生産ラインの子供たち①

 出ましたね。
 雑誌への寄稿において、どこかの議員殿が、セクシュアルマイノリティの人たちを指して「生産性がない」とし、そこに税金を投じることに疑問を示した論考である。
 これに関する批判的な指摘が、方々でなかなかやまない今日この頃。まぁ、S田氏が何か言ったところで、今更驚きもしないが。情けないことに相変わらず...といったところ。

 こうした「意見表明」が出るたびにここに取り上げているわけではないが、今回はいくらか絡んでみよう。
 順に文を挙げながらちまちま指摘していくこともできるけれど、そこまではしない。本当に最初から最後まであらゆる事柄を混同し、酷くまたつたない、とても論考とは呼べないものなんだよね(ここでは続けて「論考」と呼んでおく)。また、逐一指摘しなくても長くなるので、2回に分けることにする。

 冗談でもなんでもなく、言ってることがサッパリわからないレベルの話なのである。
 ご本人の資質だの無知ぶりだのは、ここではいちいち指摘しないことにする。特にこうした人たちの無知ぶりについては、過去に何度も書いている通りだ。これにも、それがそのまま当てはまる。
 ぶっちゃけ、そんな無知・無能を晒して恥ずかしいことだなぁ...と思ったりもするんだけれど、当の本人は露ほどもそうは思っていないものだ。ますます恥ずかしいことだなぁ。
 もっと簡単に言えば、頭がおかしい。それに対して無言を貫く、もしくは支持をする周辺の人たちも、同様でしょうね。
 あれが「政治」だと思っているのなら、やっぱり頭がおかしい。

 生産性とやらに価値観を求めているようだが、これ自体もう理解に苦しむ。生産性って、なんですか? 何を指す生産性ですか? なぜここで、生産性が重要ですか?
 子供を「産むことができない」から、どうしたというのだろう。人間としての存在価値と、何か関わりがあるだろうか。あると思っている人は、既に差別主義者と言っていいだろう。そして、それを生産性と言い表すセンスも神経も、僕にはわからない。

 本来ならば、そのようなことが重要なのではない。別の話をすべきなのだ。この論考は、本質を大きく外した論考である。故意にではなく、当たり前のこととしてこれをやってしまうところがまた、非常に怖い。
 重ねて言うが、あるべき話は、S田氏が問題にしようとしているようなものではない。生産性がどうかとか、税金の投入がどうだとか、それが重要なわけではないのだ。
 なぜ、そんな話になるのか? なぜ、それが重要事項であるかのように訴えるのか? 何も理解できていないからであろう。

 セクシュアルマイノリティの人たちも、一枚岩ではない。いろんな考えの人がいる。細部に至るほど、その違いは多様になる。それこそ、個人の自由だ。当然のことだ。それでいい。
 それでも、望むこと・言いたいことを最大公約数的に集約すれば、極めてシンプル。「不自然な格差の是正」とでも言い表そうか。普通に生きたいだけ。ただそれだけなのだ。
 無能で無理解な人たちは、その「不自然」さがわからないわけだけど。残念なことに。
 要するに、「差別」はやめてよ...ということ。当然の、当たり前のことを言っているにすぎない。

 もう少し付け加えて言い換えるなら、支援してくれという話じゃない。支援に疑問を呈しているけれど、そもそも「支援」が重要課題なのではない。支援なり対処なりが必要な事柄はあるにしても、それだけで解決するなら、むしろ話は早いのだ。でも現実には、どうだろう。
 そうじゃなくて、法律や税制上の差別があって、だからそれをやめて...って話だ。もちろん、差別はそれだけではない。多岐にわたる。
 ところがS田氏は、話を「親の同意」のみに矮小化している。ここでも、混同が起きている。物事のごく一部のみしか見ていないことも、よくわかる。
 この点においてS田氏は、そちらに深く関わることのできる議員でありながら、それに触れることもない。個人的で歪な思想の披露と、偏狭な感情論に終始している。しかも、それらをあらゆる方向で混同した上で。
 これはつまり、自らの職務を完全に放棄していると言える。

 こんな時「普通に生きたいのなら、普通の人になれば?」などと返す人もいるんだけれど、そうした指摘は極めておかしい。
 セクシュアルマイノリティが「普通ではない人」という意識が、まずわからない。なぜ、そのような前提があるのか。既に普通の人ですが? セクシュアリティの違いは、人としての正常性や異常性を区別するものではない。

 この論考には「LGBとTを一緒にするな」と書かれているが、なぜそれが一緒にされているのか、つまりなぜ共に行動するに至ったのか、歴史的経緯もまったく知らないのであろう。そうした事情は、完全に無視である。なんとなく性的少数者同士が寄り集まっているだけだろう...という程度の認識であると推察される(付け加えておけば、「T=性同一性障害」という単純な記述も、正確には誤りである)。
 この意識、先程の「差別はやめて欲しい」という話と対立的だ。
「差別と区別は違うし、きちんと書き分けられている」かのように言う人がいるけれど、変ですね。
 差別と区別は切り分けるべきだと僕も思っているが、切り分けを間違えている人や、違うものだと言いつつ混同している人は多い。
 S田氏のように支離滅裂でアクロバティックな論を唱える人に、こうした区別が正しくできるとは到底思えない。文中で度々話のすり替えが行われているのだが、差別と区別の違いだけは別だなんて言えるだろうか。実際この方の思想は、差別と区別の混同が甚だしい。
 その極め付けは、「(Tは性同一性障害という障害であるのに対して)LGBは、性的嗜好の話です」という記述だろう。
 とんでもない大間違いですね。勘違いなどとも呼べない。セクシュアリティのことが、まったくわかっていないことを示す一言だ。嗜好ではなく、指向である。指向は、セクシュアリティに関係なく存在する(指向がないという指向もある)。
 この後に出てくる「なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう」という記述もまた、セクシュアリティについて無知であることを如実に表している。性が二つに収まるわけがないことは、もはや常識である。
 それに先立ち「(性表現が多様すぎて)もうわけが分かりません」とも述べているが、わけがわからないのはS田氏の頭の方である。LGBの性同一性障害者もいますが、さて?
 また、代表的な略称・総称のようなものとして「LGBT」という表現がなされるが、実際の意味は広く捉えられている。総称としての「LGBT」は、それが指す直接的なセクシュアリティだけを示すものではない。4つの頭文字では表現し得ないセクシュアリティも、そこに含まれている。

 書いていることのほとんどは今までの繰り返しになってしまうが、仕方がないかな。

 今回はここまでといたします。

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