2018年8月アーカイブ

頭ひとつのオロチかな②

 前回の続き。

 次は、話が少しだけ戻るツイート(時系列の「戻る」ではなく、内容的に)。


〈これは私の勝手な憶測なのですが、S田何某議員のLGBTについてのご発言の意図は、

①日本の少子化問題を解決したい
②年々膨れ上がる財政規模を懸念している
③LGBTの方々を、奇妙な活動に利用してほしくない

だと思います。
「生産性」という部分は敢えて入れる必要は無かったかなとは思いますが〉



 なんとも都合のいい解釈である。
 勝手な憶測などというレベルのものではない。アクロバティックで手前勝手な、実に都合のいい話のすり替えだ。犯罪的と言ってもいい。

 何度も言うが、「生産性」という言葉を入れようが入れまいが、同じことだ。その発想自体にも問題はあるが、たとえこの一言を削ったとしても、その人の思想が変わるわけではない。論考が、中身のあるものになるわけでもない。
 もし仮に、K林氏の憶測の通りなのであれば、そう書けば済むことだ。直接的にね。それについてのみ論じればいい。
 だがあの論考を読む限り、明らかにK林氏の憶測は、論考の主題ではない。意図を読み間違えている。論考にセクシュアルマイノリティを引いてきている時点で、その薄っぺらさが透けて見えるというものだが、やはりそれにも思い至らないようだ。
 故意かどうかは知らないが、このツイートは、主題をごまかそうとしている言葉のように感じられてしまう。ごまかしではなく、本気でそう思っているのだとしたら、はやりこれも問題あり。
 だから、犯罪的なのだ。

 ひとつずつ指摘しておこう。

 ①について(日本の少子化問題を解決したい)。
 そもそも、少子化対策に LGBT を巻き込むのがおかしい。
 少子化の問題は、LGBT とは無関係にもっと遥かに広範囲で、多岐にわたる問題だろう。それを、まるでセクシュアルマイノリティが存在しなければ解決するかのように言うのは、まったく理解できない。
 そうは言っていない...と言い訳するかもしれないが、ならば無関係の事柄を引いてこなければいい。擁護などもしなければいい。あのような見せかけの「擁護」パフォーマンスは、むしろ迷惑でしかない。
 以下省略。

 ②について(年々膨れ上がる財政規模を懸念している)。
 財政規模に対する懸念もまた、LGBT と関係しない。他に検討するべきことが...などと言うのもばかばかしくなる。関連付けること自体が、非常にナンセンスなのだ。
 諸所のことを考えれば、今後その規模はさらに膨れ上がっていくでしょうね。しかし問題の解決は、別のところに求めるべきである。昨今のあちらの様子は、解決するつもりがあるのか甚だ疑わしいが。

 ③について(LGBTの方々を、奇妙な活動に利用してほしくない)。
 S田氏は LGBT の理解者ではないし、基礎知識もないし、S田氏に援護して欲しいとも思わない。それをまるで LGBT の擁護者であるかのように書くのは、ほとんど悪意すら感じる。
 重ねて言うが、S田氏は断じて理解者ではない。実情は、まったく逆にある。擁護など、むしろ絶対お断り(正しい知識を得て認識を改めない限り)。
 奇妙な活動に利用しているのは、まさにS田氏自身であろう。自分のおかしな主張のために便利に使い、嘘ばかり並べ立てている。セクシュアルマイノリティに対してマイナスイメージや謝った認識を植え付けることこそあれど、援護になることなど何もない。

 要するに、K林氏の憶測する①②③は、いずれも論点がずれている。正確性がないし、事実も無視だ。

 次。


〈S田先生は、子供を産む人は素晴らしい!と言っていたのではなく、どちらかと言えば子供を産むことに税金を分配したいと言っていたのでは〉



 言ってない。どうすれば、そう読めるのか。繰り返しにしかならないが、そう言いたいのならば、それを主題として論じればいいだけのことなのだ。
 LGBT を引き合いに出す必要性は、完全にゼロである。
 仮に論考の失敗をひとつだけ挙げるとすれば、これは最大の失敗である。ただし、当人は以前からそういう思想であり、その主張を曲げない人物であるし、あの論考に見るべきものは何もないので、実際には「論考全体がすべて失敗」だが。

 この他にも、少子化と絡めてあれこれ言う人が後を絶たないが、絡める意味がまったくわからない。絡めてどうするの? まったく意味を成さないし、何ひとつ解決しませんが。
 LGBT と少子化を同列のように論じたりするから、本質を見失う。何が言いたいのか、わからなくなる。LGBT の存在程度では少子化には影響を与えられないし、何かしたとしても少子化対策にはならない。そんなことでは、子供は増えない。
 どこを見ているのか、疑問ばかりが湧いてくる。見るべき方向がおかしい。

 まぁ、しかしそれも、当然とも言える。あの、わけのわからなさは。
 あれは、少子化対策という大義名分を振りかざすことで、LGBT を否定しようとするものだ。
 少子化問題を論じるふりをしながら、実は少子化は主題ではなく、それを LGBT の全否定の理由に使おうとしているだけのもの。因果関係を見失っているだけでなく、事実は無視、論点はズレる、思想は歪んでいるし、人道にももとる。そして発言者は、それに気付けない。いいことはひとつもありませんね。
 その魂胆は、まことに醜いものである。頭がおかしな人にしか見えないので、そのような発言はおやめになった方がよろしいと思います。

 最後。


〈議会での発言は言葉足らずであったと反省しております。
私の周りには小学生の頃から同性愛者の友達がおり、同性愛者の方々に向けての差別が日本にあるなんて考えたこともなく、発言してしまいました。
そして趣味という多義語を使ってしまったことも悔いています。
よく議論する必要がありますね〉



 何をどう突っ込もうかと、頭を抱えてしまう。言うことが酷すぎて、二の句が継げない有り様だ。

 K林氏が、議会において「同性愛は嗜好だ」「障害かどうかわからない」などなど、S田氏とまさに同じ思考による発言を延々とぶってみせたのだが、これは、それへの言い訳ツイートである。
 言い訳ブログがまたぶっ飛んでいるのだが、ここでは触れない。

 完全に錯誤である。

 言葉足らずかどうかとか、そういう問題ではないのだ。
 このツイートに限って言えば、的外れな反省に始まり、想像力の欠如(私の周りには〜)、無意識の差別と無知(同性愛者の方々に向けての差別が日本にあるなんて考えたこともなく〜)、基礎知識の決定的な不足と著しい認識の歪み(趣味という多義語を〜)等々、まるで錯誤と無知のデパートである。
 単に無理解なのだ。これらの事情すべてにおいて。
 以下、省略。



 最後に、上記の発言にも関係する「歴史」とやらの話を少し書いておきたい。
 このところ「同性愛者に対する差別は日本にはない」などと言ってのける人を、度々見掛ける。それらは想像力の欠如や無知の問題で、これ自体は、昔からちょくちょく目にすることがあった。
 しかしこの頃は、これに続けて、あるいはその前段階として、意味のわからない発言がくることが少なくない。

 例えば、歴史的事実を見誤った「中世からの伝統として社会が受け入れてきたから、日本には差別はない」といった、意味のわからないもの。一応指摘しておくが、完全な誤りである。加えて、そもそも江戸以前の話を引いてきても意味がない。
 壮大な妄想を、まるで歴史に基づいて論理立てて表明していますとでも言いたげに述べ立てる。まったくお笑いである。

 ここでは思うことの詳細は省くが、僕自身は、擁護においても否定においても、江戸時代やそれ以前の実情を引いてくるのは、あまり有意味だと感じない。
 昔の日本はどうであったかを知るのは、悪くない。歴史を知ることは、大切なことではある。昔はそうであったが、翻って今はどうか...という視点も、あっていいだろう。
 しかし、「だから今でも...」というようなつなぎを持たせることには、疑問を持つ。特に、S田氏やK林氏のような論調においては、疑問は大きくなる。
 昔はどうであれ、今現在どうなのかが最も問題なのだ。それを見誤っては、元も子もない。現実を無視する態度は、怠慢といって差し支えないだろう。
 こうした人たちは、やはり有害である。

頭ひとつのオロチかな①

 先のS田氏の月刊誌への寄稿に関連する話、そこから派生する話は2回でやめようと思っていたのだが、もう少し書くことにした。
 その後のK林何某氏のツイートがとてつもなくおもしろすぎるので、これをこのまま流してしまうのはあまりに惜しい(褒めてない)。宗教と化した超個人的思想世界の無知なマスターベーション思考を全体的・一般的常識のように語る典型例として、非常によくできているのだ。
 他の話、セクシュアリティ以外の話はよそに置いておくとして。
 この二人は、セクシュアリティに関して、思想的に非常によく似ている。性格はかなり違うようだが、これに関する言動で、自己愛的にマスターベーションに興じる様は、コピペしたかのような同質性がある。
 そういう意味では、ぶっちゃけ前回の繰り返しである。

 関連で、某幹部などの発言も非常におもしろいことになっている(やっぱり褒めてない)が、ここではあまり触れずにおく。

 少し期間が開いてしまったネタである点は、ご了承いただきたく。もっとも、たとえ時間が経っても当人らの意識が変化しているわけではないので、ネタとして古ぼけることもない。
 また、あれこれ挙げて噛み付いてみたので、またまた長くなる。今回も2回に分けることにする。

 引用しながらコメントするつもりではあるけれど、指摘できる点はおおよそ共通している。
 いくら言葉を替えても、高尚そうにしていても、根は同じ。

 いくつかの点をまとめると、

・基礎的な認識、知識が欠けている
・事実に基づかない発言である
・LGBT と少子化には本質的に因果関係がないが、まったく考慮されていない
・S田氏の論考で最も問題とされるべきは、優生思想である
・事実のすり替えが行われている
・論点のすり替えが行われている
・私的な知人のごく限られた話を、全体の話に強引に転換している

 等々、大変お粗末である。

 では具体例を見てみよう。
 まず、ひとつ(いつものように、名前は英数を含むものに変換いたします)。


〈S田何某先生のLGBTについてのご発言、確かに「生産性」という言葉の響きはきつかったかもしれませんが、言葉だけ切り取らずに文脈を見ると、あの「生産性」は「子供を産めるかどうか」という意味だとわかります。
言葉を文脈から切り取り、感情的になり過ぎてはいけませんね〉



 もう、笑うしかないのである。冷笑である。
 わざわざ「文脈を見ると」などと言わずとも、まさに「子供を産めるかどうか」ということそのままであって、わかりきったことだ。「そういう意味だから大丈夫」とでも言いたげな様子に、ほとんど興ざめする思いだ。

 この言葉や言い回し自体も、充分に問題があろう。だがしかし、本質的にはそういう問題ではない。「言葉の響き」とか「切り取るな」とか、どうでもいいことなのだ。
 要するにS田氏もK林氏も、これらが優生思想と同義であるとの意識はまったくお持ちでないということなのでしょうね。この二人、驚くほど同じことを言うし、もともとよく似た考えをしていらっしゃるようなので、当然ではあるのだが。
 これでは辞めろといわれても、仕方がない。擁護すべきところもできるところもないので、どうしようもない。

 ついでに触れておく。
「議員が簡単に辞めていては議論にもならなくなる」などと言う人もいるが、「簡単に辞めろ」と言っているのではない。また、議論をしたくないわけでもない。政治家らしからぬ人がそこにいるのだ。失格者を、失格者のまま祭り上げたままにしておこうという認識の方が、僕には理解し難い。
 その上の者は、それに見合うだけの対処を施すことに、何の躊躇がいるのか。それができないのだから、彼らは同じ穴の狢でしょう。
 僕自身は、辞職についてシュプレヒコールを挙げようとしているわけではないが、当の発言者とその擁護者の皆様方の体たらくはあまりに情けないと感じる。辞めてしかるべきとも思う。
 政治家が語ってはならないことを語っているのだから、自らそれなりの身の施し方をするほうがよほど清潔で、有意義なのではなかろうか。

 重ねて言うが、議論をしたくないのではない。
 K林氏はリプライに対して「議論すること自体がタブーになってはいけませんね」とも述べているが、論点がおかしい。
 有意義な議論は歓迎するが、そもそも彼ら・彼女らとは議論にすらならない。なぜなら、基礎的知見がまったく欠けているからである。問題は、「議論」以前にあるのだ。
 それゆえか、議論にしてはならないようなことを平気で持ち出す人が、あまりに多い。結果は当然、おかしなことになる。初歩的事実の正誤に終始して、それ以上の、求められるべき議論にならない。なるわけがない。認識を誤っている者が、常に認識を改めようとしないのだから。正しい知識を得ようとしないのだから。
 議論をしたいのであれば、「議論すること自体がタブーになってはいけない」などとうそぶく人たちこそ、議論に必要な最低限度の知識をまず身に付けるべきだろう。数字を知らないのに「算数」を飛び越えて「数学」やろうとでもいうような、無謀さだ。
「議論にならない」のは、「議員が辞める」からではない。
 誰もがその愚かさに気付けそうなものだが、知らないということを知らない人や、知らないのに知っていると信じ切っている人などは、その無謀さにも気付かない。まさに「宗教」でしょう?

 次に移ろう。


〈私の周りのLGBTの方々は、有能で仕事ができたり才能があったり、尊敬できる方ばかりです。
何よりもきちんと納税しているし、「そういった意味での生産性」はとても高いです。
「あの本の中の、あの文脈での生産性」の問題を飛躍させ、必要以上に嘆き悲しみ怒ることは間違っていると思います〉



 いやあ、まったく何を言っているのだろう。頭は大丈夫なのか、本気で心配になってくる。
 セクシュアルマイノリティを擁護でもするつもりのようだが、まったく擁護になっていない。納税しているかどうかが問題なのではないし、セクシュアルマイノリティについての認識がもともと間違えている。こうした間違いに基づいて都合よく話を展開するのだから、続く話も意味不明となるのは必定である。
 その立場の人物が、この程度でしかない。認識も、発信の内容も。しかし同時に、この無茶苦茶ぶりがわからない人がまた、少なくない。
「生産性」の言葉の意味を飛躍させているのは、他ならぬK林氏自身であろう。まともな知識と感性お持ちならば、ここは先輩であろうと「そのような思想は間違っていると思います」とでも指摘しなければならないところ。やるべきことが、真反対だ。

 次も、関連でツイートされていたもの。


〈子供を持つ・持たないなんて、その人の自由だと私は思う。
前にもTwitterに書いたが、様々な事情から持ちたくない方も多い。
その気持ちもわかる。
私も子供を持つかどうかわからない。
ただ、移民大国スウェーデンに留学していた身からすると、人口が減り、国が滅びていくことを懸念せざるを得ない〉




〈子供を望まない方は持たなくてもよいし、子供を望む方には、ストレスや経済的負担をできるだけ感じることなく持ってほしい。
厚生労働省のデータでは、子供を望む方の4割が「3人欲しい」と答えたというし、一政治家として、産みたい人が産める社会を作りたい〉



 それ、セクシュアルマイノリティと関係ありませんよね?

 直接的にセクシュアルマイノリティを指して言っていることではないが、暗に擁護しているつもりにでもなっているのだろう。
 もしこれが、まったく別の場面で独立的に発せられていたら、それほど気にならなかったかもしれない。しかし、この流れの中だからこそ、大きな違和感を感じてしまう。これについては、この後でも触れる。
 結局、何が言いたいのかわからない。

 こういう無関係のことを、なんだか関係していることのように平気で引いてくるおかしな人が絶えない。関係しているというのなら、何がどう関係しているのだろう。本質も論点もズレている。
 子供を安心して産める社会、どうぞお作りになってください。これは喫緊の課題でもあるし、早急にね。「作りたい」とかツイートしてても、具体的なものに繋がるかは甚だ怪しいが。
 本気でそのつもりがあるなら、この文脈で少子化に言及したのは明らかな失敗だ。関係があると思っているなら、認識が甘すぎる。これぞ、本末転倒である。
 また、こうした点を横に置くとしても、それ以上のものがない。子供を望む・望まないとか、身体的な理由などで望めるかどうかとか、どうでもいい。同じ触れるのなら、問題に対してどうするのか、策を示せばいい話だ。まるで、こうした方たちが大好きな「策を示せ」の通りである。しかし、そのような提言などは、何もない。

 続きは、また次回。

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