産まれ出ずれば世界はプリン

 誕生日絡みの話など。

 一番思い出に残っている誕生日はあるだろうか。
 僕はといえば、これといって特筆するものはない。誕生日はいつも家族だけでやっていたし、特別なプレゼントをもらうこともなかった。
 生まれ年や田舎だってことも関係しているかどうかは定かでないが、友達や近所で誕生日に集まることもなかったなぁ。パーティーする家もあると知っても、呼びたいと思ってなかったな。
 習慣的にそんなもんだと思っていた節がある。

 むしろ今現在の方が、ちょっと変わったことをしている。

 きっかけは、両親の海外旅行である。
 父が退職して落ち着いてから、まだ行けるうちに行っておきたいと、時々海外旅行に出掛けるようになった。初めての時は、心配性の母がいろいろと微に入り細に入り事前に調べていて、やりすぎだろうと思っていたが(後年慣れてくると、徐々に落ち着いていった)。
 しかし諸々の都合で、旅行期間がよく5月になった。

 それまでは、成人してからも何かしら祝ってくれていたが、あれからぱったりとなくなった。

 毎年の恒例行事だったとはいえ、それがなくなったとしても、さして不都合はない。
 がしかし、なんとなく誕生日に「何か欲しいかも」と思ったのだ。
 何がいいかな? 誕生日に食べるものの定番であろうものは、まずケーキだろう。しかしケーキは、自ら買って食べるほど好きなわけではない。ケーキやクリームと比べれば、饅頭やアンコのお菓子が好き。でもなんだか味気ないというか、物足りないというか...。
 そんな感じでいろいろと考えていて、ふとプリンを食べたいと思った。

 プリン! いいじゃないか。

 プリンも馬鹿にならない。種類も大きさも、いろんなものがある。
 あれ以来、毎年誕生日には自分用にプリンを買って帰る。自分が食べるためだけに、たったひとつ。
 いろんなプリンを買いましたねぇ。スーパーにも、おもしろいプリンがあれこれある。超シンプルなのも、やたらハデなのも。地元産もある。
 地元産なら、町内のケーキ屋さんもいい。買うのはケーキではない。プリンである。プリンを置いてないケーキ屋さんに、用はない。

 無理に、プリンだけにこだわる必要はない。例えば何か適当ないいスイーツなどあれば、それでもいい。でも他に思い付くものもなくて、プリンが続いている。
 食べてみたいけど、まだ口にしていないプリンもあるしね。

 小さな楽しみである。

諸悪なわけもないけれど

 ここでは、ひとまずシガーさんと呼ぶことにしよう。シュガーといえば砂糖だが、シュガーではない。シガーさん(仮・以下省略)。プカプカふかして、煙を吸って云々するアレである。

 少々前の話だが、飲食できるあっちゃこちゃでウンタラカンタラする「規則」のごときものの形だけはできあがってきた。
 だがしかし、なんとも中途半端なものが出てきたなと思う。

 正直なところを言おう。
 僕は、吸う人が悪い人だとは思わない。吸うことが悪いことだとも思わない。だから、滅びろなんて極端すぎて、とても賛同できない。
 吸いたい人は、吸えばいい。
 しかしそれでも、目に余る行為を度々目にするのも事実で、好ましくは思えない。

 ぶっちゃけ要するに、配慮があまりないと感じるんだよねぇ。

 シガーさんを愛する人からすれば、既に世間は冷たいし、肩身が狭いと思うだろう。
 それがまったくわからないではない。なにかと槍玉に上げられたり、批判に晒されたりで、リラックスしたい場面でそれができないかもしれない。
 不満も募るだろうが、それでもやっぱり配慮のなさは感じる。その感じ方は、けして弱くはない。

 肩身が狭いといっても、実はそれは、狭いと錯覚しているだけかもしれない。旧来がシガーを愛する人に甘過ぎただけで、身に付けるべきマナーが身に付いていない、あるべきマナーがないままだったのかもしれないがために。
 自由に吸えない過ごしにくさを感じたとしても、その「自由」は、配慮のある自由なのだろうか。最低限のマナーに裏打ちされた、多くの人に認められる自由なのだろうか。
 自由というより、勝手気儘に振舞っていただけではないのか?

 少なくとも、シガーを愛する人たちに、自覚のなさがかなりあるのは間違いない。全員とはもちろん言えないまでも。

 例えば煙。
 シガーさんの匂いや煙は、驚くほど遠くまで漂っていく。
 きっと、シガーさんを愛する人には、なんでもないことだろう。気にも留めないし、気にする必要もないと、当たり前のように思っている人は多いのではないだろうか。

 外で吸ってるんだからいいじゃん。外で吸っていれば迷惑掛けないよね、掛けてるわけないよね。どこかで、そう思ってはいないだろうか。
 しかし、そうではないのだ。繰り返すが、シガーさんの匂いや煙は、驚くほど遠くまで漂っていく。まことに。

 だんだんと薄まるとしても、広く拡散して届くこと自体がわからない。わからないし、無関心だろう。
 嘘でしょ? と言いたくなるであろう遠く離れた人にまで届く。なんでそんなことがわかるんだ...って、それは見なくても匂いに気付くし、吹かしているのがわかるからだ。遠くで吹かしている人がいることが。
 例えば、コンビニの入り口に灰皿があるとしよう。今時、そんなコンビニはそうそう見ないが。
 街中のあまり広くないコンビニを基準にすると、その数倍以上の広さの店の一番奥にいたとしても、吹かしているのはわかるだろう。
 まさか、そんなぁ、届くわけないや...と言われそうだけど、わかるもんはわかるし、あまりいい気はしないから仕方がない。いや、マジで。
 これはなにも、特殊な能力を身に付けた人たちだけのレア機能なわけではない。シガーを愛する人は鈍くなっててわからないかもしれないが、そうでない人で普通に鼻が健康的ならば、たいていは気付けるものと思われる。
 実際、僕だけが気付くわけじゃない。

 結局のところ、まわりに無頓着なんじゃないかと。

 無頓着といえば、歩きシガーさんも迷惑だ。
 あれも、誰にも迷惑を掛けていないつもりなんだろうけど、とんでもない勘違いだ。
 煙を撒き散らせば当然まわりに浴びせることになるし、後ろを歩いている人は煙の塊にまともに襲われる。その上、燃えるシガーさんは、子供の目線の位置まで下がる。
 おまけに歩きシガーさんをする人は、高い確率でその亡骸をポポイッと投げ捨てる。全員がそうだとは言わないし、前述の無頓着な人の数よりは絶対数が少ないと思われるが。

 これじゃ、印象が悪くなっても仕方がない。自ら印象の悪さを呼び込んでいるようなものだ。
 投げ捨てたりしない人は、そもそも歩きシガーさんをしないのかもしれないね。

 また、例えば周りを囲まれて、一方あるいは二方のみ閉じていないテントなどがあるとしよう。同じように、壁に囲まれた場所でもいい。
 シガーさんを愛する人たちは、そこで愛し合うことに何のためらいもないだろうし、何も悪くない・何も迷惑を掛けていないと、当然のように思っているだろう。
 でもね、ある程度の閉鎖性のある場所だと、多少風の通りがあったとしても、そんなものでは簡単には「痕跡」は消えない。なかなか匂いはなくならないし、それが建物の入り口にでも続いていれば、その中にも入り込んで行く。中にいれば、外で愛してる人がいるんだなと、見なくてもわかる。
 どこか一方以上が閉じた場所を例に挙げたが、仮に四方が開放されたテントであっても、似たことは起こる。
 シガーさんが漂わせるものは、そうしたものなのだ。

 シガーさんは文化なんだから、目くじら立てなくても...と、そんな話を聞くこともある。
 いやいや。「文化なんだから」と言える、それにふさわしい愛し方ができる人が、常日頃そうしている人が、はたしてどのくらいいるだろう。
 少なくともそれは、歩きシガーさんをしている人のことではない。外で愛していればいいことだよね...とだけ考えて、煙を撒き散らす行為に当てはまるものでもない。

 シガーさんを愛する人たちが嫌われるのには、それなりの理由があると思うのだ。
 だがしかし、一部の「嫌われ者たる所以の行為を繰り返す人たち」の影響で、そうではない人たちまで同類とみなされがちな点のみにおいては、同情を感じる。やっぱり素直にかわいそうだよね。
 そういう意味では、そこはシガーさんを愛する人たち全体で取り組むべきこと、できることもあるのかもしれないなぁ。

 自分は、シガーさんを愛してはいない。
 僕自身は、同席者が一言断りを入れてくれれば、OKしている。それだけでも、気持ちは違ってくるんだよね。

 ただ、本音としては、例えば飲食の席であれば、今は遠慮してくれ...とか思ってはいるけれど。
 だってさ、まさに「食事をしているところ」なんだから。なんで料理のいい香りがする中でタバコを吸うのか、わからない。わざわざタバコの煙で、おいしそうだと食欲をそそる香りや食事の楽しみを打ち消す必要がどこにあるのか、わからない。そんな感じ。
 そんなふうに思うくらいなので、よくレストランなどにある席は違えど仕切りがないという分煙は、まったく訳がわからないし、分煙の意味を成していないように感じる。
 あれ、やり方を根本的に間違えてると思う。ホントに。
 じゃあ、喫煙者が同じように感じるのかと言えば、感じてないことが多いよね。
 喫煙者は、概ね自分が吐き出すもの、吐き出されたものや自分の手元から拡散するものに対して鈍感だ。これ以上は言わない。

 で、例の「規則」に戻って。
 あれこれ書いてきたけれど、こうしたことが事実としてあるわけで、あれがなんとも中途半端で「配慮がない」ものだということは、一目瞭然だ。
 某業界には配慮したのかもしれないが、つまりはそれだけなのだ。

知らぬと居らぬは天と地と

 自分のまわりにゲイはいない...などと宣う人を見ることがある。自分のまわりにゲイはいないから、ゲイなどというものはいないし、一般的なものでもない...と。
 もし 5% 以上もゲイがいるのなら、身近にも必ずいるはずだけど、見たことがない。だから、その統計自体がおかしい。ゲイなどというものは幻想だ...。云々。

 はっきり言おう。そんな主張は、絵空事である。「自分のまわりにゲイはいない」という認識そのものが、むしろ幻想だよなぁ。
 他の記事でも触れたことがあるのだけど、改めてこれについて、掘り下げてみよう。

 自分のまわりにゲイはいない──。
 なぜ、こんな幻想を抱いてしまうのか。自分が知らないままだからこそ、起こることだろうなぁ。
 自分が知らないって、どういうことだろう。
 ゲイが、あるいはレズビアンが、自分のまわりにいないのではない。いるかもしれないけど、知らないだけなのだ。
 なんで知らないのか? 打ち明けられていないからだ。自分に対して、家族なり、友人なり知人なりが、いわゆるカミングアウトをしていないからだ。

 打ち明けられていない原因は、わからない。理由は千差万別、いろいろ考えられる。
 その人がそれだけの信用をされていないのかもしれないし、相手がカミングアウトに非常に臆病なのかもしれない。あるいは、カミングアウトする基準が、すごく厳しいのかもしれない。
 はたまた、例えば今ある友情をどうしても失いなくて、それがカミングアウトよりも重要なことなのかもしれない。その人に告白することが、社会的に、不要な不利益を自分にもたらすと思われていることだってあるだろう。

 同じ同性愛者であっても、カミングアウトに対する考え方そのものが人によりけり。けして一様じゃない。
 そこに環境だとか、友人関係に限らず人間関係での機微、その他諸々が加わってくるのだから、簡単にはいかない。良好な関係があるとしても、それだけではカミングアウトする理由にはならない人が、圧倒的に多いだろう。
 少ないながらも「歩くカミングアウト」というくらいオープンな人もいるけどね。

 いずれにせよ、自分は打ち明けられていないだけなのだ。
 本当はすぐそばにいるかもしれないのに、自分が知らないものだから、自分のまわりにはゲイはいないなどと思ってしまうのだ。

 このようなことを言う人には、ほとんどの人がなかなか打ち明けようと思わないだろう。
 ゲイを嫌悪したり、軽蔑したり、差別したり、ゲイに関することでなくとも普段から人格を否定する発言や行為を繰り返す。一般的な差別に敏感な人でも、同性愛に関しては例外的な態度を取る人もいる。そんな人に、積極的に打ち明けようなどとは、思わないものだ。ゲイだから、ではない。人なら誰しもそうだろう。
 信用できない人に、大切なことは話さない。

 ゲイを認めようとしない人ほど、冒頭のような主張をしたがる?

分けて目印貼り付けて

 いつの頃からだかもはやまったくわからないが、Mac では、随分前から画像をブラウズできるアプリを使っている。
 そうしたアプリはいろいろとあるけれど、動作が重かったり挙動がおかしかったりで、意外と納得できるものがないように思える。デジカメやプリンタなどのデジタル機器を購入すると、メーカーの画像ブラウザが付いてくることも珍しくない。そうしたブラウザもいろいろ使ってみたことがあるのだが、何かしら問題や大きな不満があるんだよねぇ。
 単に、いいものに出会えていないだけなのかどうかは、さっぱりわからない。

 そんな中で、GraphicConverter はお気に入りの一本だ。お気に入りと言っても、「これ以上ない」と言えるほどのステキさを感じているわけでもないんだけど。
 ただ、いろいろと便利ってあたりが重宝するし、代わりになるものもなくて、捨てがたいし捨てられない。他のアプリで、GraphicConverter を超えてくるほどのものがないし、やっぱり重宝する。

 まるで GraphicConverter に不満が多いように聞こえるかもしれないが、そうではない。
 いつしか消えていくアプリが少なくない中にあっては、古くからの、とても長い付き合いになる。最初に買った Mac に入れたのが始まりで、それ以来、すべてのバージョンではないものの、ここはバージョンアップするしかないというタイミングで新バージョンを購入し続けて、今に至っている。
 最初に購入した時は、いわゆる「シェアウェア」と呼ばれるもので、登録ID の発行を含めて購入手続きには手間も時間もかかった。今じゃ、ポチッとな...で終わるようなことが、「ちょっと面倒だったよね」と思い出されるわけだけど、当時はそれが当たり前だったのだ。
 ちなみに使っていた Mac は箱型のアイボリー色の某機で、OS はまだ 8 が出たばかりだったか、そんな頃のはず。

 名前から想像できるかもしれないが、その真価は「画像の変換」にあると言うべきだろう。対応するファイルの種類が非常に多くて、関係する機能もてんこ盛り。おかげで環境設定は、猥雑である。はっきり言って、猥雑である。見るだけでもめんどくさい。
 編集に関しては通り一遍といったところで、特筆すべきところはないかな。可もなく、不可もなく...のような。
 時々便利に使っていたのが、カタログ機能。今となっては、標準で付いてくる Preview で充分事足りるのだが、昔はそうもいかなかったのだ。

 とまあ、便利で高機能な GraphicConverter。
 機能と設定がてんこ盛りであるがゆえに、設定項目が多すぎて探すのが大変という難点にやられたのが、今回のお話。

 前述のように、GraphicConverter は画像変換で真価を発揮する。だがしかし、僕はもっぱら画像ブラウザとして使う。閲覧するためではなくて、仕分け・分類するために。
 見るのは一部なんだけど、いらないものは削除しつつ、特に「気になる」ものにはラベルを付けていく。付箋でも貼るような作業ですね。

 このラベル付け、けっこう面倒ではある。
 いろんなやり方を試して、ノートのトラックパッドでの操作で一応落ち着いていた。トラックパッドの2本指タップも使って、ポインタの移動、コンテクストメニューの呼び出し、ラベルの選択をしていた。なんとなく「そうするしかない」と、どこかで思い込んでしまっていたような気がする。先日までは。
 これでもマウスを使うよりはずっとスムーズなのだが、もっと楽になればもっと嬉しい。その思いが、最近急に強くなった。
 ショートカット(キーボードショートカット/ショートカットキー)でなんとかできないのかなぁ、できそうな気がするんだけどなぁ、と当然とっくに考えていてもよさそうなことに、今更思い当たった。遅い。遅いぞ、自分。改めて考えてみれば、バカみたいな話である。
 機能モリモリの GraphicConverter である。できたっておかしくないじゃないか。ショートカットを割り当てられるアプリだって、たくさんある。それができれば、もっと楽になるんじゃないの?

 そう思ったのは、長いことずっと、拡大して確認したい画像をマウスを使って開いていたからだ。
 ある日、ふと思った。そういえば、なんでダブルクリックで開いてんの?
 他のいくつもの操作、例えば複数選択だとか、ウィンドウ内の行き来、ファイルの遷移や削除といった作業は、ショートカットで実行している。選択したファイルを別ウィンドウで開くのだって、ショートカットでやればいいじゃないか。なんでそうしてないんだ?
 自分に生じた、初歩的な疑問。
 どうするって、ショートカットで開けばいいのだ。この場合、Finder などからファイルをアプリで開くといった動作とは違うので「open」ではない。
 選択アイテムを開くというコマンド、

「⌘」+「↓」

で、選択中の画像を新規ウィンドウで開くことができる。
 さらに拡大したければ、「shift」「⌘」「+」の同時押し。通常、拡大は「⌘」と「+」で実行するけど、GraphicConverter 上では「shift」付きじゃないとうまく動作しない。
 確認し終わったら、「⌘」+「W」でウィンドウを閉じる。
 これで、ファイルのオープン、拡大・縮小・クローズは楽になる。

 じゃあ、ついでにラベルもなんとかならないかな...。

 で、調べました。まずは環境設定から。
 しかしどうやら、環境設定でショートカットを指定することはできない。どこにも、そんな設定項目はない。昨今、この指定ができるものも少なくないので期待したのだが、あぁ応えてもらえない。
 それでも何かないかと、環境設定につぶさに目を通した。いや、通したつもりだった。しかし見つけることができなかった。
 ためしに OS のショートカットの設定も使ってみたけれど、これは GraphicConverter でうまく動作せず。
 ダメか...。

 それでもまだあきらめ切れずに、Web の検索をあれこれ見ていた時のこと。
 古い古いバージョンで、ラベルをショートカットで指定する設定を書き残してくれているページが見つかった。サイトやページそのものも今ではなかなか見ることのないような、随分と懐かしさを感じる風情であった。
 風情はともかく、昔はできたのなら、やっぱり今もできるかもしれないじゃないか! どこかに設定が残されているかもしれないじゃないか!

 ってことで、改めて環境設定を、こんどこそひとつひとつよくよく確認しながら見ていった。先に書いたように、項目が多くて確認だけでも大変なのだ。ちくしょう。
 昔と同じ項目は、ない。もちろんない。ないから、もし設定できるとしたら、どこか別のところに移動しているはずで、予想される分類からつぶさに見るしかないのであった。あぁ、ちくしょう。
 ほんで、ようやく見つけた。

 version9 では、環境設定から「ブラウザ > 編集」とたどった先に「キーボード」という項目がある。スペースキーの挙動を選択できるのだが、「スペースキーで QuickLook 切替」「スペースキーでラベル切替」としっかり記載されていた。ラジオボタンで、どちらかを選択可能。
 さらにラベルについては、プルダウンから自分の好みの設定を選ぶこともできた。僕が選んだのは、「0..7にラベルを設定、control+0..5で格付けを設定」である。
 これはつまり、「0〜7の数字キーを押して、色指定でラベルを付けられるよ」ということだ。0 ならラベルなし、1 なら赤...といった具合に。
 なんのことはない。他の設定項目と紛れるように置いてあるから、ぜんぜん気付かなかった。

 今までは...

「ポインタ移動 → 2本指タップ → 開いたコンテクストメニューにポインタ移動 → ラベルを選択」

 と、今書くとすごくめんどくさく感じる操作をしていた。よくやってたなぁ、こんなこと。

 これが、数字キーをひとつ押す...だけで終了。ただ「1」とか「2」を押すだけ。
 ごちゃごちゃあっちゃこちゃ手を伸ばし、操作していたものが、キーただひとつになったわけだから、想像だけでもその差はおわかりいただけるだろう。歴然。天頂と地底。
 あほみたいに楽になった。

 もう、キーボードから手を離す必要はない。

あたらしきことに

 年が明けましたね。

 昨年は、思い返せばなかなかアクティブな年だったと言える。けれど感覚的には、 まったくそんなこともなく。
 実感がないわけでもないし、それぞれに楽しんだ。時が経つのは早いと感じながらも、一年が長く思われるようなところもある。なんとも。
 大きな出来事は、簡単に思い出すことができる。ひとつひとつを思い起こすと、その楽しさはすぐに胸に湧き上がるというのに、なぜか、それらの出来事が、どこか遠くにでもあるようなふうでもある。かんとも。
 そうした、微妙な感覚を持った年であった。単に「歳のせい」などと言っていいのかどうかは、わからない。

 折り紙で「大作」を作って、知人にプレゼントした。
 非常に喜んでくれて、その後も大切にしてくれていて、やっぱりこの人にはあげてよかったなと、心の底から素直に思える。恋愛云々はないけれど、いつもそんな元気で楽しくて素直でよく動いて実はめんどくさがりな面も持ちつつちょっとかわいいところがある彼が大好きだ。

 美術館には、例年のように出掛けている。ただしひとつ、いつもと違う行動も起こした。大袈裟かもしれないけれど「奮起」して、東京は新国立美術館へ足を運んだ。日帰りで。
 スラヴ叙事詩を見たいがために。
 人の多さはおおよそ予想通りではあったものの、人混みには少々参った。それでも、満足感は大きい。ついでに近くの美術館にも立ち寄って、さらに満足感プラス。

 とある資格試験で合格した。
 仕事でも立場が変わり、やることが増えた。忙しい上にやることが増えるとか、単純に言えばしんどいだけだ。やりがいもおもしろさもあるんだけれど、いいことばかりでもなく、悪いことばかりでもなく。

 奈良へ単独旅行。
 もともとぼっち旅は多いので、まぁいつものことだ。ただし例年とは趣を異にし、思い立ったのはある可能性を見出した時。
 ちょっと気持ちが切れることがあって、ついでに予定されていたことがなくなり、いくつかの事情の変化の流れから、その予定日を旅行に振り替えた。
 思った以上に、楽しかった。最も行きたい時季ともずれていたので、多少趣向を変えて巡ったのが、かえってよかったかな。
 できれば今年も来年も行きたいところだけれど、今年は無理かもなぁ。

 紅葉は、愛でる暇がない年も多い。
 昨年は、美術館に立ち寄るついでに、少しだけ足を伸ばして紅葉を楽しんできた。
 春には訪れたことがあったものの、秋は初めての場所。少し最盛期を過ぎた頃だったけれど、綺麗だったなぁ。またいずれ、最盛期にも行ってみたいものだ。

 年末には、長いこと放置していた部屋の整理・模様替えなども。
 あちこちガッツリと手を入れまくって、なかなか大掛かりなお片づけ。スッキリ綺麗になっていく。道具類の使い勝手も向上。気持ちいい。
 実はまだ、すべては終えられていない。今日もまた、その続きをば。

 そして、今年。
「イベント」としては、昨年よりも大きなものが控えている。まだ予定の予定といった段階で、なんとも言えないところだが。
 そのあたりは、春以降に決まってくると思っている。抱負らしい抱負もない(ぜひやりたいことはある)けど、この大イベントを乗り切ることが、おそらく今年の山になるだろうなぁ。

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