもこの黒歴史が頭をよぎると、そうじゃなくて「Panis Angelicus」とか「The Rose」とかにしとけばよかった...なんて思うんだよね。他にも考えられる曲はいっぱいあるというのに、よりによってあんなものを...。
 もし今歌うなら、さらに選択肢は増えるなぁ。


※ Panis Angelicus は祝いの曲ではないけど、場違いでもない。実際、いろんな場面で便利に使われてますねぇ。僕が歌うとしたら、どちらかといえば少年合唱などのイメージに近い方向になる。語弊はあるけど、おそらく一般的であろう感覚で言えば。間違っても、ボチェッリとかフレミングみたいにはやらないし、やりたくないし、どうやったってならない。

どちらを選びましょうか

 時々、「ボクサーとビキニ、どっちが履きやすいのけ?」のごとき内容の検索で、当サイトにたどり着いている人がいるようで。
 これ、ぶっちゃけ個人の好みなんじゃないかなぁ。ホントにそう思う。以前も書いた通りで、自分で履いてみろ...みたいな。自分がどっちか好きか、どっちが履きやすいか、履いて比べてみるしかなかろうて...と。身も蓋もないけど。
 自分の好みを人に判断してもらおうなんて、どだい無理な話なのだ。たぶん。

 いや、わかるよ。聞きたい、調べたい気持ちはわかるよ。理由も事情も人それぞれにあるにせよ、知りたい気持ちだけはわかるよ。
 僕は、ボクサーとビキニで悩んだことはないけどね。
 なんだかんだ言いつつも、どれかを選ばなきゃならないことはあるわけでして。特に未知のものが含まれてたりなんかすると、僕だって迷うし、調べたくもなるから。新開拓のブランドだとかね。即断即決というわけにはいかないのだ。
 ボクサーとビキニで迷ったり疑問に思ったりする人も、悩み方としては同じようなもんだろうと思うわけです。具体的な点や、その対象が違うだけで。だから、調べたい気持ちはわかるんだよね。

 しかしそれでも、あえて言おう。
 一般的な区別や使い分けの基準はあくまで一般的なものでしかないし、他人の評価はいくらかの参考にしかならないのだ。自分は自分一人だけなのだから。自分で履いて、自分で納得するしかないのだ。
 つくづく、身も蓋もないけど。

 確かに一般的には、機能的な違いなどから、どういう時にどんなアンダーウェアが適しているのかという、使い分けを含めた区別はある。僕はそのあたりのこと、よく知らないけどね。基本的にボクサーしか履かないし、さほど重視もしてない。つーかそれ以前に、そういった区別に心を砕く必要に迫られるシーンがないんだよなぁ。
 しかしですよ、それは一般的な区別でしかないのだ。目的に合わせて使い分ける場合があるとしても、「どっちが履きやすいか?」なんてのは、そんな使い分けとはちょっと違う話だと思う。「どっちが適しているか?」ではないわけでして。
 そもそも日常生活で常用として履くのに、目的だとか機能的な差だとか、ほとんど関係ないし。好みとしての履きやすさの比較は、個人の好き嫌いによるところが大きいことは否めないだろう。
 個人の好みともなると、他人にはわからない。下着の好みなんて、自分で履かなきゃわからない。見た目はともかく、履き心地はね。機能性込みで考えたとしても、説明の通りに納得できるとは限らない。
 あらゆるメーカーとその各モデルについて、多角的に網羅して冷静に比較するサイトでもあれば話が違ってくるかもしれないけど、そんなサイトは、ない。

 と、もはや本題なのかなんなのかよくわからないことをあれこれ書いてしまったが、少しだけボクサーとビキニについて考えてみよう。二者の比較ではないけど、表面に触れる程度の感覚的なことについて、僕の思うことを、さらに好き勝手につらつらと。
 比較検討するつもりはないので、性質のポイントを挙げて比べたりなんてしませんよ。

 ボクサーとビキニの違いって、なんだろう。

 なんだろうって、見た目ですよ。簡単に言えば、話はこれで終わりである。
 でもこの見た目、結構重要だったりする。僕は遊び心でビキニも何枚か持ってるけど、カッコよく見えるものとか、エロく感じるものとか、いろいろあるわけです。言うなれば、フェチ的な。それを自分でも履こうと思ったら、ちびっこい僕の前には、やはりサイズの問題が立ちはだかるわけですが。
 特にあれですよ、ジョグストラップ的なTバックとか。あれって小さいのがなかったり、フリーサイズしかなかったりすることが多いんだよねぇ。そんなもん履けるきゃ。
 それはともかく、この見た目の違いは、履き心地の違いでもある。なんでそうなるかと言えば、生地の面積と形が違うからだろう。生地の有無だけで、すごく感じが違ってくるからねぇ。不思議なくらいに。
 もちろん、見た目でわからない部分もある。デザインやブランドごとのことではなくて、密着度合だとか、もっと一般的な履き心地とかね。生地や編み方もそれぞれ違うわけで、これも履き心地や肌触り、好みなどに直結する。だけどこれらは、ボクサーにもビキニにもそれぞれで差があるものなので、とりあえず横に置いておこう。

 まず、ビキニ。
 身体に沿うデザインと機能性(機動性?)でしょうね。モデルによるけど、基本的に脚の可動部あたりに生地の切れ目があるので、動きやすさは言うに及ばず。
 生地が少ないから、肌の露出度は高くなる。機能性はともかく、日常生活での欠点としては、その上に履くパンツが傷みやすくなることかな。肌と生地が直接当たるからねぇ。スーツなんかだと、気にしてもいいことかも。
 ちなみに、ボクサーやトランクスを履き慣れているとスースーするはずだけど、これは慣れでしょ。逆に慣れると、ボクサーの腿あたりの締め付けが嫌になるってこともあるかもしれないなー。
 あとボクサーと比べると、小さめのモデルがけっこう多い。小さめのモデルは、そのままやっぱり小さいから、そのぶんこう...切れ込む感じ? 食い込むのとは違うけど、身体にピッタリくる感じはあると思うなぁ。

 では、ボクサーはどうだろう。
 ちょっと乱暴に言えば、トランクスと同じような形の、身体にフィットするパンツ...といったところだろう(ローライズとかいろいろあるけど、それはともかく)。フィットといっても、フィット加減はいろいろある。加減は様々だけど、基本的にトランクスよりは身体に沿う形をしているし、フィットするものをボクサーと呼ぶことが多い。フィットしないもの(ボクサートランクス)と区別して、フィットするものを「ボクサービキニ」などと言い換えることもありますね(ただしこの言葉、小さいものを指すこともあるようで)。
 話が逸れるが、日本でのアンダーウェアの種類の呼称は、欧米などのそれとは違う。説明とかいろいろ面倒だし、もちろんここでは日本的な呼称に従ってます。ただねー、海外ブランド品は現地での呼称をそのまま使ってる場合もあって、お店では違う種類のものが同じ名前で売られてる...なんてこともある。ああ面倒くさい。

 話を戻そう。
 日本では一般的にフィットするものを「ボクサー」と称することが多いけれど、同じフィットとはいうものの、ビキニのそれには及ばない。たぶん。
 これは語弊があるかもしれないが、このフィット感の違いを生むもののひとつが「余計な生地の有無」であるかもしれない。
 ビキニだって、わざわざゆるゆるの、サイズあってんのか疑問が湧くようなものを履いてる人もいるわけでして。ゆるゆるだったら、フィットしない。だけど、より小さい範囲でまとまるのか、広い範囲をカバーするのか比較できるわけでして、「身体にピッタリくる感じ」の違いは当然あるだろう。
 履き心地の好き嫌いに意外と大きく影響しそうなのが、それと関連するビキニにない脚の部分の生地だ。この長さが、モデルによっていろいろありますが。長い方が冬は暖かいだろうけど、夏だと蒸すかもしれない。長いと保護力は高いけど、邪魔に感じて短いものを好むかもしれない。
 さらに、ここの生地があるかないかだけで、ムスコさんあたりとか、ビキニと同じエリアの生地の感じが変わるはずだ。その周辺の生地から受ける力の有無や、その加減が違ってくるからだ。それにあわせて設計もされるだろう。あるいはこれが、「身体にピッタリくる感じ」の違いを産むポイントのひとつなのかも。
 太股から腰にかけての部分の生地の有無。見た目も随分違うわけだけど、履き心地の好き嫌いへの影響の大きさは、意外に大きいんじゃないかなぁ。

 カップの有無の違いは? と思う人もいるかもしれないが、カップの有無はビキニとボクサーの違いとは別の問題である。たぶん。ビキニ、ボクサー共に、カップのあるモデルとないモデルがあるので。
 ビキニには、カップがないものが多いわけではありますが。

 意外と難しいのは、両者の境界線かもしれないな。
 いつの頃からか、曖昧な形態のアンダーウェアが増えているのだ。スーパーローライズ系の丈の短いボクサーと、切れ込みの少ないカップ付きのビキニとか。ビキニかと思ったら、ボクサーと表示してあったりする。もちろんその逆もある。TOOT のナノボクサーを超える、生地の面が少ない、ボクサーにしてはやたらと小さくて、しかしビキニでもないような。
 このあたりは、メーカーの判断なのかもしれないが。メーカーさんなりのこだわりみたいな細かい違いがあるんだろうけど、よくわからない。
 オシリの具合などを基準にしているかもしれないけど、広く見れば、ビキニとボクサーの違いとしては弱い気がする。ヒップの大きなビキニもあるし、ヒップの小さいボクサーもある。
 あるいは、サイドの幅を基準にしている場合もあるのかな。何cm以上はボクサーで、それ以下はビキニとか。でもこれもメーカーの基準であって、一般的な判断材料にはならない。僕らには、むしろ混乱があるだけだ。
 なんともはや。

 違いをいくつか挙げてみたが、結局履き心地は、一般的な視点でしか書くことができない。もしくは逆に、よりつっこんだ超個人的視点か。先に書いたように、メーカーやモデルを絞り込まずに、多面的に網羅でもしない限りは。
 個人的な視点、つまり僕の好みはあるけれど、それは他の人にとってはまったく逆の要素となり得る。僕にとっての履き心地の良さが、ある人には嫌いなところであっても不思議ではない。
 ということはつまり、ボクサーとビキニのどっちが履きやすいかを調べても、徒労に終わる可能性は高いのではないだろうか。ネットで検索してみたものの、結局なんだかよくわからない...なんてことになりそうだ。
 やっぱり、自分で買って、自分で履いて、自分でしっかり納得するのが一番ですね。うん。(結局ここに戻ったり...)。

 だから僕は、言いたい。自分の好きなものを履こうよ...と。
 好きなものを、気持ちよく、気分よく履くのが一番じゃないかな。履き心地でも、見た目でも、理由は何でもいい。履き方だって人ぞれぞれあって一様ではないけれど、それも好きなようにすればいいと思うんだよね。例えばムスコさんにどっちを向いていただくかとか、メーカーの想定がどうだろうと、自分の好みに合わせればいいじゃないか。
 いや、ホントに。

 ちなみに、僕の思うことを気ままに書いただけなんだけど、一般的に見ても、視点によっては利点が欠点に、欠点が利点になり得ますよ。だから参考になる比較検討は、多面的で網羅的じゃなきゃ意味がないのです。たぶん。
 あと、ムスコさん(というよりタネ)にとってはどうするのがいいとかそんな話もあるけど、普通に生活してる限りは、それほど気にしなくてもいいんじゃないかなぁ。特殊な環境にあるとか、なんぞ運動をする時に股間を圧迫するとか、他人と比べて突出した何かがあるなら、話は別ですが。
 気を付けるにしても、神経質になりすぎる必要はないと思われます。

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