妹背の山に見るものは

 さて、前回に続き2色の折り鶴の作り方。
 前回は1羽を2色で色分けする方法を書いたが、今回は2羽2色パターンである。

 それでは始めましょ。
 2羽2色パターンの折り鶴は、「千羽鶴折形」でいうところの「妹背山」の変形である。

 Imoseyama.jpg > 普通の妹背山。

 話がそれるけど、「千羽鶴折形」について付け加えておこう。
 正確には「秘傳千羽鶴折形」というタイトルで、江戸時代に編纂された本だ。一枚の紙に切り込みを入れるといろんな形の鶴を作れるのだが、これを連鶴という。その連鶴の手本帳のようなものである。手本といっても指南するわけではなくて、切り方と補助線と出来上がりの図と、そこに添えられた狂歌に挿し絵しか載ってないけどね。
 それぞれの1羽の鶴の折り方は同じだから、当然である。

「妹背山」は、こんなふうになってます(これは、元の図に頭の位置などを付け加えて、わかりやすく書き換えた図)。
 ImoseyamaOrizu.jpg > 正方形が二つぶんの長方形に、切り込み。

 面倒なので、カメラで撮影。これでもシンプルな図だけど、これだけわかれば充分だ。元はもっとシンプルです。切り込みの線しか入ってないので。
 通常の妹背山は、左右の鶴の表裏を揃えて折る。色違いの鶴を作る場合には、それを逆にすればいいだけである。

 1:2 の紙が必要なので、正方形を半分にするとしよう。
 2colorImoseyama01.jpg > 1:2 の紙。

 まず、縦長半分に折って開く。
 2colorImoseyama02.jpg > 縦に折り線が1本。

 最初の線の直角方向は、4等分にする。半分に折って、さらに半分に折れば OK。こだわりたければ、ここで山折り・谷折りを工夫するといい(詳細は省略)。
 2colorImoseyama03.jpg > 4本の線を追加。

 中央の折り線の部分に、半分ほど切り込みを入れる。くれぐれも切りすぎて、分離させたりなどしないように。切れ目が浅すぎても、この後うまくいかなくなるよ。
 2colorImoseyama04.jpg > 半分切断。

 2colorImoseyama05.jpg > 切り込みを拡大してみる。

 ここでも、頭の位置には注意するべし。妹背山は2羽の羽どうしが繋がっているので、紙が繋がってる部分が羽になる。下の写真は、既に斜めに折り筋を付けたものである(頭と尾は、逆でもいい)。
 2colorImoseyama06.jpg > 尾頭と羽の位置関係。

 ちなみに、上の図は正確ではない。上図は、普通の妹背山の位置関係である。色違いの妹背山を折ると、一方の鶴(ここでは左側の鶴)の頭と尾は、もう一方の鶴と逆になる。

 少し脱線するが、連鶴を作る時には、羽に折り目のないマサキ式(仮)折り鶴の作り方が、なかなか役に立つ。なぜなら、先に示したように、頭か尾の角と羽の角とは、位置関係が決まっているからだ(鶴に限らないけど)。
 妹背山の場合、切り込みを入れてできた角は頭か尾になる。そこへ先に折り目をつけてしまえば、どこが羽なのかわかりやすくなるから、間違えることがない。しかも仕上がりが綺麗だ。一石二鶴である。それが、上の写真の例なのだ。

 あとは、左と右で分かれた正方形を使って、折り鶴を折るだけだ。注意点は、片方は表を外側に、もう片方は裏を外側にすること。
 そうやって折ったのが、次の写真だ。
 2colorImoseyama07.jpg > 2羽2色の折り鶴、妹背山。

 2colorImoseyama08.jpg > 光の加減も考慮して、後ろ姿も。

 紅白だと、なんだかおめでたい感じになるね。

鶴を二色で艶やかに

 年が明けましたね。今年はどんな年になりますことやら。

 さて、過去の検索キーワードに、「一枚の紙で二色出てくる折り鶴の作り方」というものがあった。この検索の真の目的に曖昧な部分はあるけど、おもしろいのでネタにしてみよう。まだ三が日だし、時期的にも悪くない。たぶん。

「一枚の紙で二色の折り鶴」なるキーワードは、単純なようで実はそうでもない。僕はここから、2通りの鶴を思い浮かべるのだ。
 ひとつは、ごく単純なパターン。1羽を2色で色分けする。
 もうひとつは1羽ではなく、2羽を2色で色分けする。
 3羽以上でもいいけどね。見た感じとか折りやすさとかいろいろ考えると、1羽か2羽が妥当だろうなぁ。ここでは、1羽と2羽ということにしておこう。
 これ、どちらも可能です。いずれも1枚の紙で、折れるのです。「一枚の紙で二色の折り鶴」というだけだと、どちらか特定は難しい。キーワードを素直に受け取れば、1羽2色パターンの可能性が高そうな気はする。だけど、そうとも限らない。
 冒頭で「曖昧な部分はある」と書いたのは、そういうわけだ。
 連想は複数あるけど、ついでだし、難しくないからどっちも折り方を載せちゃう。ただ、一度に載せると記事が長くなるので、ひとつずつにしておこう。

 まず今回は、1羽2色パターン。
 1羽2色パターンには、様々なバリエーションが考えられる。今は、左右の色分けバリエーションを作ってみよう。他のバリエーションは、その応用でできる。
 折る前に、紙の準備が必要です。と言っても、ただ「折り紙を用意してね」などという準備ではない。表裏が違う色の紙じゃないと2色折り鶴はできないから、片面色付き(裏が白)か、両面折り紙などを使うといい。普通の折り紙を用意すれば、できますね。
 形は、正方形からスタートする。

 ちなみに以下、鶴はすべてマサキ式(仮)で折るのでご留意ください(「折り鶴の作法」参照)。あと、細かいひと折りひと折りは省略しますよ。またここでは、表が赤、裏が白の折り紙を使うのです。

 さて、正方形の紙が一枚。
 2colorOrizuru01.jpg

 これを、三角に縦横どちらも半分に折る。これは、山折りでも谷折りでもさほど問題はない。
 2colorOrizuru02.jpg > 十字に折り線が付きました。

 とりあえず、どちらかの辺のふたつの角を、両方とも裏でも表でも、同じ側へ折りましょうか。角は、十字の中心点に合わせる。ここでは赤を表に、表側へ。
 2colorOrizuru03.jpg > 片側の辺の両角を表側へ折ったところ。

 反対側の辺の角は、裏側へ折りますよ。裏返して折って、ひっくり返せばいいですね。すると、こうなる。
 2colorOrizuru04.jpg > 2色の正方形出現。

 ここからは、普通の折り鶴と同じである。
 ただし、尾頭と羽の位置に注意が必要だ。先に、普通の正方形で説明いたしましょう。

 折り鶴は、対称の位置にある角が、それぞれ「頭と尾」「左右の羽」になる。
 下図の通りだ。
 2colorOrizuru05.jpg > 頭尾と羽の位置関係。

 これが頭に入っていれば、難しくはない。
 2色折り鶴に戻ろう。つまりこの紙の場合は、下図のようになる。頭と尾は、逆でもいい。逆にすると、羽の左右が入れ替わるだけ。
 2colorOrizuru06.jpg > 左右色分けでの正しい位置関係。

 2colorOrizuru07.jpg > 例えばこうすると、体の前後で色分けできる。

 互い違いにすれば、まだらな色分けもできますね。
 今は左右の色分けをしようと思うので、最初の図の位置関係になるように折る(繰り返すけど、頭と尾は逆でもいいですよ)。あとは普通に折ればいいので省略して、完成品を掲載いたします。
 2colorOrizuru08.jpg > 1羽左右色違いの折り鶴。

 はい、あまり綺麗ではないけど、完成です。
 これ、いろいろ細工をするともっと綺麗になるんだけど、何もせずに普通に折ると、だいたいこんなもんだね。折った時の紙の厚みが影響してくる。

 もっと綺麗に折ろうと思ったら、糊付けするのがオススメかな。
 最初に2色の正方形を作った時に、糊付けをするのだ。それだけのことで紙にズレが生じなくなる。ちょっとした最初の一手間で、翼も首も上の写真のようにズレることなく仕上げられるのだ。
 普通の糊でもできるのだが、こんな時に僕はいつもボンドを使っている。扱いやすいし、注入するにも伸ばすにも楽で、糊より乾きやすくて、紙がクタクタになることもない。
 そうやって折ったのが、下の写真の鶴である。光が当たって、首や尾が白っぽく写ってるけど、まぁご愛嬌といったところで。

 2colorOrizuru09.jpg > こんなふうに綺麗になる。

 おしまい。

 2羽2色パターンは、また次回。


※ 別記事の通り、便宜上「マサキ式(仮)」と書いた折り鶴の折り方は、オリガミアンなどにはよく知られた方法です。

一寸先には何がある

 今年も終わりますね。あと3日。
 社会的な話題も、いろいろありましたねぇ。
 明るい話題では、テニスとか、フィギュアとか、ノーベル賞とか。
 一方で、豪雨や土砂のみならず、台風も火山の噴火もあって、災害が続いた。地震も頻発。
 非常に訳のわからない政権に唖然としたりもした。これはまだ継続中で、来年はさらに口が塞がらなくなることだろう。

 個人的には、特にこれという大きな出来事は、あったような、なかったような。

 そういえば、今年の一番高い買い物ってなんだろう。
 常用、もしくは半常用してるものかもしれないなぁ。顔に使うローションとか、薬とか、そういう類いのもの。
 と思ったのだが、Mac のバッテリーがあるな。バッテリーが膨張してたので、ようやく交換した。長らく放置してたけど。これが 12,824円かかってる。
 でも、洋服とかシューズなどではないんだなぁ。服飾類だと、シューズかな。1足、6,000円くらいで買った。
 お買い物はそんな感じで。

 ほんで、特筆すべき大きな出来事はなかったけど、僕の環境に変化はあった。デカイとは言えないけど、小さくもない変化がね。
 それは、合唱との関わり方である。
 詳細についてはここでは控えるが、個人的な事情で多少距離を置くことにした。今も団体に協力はしてるけど、正メンバーではない。
 発足当初から長く関わってきた。でも、今は僕の気持ちが、正メンバーとして席を置くには少々しんどいのだ。だから、無理言って外してもらった。
 あの手この手の提案をもらったけどね。それをやんわりと避けつつ。

 先に書いたように、個人の問題であって、団体自体の問題ではない。
 それはそれで問題はあって、リーダー的な人がその立て直しを図っている。とはいえ、僕の最大の事情とは関わりがない。

 思えば、発足時から在籍してるメンバー、減ったよなー。
 発足メンバーがいなくなるのは、悪いことじゃない。メンバーが入れ替わりながら存続できるかどうか、存続して有意義な活動ができるかどうかが大切だと思う。
 問題は、常に発生しうる。それをうまく解決して、次に向かわなきゃね。今までもそうしてきたから。

 それはともかく、今後、僕のこの「事情」がどうなっていくのかわからない。
 自分の気持ちが落ち着いたら、また正メンバーに戻してもらうこともあるかもしれない。今はまだその時ではないが。
 とりあえず今は、準メンバーのような今の立場が気に入っている。精神的に楽だから。これはなかなか大事なことである。

 人生、何が起こるかわからない。

 年内最後の更新です。
 よいお年をお迎えください。

自分を知る怖さ

 このところ、ゲイ関連の検索がちょこちょこ入っているようで。
 まぁ、そういう記事をアップしてるからなー。当初の予定と内容がちょっと変わってきてる気もしなくもないけど、そこはそれほどこだわってもいない。成すがままとでもいうか、少し違うけど、まぁそんなところ。
 今のところキーワードを分類するには至らない程度だが、「自覚したのはいつの日か」にたどり着くものが多い様子ですね。この記事は、僕のすごくもやもやなゲイを自認する過程に触れたものだ。
 それと重複もするけど、もう少し一般的な話も加えつつ、その怖さについて書いてみよう。でもこれをクソ真面目に書くと、書く方も、そしてたぶん読む方もしんどいので、なるべく重さは軽減しつついきたいと思います。

 物事の自覚というものは、えてして曖昧で、なかなか難しいことだと思う。
 曖昧というのは、いつ自覚したのかわからないことが、たくさんあるからだ。連続した物事の中では、違いの境は曖昧なものだ。ハッキリ色分けできないことって多いよね。成長に関して言えば、自分が異性に惹かれはじめたのはいつからか(ヘテロの場合)。思春期は、いつ始まったのか。反抗期は? 少年と青年の境は? 時期的な区切りが曖昧なことって多い。
 あるいは、自分の性格とか。他人から見て自分の性格はこうだと思われていたとしても、自分にその自覚はないかもしれない。たとえそれを指摘されたとしても、自覚できるとは限らない。自覚というものは、簡単なようで難しい。
 感覚的に捉えること、あるいは捉えてしまいがちなことほど、自覚は曖昧になるように思える。それが時節を伴うものなら尚更だ。

 ゲイ、広く言えばセクシュアリティについての自覚、性自認に至る過程もまた、はっきりしなくても不思議じゃない。むしろそれが自然で、当然のことなんじゃないかな。

 曖昧さがごく当たり前のように思われるわけだけど、一方で「ゲイに目覚めたきっかけ」を具体的に挙げる人もいる。
 ここではそれについて、深く追求はしない。でもこれは、「気付いた(自覚した)きっかけ」であって、ゲイとして生まれてたんだけど、ずっとそれに気付かないままだっただけかもしれない。理由や状況もいろいろだから、単純に判断はできないけどね。ただひとつの解答があるわけではなくて、何が「本当」なのか、本人にもわからないことかもなー。
 これだけでも簡単な話じゃない。

 いずれにせよ、通常はゲイの人は、自然と男が好きになる。レズビアンなら、女が好きになる。
 同性愛者にとっての自然さが、同性に惹かれることなのだ。誰から教えられたわけでもなく、ヘテロが異性に惹かれるのと同じでね。

 でも、自然だからこそ、ここに苦しさが生まれる。自分にとっての自然さが、まわりの大多数にとっては「不自然」なことにされるのだから。
 ヘテロだったら、周囲の人のほとんどが同じヘテロなので、情報や感覚を気軽に共有できる。「クラスのA子さんはかわいいよね」「昨日のテレビのダレソレ綺麗だったね」「芸能人なら誰が好き?」なんていうような、友達と交わす何気ない会話。ごく当たり前で、たわいのないことだ。
 これはそのまま、自己肯定感を強める助けになる。「自分はこれでいいんだ」という肯定は、安心感にもつながる。自信にもなる。自分の存在を、認めることができる。
 だけど僕らは、それができない。自分にとっては自然なことが、周囲からは不自然なこととして見られてしまうから。奇異なものとして否定されたり、好奇の目にさらされたり、異常だとして非難や軽蔑をされたりすることだってある。
 共感はおろか、自己肯定すらできなくなる。辛いね。

 ゲイって、いつ頃ゲイだと気付くものだろう。
 これはいろいろです。十人十色です。だけど、小学校中学年から高学年あたりで...という人は少なくない。自覚の程度はともかく、なんとなくおぼろげにでも、自分は男に惹かれるなと感じ始めるのだ。たいていは、中学くらいまでには気付くかな。大学生になってから...なんていう、遅い人もいるけどね。
 僕の場合、強い自覚はなかったけど、それは小学3年の頃だ。当時、ハッキリ気付いていたわけじゃなくて、思い返せば...なんだけどね。以前、書いた通りだ。
「年齢が低いほど異常じゃないか」などと考える人がいる。まったくもって理不尽なことこの上ない。そもそも同性愛は異常ではないし、自認する年齢なんてさらに無関係だ。
 これは身体的なことではないけれど、声変わりや第二次性徴に個人差があるのと似たようなものだ。女のコに惹かれ始める男のコの年齢に、個人差があるのと同じことだ(もちろん、逆もまた然り)。

 だけど世間一般には、ゲイの少年が、ゲイをごく普通のものだと理解して安心するには、情報が少なすぎる。まわりの理解もない。あるいは、理解があるのかないのかわからない。五里霧中なのだ。だからおぼろげな自覚が進むほど、自分はどうかしてるんじゃないか、頭がおかしくなったんじゃないかと不安になってしまう。
 そんな時は、手近なものでこっそり調べてみたり、ふとした拍子に知識を得たりする。辞書や辞典、保健の教科書などがその代表格だ。
 辞書で関連語を調べてみるとか、同じことをしたことのある同性愛者は多いんじゃないかなぁ。もしかしたら、まわりに「仲間」や「理解者」がいないことで怖れを感じていた人ほど、こんなことを細々と調べて、悶々としちゃうかも。
 しかし不幸なことに、辞書は本当のことを教えてくれない。辞書に限らないけど、それが正しくない情報であることも多いのだ。
 特に昔はそうだった。今でこそ大半の辞書がより正確な記述に書き改めているが、「同性愛」はもちろんのこと、その他広く関連する言葉の説明(例えば「恋」など)が、昔の辞書は実に不正確で、一面的であった。それは、広辞苑のような世間に広く支持されている辞書でも同様だ。
 古い版の辞書を開いてみるといい。そこには「異常」「一過性」「精神的」「病」などといった言葉を見ることができる。すべて誤りです。
 こんなものを見たら、自己否定しかできなくなる。

 正常と異常という言葉もまた、曖昧だ。
 基準があってないようなものなんだよね。普遍的な基準があるわけじゃない。あるのは、その都度違う基準なのだ。
 あることを「正常」とした時、それと異質のものは「異常」とされる。しかし視点を変えれば、正常と異常はひっくり返る。真っ逆さまにひっくり返ってしまう。そんな例は、身近にたくさんあるものだ。機械の動作の正常・異常とは違うのだ。
 同性愛なら、ヘテロを正常とすれば、ゲイは異常とされてしまう。だけど生物として異常なわけじゃないから、この説明は正しくもなければ正確でもない。もちろん、どちらも正常だ。

 いろいろな難しい問題を孕んでいるのに、若い人ほど知識を得るのが難しいのが現実。
 自分に正しい知識も何もなかったら? まわりがゲイを自然に受け入れる環境でなかったら? そんな状況が当たり前にあるわけだけど、そこでは、自分が正常だと素直に思うことができない。自分に自信が持てない。
 まわりに受け入れられることのない自分。それは同時に、自分を知られる恐怖でもある。

 僕は子供の頃、テレビや雑誌で見かける「同性愛者」に、共感などを感じなかった。
 彼ら自身がダメなわけではない。メディアに露出される彼らが、極端な例であったり、昔思われていたステレオタイプ的な歪みを含むイメージのゲイやオカマであったり、笑いに転化されたものであることが問題なのだ。
 自分が「普通」に過ごしているだけに、その異質性に戸惑いがあった。自分が男が好きであることと、彼らの性的指向とは、何か違うんじゃないかと思ってしまうのだ。単なる「ネタ」との違いのような。自分と違いすぎていて、なんだかよくわからないけど、あの人たちと僕とは違うな...と。
 そう感じざるを得なかった。当時はそれを、漠然と「何か違うな」と感じていたわけだけど。

 こんな案配なので、自分が何者か知ることは、恐怖も伴う。しかもその怖さは、自分を知り、自分を受け入れる怖さだけじゃない。
 自分が受け入れられない日常がある。それは、まわりから暗に否定されることでもある。まわりからの無言の圧力を感じて、恐怖感にさいなまれる。
 おかげで、相乗的に恐怖感が強化されてしまう。純粋に自分を知ることだけでも怖いのに、まわりからの否定が加わるから、恐ろしくてたまらなくなるのだ。悲しいことにね。

 ここに書いたことは、個人の体験・告白を織り交ぜたものであって、誰しもが同じ体験をし、同じ感覚でいるわけじゃない。だけど、似た経験をした人が多いのも事実だ。
 他のゲイの人が書いた本や告白とてそうだ。当然ながら何かしら僕とは違うわけだけど、そこには共感できる部分もいっぱいあるんだよね。細かいことは違っていても、大枠では似てることもよくある。

 今でこそこうしてあれこれ書いたりできるけど、あの頃はしんどかったなー。毎日普通に、でもあまり目立たないように過ごしながら、心の中では常に恐れていたしね。バレるんじゃないか、バレちゃいけない、自分がよくわからない、どうしたらいいのかさっぱりわからない、怖くてしんどい...。
 それでも自分は、「普通に」自分としてあるのだ。その自分と周囲との違いのおかげで、学校や家庭での日常が、まるで牢獄のようになる。
 オトナはどうとでもなるかもしれない。子供にこそ、こういう苦しみから逃れられる方法が必要なんだろうなぁ。

羽も翼も軽やかに

 feather という iOS の Twitterクライアントがある。これがバージョンアップで使いやすくなってて、最近悩ましい。

 feather の特徴といえば、まずはタブということになるだろう。
 いろいろな TL を、タブとして表示できる。リストを多用する人などには、嬉しい機能ですね。昔は僕もリストを盛んに切り替えていたので、あの頃これがあったら便利だっただろうなぁ。
 今もリストは使うけど、切り替えながら使うことがなくなった。iPad ではひとつのリストを表示しっぱなしで、メインTL や他のリストを見ない。iPhone でも、必要になったらリストを使うくらい。というか、そもそもメインTL をリストのように使っているので、こうなったんだけどね。昔は他に一番よく見るリストがあって、それと同じものをメインTL に表示したのだ。だから、リストを切り換える必要が少なくなった。

 しかし、リストを多用せずとも、feather のタブは使いやすい。
 SOICHA とか The World なども、リストを含む複数の TL を並べて、切り替えて使える。でも、たいていは TL を順に繰らなきゃいけない。表示したい TL に、即座に切り替えられないのだ。不要な TL を経由するなど、ストレスになる。これが、メインTL にリストと同じものを持ってきた理由のひとつでもある。

 feather のタブは、フッターを使う。フッターに、自由に並べることができるのだ。表示する TL も、順番も、好きなようにできる。ほいで、表示したい TL のタブのアイコンをタップすれば、即座に切り替えられる。
 マルチアカウント対応で、アカウントごとに色が違うので、見やすさも確保されている。フッターをフリックすれば、ページを行き来するようにフッターが入れ替わる。

 このタブは、相当自由度が高い。例えば DM の会話表示だとか、画像の表示だとか、検索結果だとか、そんなものまでタブにできる。
 ここまで自由だと、いろんな使い方ができますね。
 フッターに置けるタブは5コなので、アカウントごとにフッターを分けてもいいし、リストの関連性で分類してもいい。各々、好きなグループにまとめてページを入れ替えられる。

 僕はひとまず、裏アカと表アカのホームとメンションを並べてみた。
 これが超絶便利だ。アカウントを「切り替える」必要がない。ただ、フッターをポチンとタップすればいいだけだ。メンションなどを見るのと変わらないスムーズさである。
 本格的に使うようになった時には、アカウントごとにフッターを入れ替える方がいいかもしれないなー。

 現状、僕のタブは1ページに4つだけ。フッターの残るひとつは、新規ツイートボタンである。
 デフォルトだと、新規ツイートボタンがフッターの上に浮くように表示されている。これもタブとして表示できるので、フッターの右端に置いた。
 他のタブと違うのは、不動のタブになること。だからこれを置くと、他のタブが4コしか置けない。僕は困らないけど、タブの数が減るのが嫌ならできないことかもなー。

 と、こういった特徴があるわけなのだが、feather が悩ましいのは、他にもいろんなことができるからだ。僕にとってその筆頭は、アカウントをまたいだ操作だ。
 新規ツイートは、ヘッダーをフリックするとツイートするアカウントを切り換えられる。リツイートでも、ボタンを長押しするとアカウントを選択できる。前はできなかったはずなのだが、これで非常に使いやすくなった。

 他、いろんな動作をするので、場合によっては上の方にあるボタン類などに指を伸ばす必要もない。
 例えば、Safari などと同じように、ディスプレイの左端を右へスワイプすれば、前の画面に戻れる。設定次第では、タブボタンをタップしたら前の画面に戻ったりもできる(デフォルトでは「自動」で、状況によって動作が変わる)。あるいはツイートの入力画面では、ツールバーを下にスワイプすれば閉じられる。右上の「閉じる」を使わなくてもいい。
 iPhone6 は大きいし、スパスパ操作できる。

 こんな具合なので、通常の操作では、メインで使っている Tweetbot より気持ちよく使えてしまうのだ。
 同期できないなどの難点もあるが、非常に使いやすい。Tweetbot から浮気したくなる。

 未読数が表示できないけど、いくつかの不満は今後対応する模様。

 あと、個人的には以下のような希望はある。
 ・アカウント別の色を変更したい。
 ・新規ツイートのツールバーをカスタマイズしたい。
 ・Tweet Marker などによる同期

 ツールバーには、僕が普段使わないものも多い。また、よく使うものがスワイプしないと出てこない。だからカスタマイズできると、すごーくありがたいなぁ。
 同期は、クライアントをまたいで使えるから便利。これは Tweet Marker でもいいし、可能なら iCloud でもいいと思う。とりあえず既読マークへの対応だけでもできると、Mac で Twitter を使いたい時に、「どこだっけ?」ってならずに済むし。

 先行するいろいろなクライアントのいいとこ取りをしたような、それでいてスッキリなデザインで勝手のいい、使って気持ちいいアプリですね。

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