2018年4月アーカイブ

諸悪なわけもないけれど

 ここでは、ひとまずシガーさんと呼ぶことにしよう。シュガーといえば砂糖だが、シュガーではない。シガーさん(仮・以下省略)。プカプカふかして、煙を吸って云々するアレである。

 少々前の話だが、飲食できるあっちゃこちゃでウンタラカンタラする「規則」のごときものの形だけはできあがってきた。
 だがしかし、なんとも中途半端なものが出てきたなと思う。

 正直なところを言おう。
 僕は、吸う人が悪い人だとは思わない。吸うことが悪いことだとも思わない。だから、滅びろなんて極端すぎて、とても賛同できない。
 吸いたい人は、吸えばいい。
 しかしそれでも、目に余る行為を度々目にするのも事実で、好ましくは思えない。

 ぶっちゃけ要するに、配慮があまりないと感じるんだよねぇ。

 シガーさんを愛する人からすれば、既に世間は冷たいし、肩身が狭いと思うだろう。
 それがまったくわからないではない。なにかと槍玉に上げられたり、批判に晒されたりで、リラックスしたい場面でそれができないかもしれない。
 不満も募るだろうが、それでもやっぱり配慮のなさは感じる。その感じ方は、けして弱くはない。

 肩身が狭いといっても、実はそれは、狭いと錯覚しているだけかもしれない。旧来がシガーを愛する人に甘過ぎただけで、身に付けるべきマナーが身に付いていない、あるべきマナーがないままだったのかもしれないがために。
 自由に吸えない過ごしにくさを感じたとしても、その「自由」は、配慮のある自由なのだろうか。最低限のマナーに裏打ちされた、多くの人に認められる自由なのだろうか。
 自由というより、勝手気儘に振舞っていただけではないのか?

 少なくとも、シガーを愛する人たちに、自覚のなさがかなりあるのは間違いない。全員とはもちろん言えないまでも。

 例えば煙。
 シガーさんの匂いや煙は、驚くほど遠くまで漂っていく。
 きっと、シガーさんを愛する人には、なんでもないことだろう。気にも留めないし、気にする必要もないと、当たり前のように思っている人は多いのではないだろうか。

 外で吸ってるんだからいいじゃん。外で吸っていれば迷惑掛けないよね、掛けてるわけないよね。どこかで、そう思ってはいないだろうか。
 しかし、そうではないのだ。繰り返すが、シガーさんの匂いや煙は、驚くほど遠くまで漂っていく。まことに。

 だんだんと薄まるとしても、広く拡散して届くこと自体がわからない。わからないし、無関心だろう。
 嘘でしょ? と言いたくなるであろう遠く離れた人にまで届く。なんでそんなことがわかるんだ...って、それは見なくても匂いに気付くし、吹かしているのがわかるからだ。遠くで吹かしている人がいることが。
 例えば、コンビニの入り口に灰皿があるとしよう。今時、そんなコンビニはそうそう見ないが。
 街中のあまり広くないコンビニを基準にすると、その数倍以上の広さの店の一番奥にいたとしても、吹かしているのはわかるだろう。
 まさか、そんなぁ、届くわけないや...と言われそうだけど、わかるもんはわかるし、あまりいい気はしないから仕方がない。いや、マジで。
 これはなにも、特殊な能力を身に付けた人たちだけのレア機能なわけではない。シガーを愛する人は鈍くなっててわからないかもしれないが、そうでない人で普通に鼻が健康的ならば、たいていは気付けるものと思われる。
 実際、僕だけが気付くわけじゃない。

 結局のところ、まわりに無頓着なんじゃないかと。

 無頓着といえば、歩きシガーさんも迷惑だ。
 あれも、誰にも迷惑を掛けていないつもりなんだろうけど、とんでもない勘違いだ。
 煙を撒き散らせば当然まわりに浴びせることになるし、後ろを歩いている人は煙の塊にまともに襲われる。その上、燃えるシガーさんは、子供の目線の位置まで下がる。
 おまけに歩きシガーさんをする人は、高い確率でその亡骸をポポイッと投げ捨てる。全員がそうだとは言わないし、前述の無頓着な人の数よりは絶対数が少ないと思われるが。

 これじゃ、印象が悪くなっても仕方がない。自ら印象の悪さを呼び込んでいるようなものだ。
 投げ捨てたりしない人は、そもそも歩きシガーさんをしないのかもしれないね。

 また、例えば周りを囲まれて、一方あるいは二方のみ閉じていないテントなどがあるとしよう。同じように、壁に囲まれた場所でもいい。
 シガーさんを愛する人たちは、そこで愛し合うことに何のためらいもないだろうし、何も悪くない・何も迷惑を掛けていないと、当然のように思っているだろう。
 でもね、ある程度の閉鎖性のある場所だと、多少風の通りがあったとしても、そんなものでは簡単には「痕跡」は消えない。なかなか匂いはなくならないし、それが建物の入り口にでも続いていれば、その中にも入り込んで行く。中にいれば、外で愛してる人がいるんだなと、見なくてもわかる。
 どこか一方以上が閉じた場所を例に挙げたが、仮に四方が開放されたテントであっても、似たことは起こる。
 シガーさんが漂わせるものは、そうしたものなのだ。

 シガーさんは文化なんだから、目くじら立てなくても...と、そんな話を聞くこともある。
 いやいや。「文化なんだから」と言える、それにふさわしい愛し方ができる人が、常日頃そうしている人が、はたしてどのくらいいるだろう。
 少なくともそれは、歩きシガーさんをしている人のことではない。外で愛していればいいことだよね...とだけ考えて、煙を撒き散らす行為に当てはまるものでもない。

 シガーさんを愛する人たちが嫌われるのには、それなりの理由があると思うのだ。
 だがしかし、一部の「嫌われ者たる所以の行為を繰り返す人たち」の影響で、そうではない人たちまで同類とみなされがちな点のみにおいては、同情を感じる。やっぱり素直にかわいそうだよね。
 そういう意味では、そこはシガーさんを愛する人たち全体で取り組むべきこと、できることもあるのかもしれないなぁ。

 自分は、シガーさんを愛してはいない。
 僕自身は、同席者が一言断りを入れてくれれば、OKしている。それだけでも、気持ちは違ってくるんだよね。

 ただ、本音としては、例えば飲食の席であれば、今は遠慮してくれ...とか思ってはいるけれど。
 だってさ、まさに「食事をしているところ」なんだから。なんで料理のいい香りがする中でタバコを吸うのか、わからない。わざわざタバコの煙で、おいしそうだと食欲をそそる香りや食事の楽しみを打ち消す必要がどこにあるのか、わからない。そんな感じ。
 そんなふうに思うくらいなので、よくレストランなどにある席は違えど仕切りがないという分煙は、まったく訳がわからないし、分煙の意味を成していないように感じる。
 あれ、やり方を根本的に間違えてると思う。ホントに。
 じゃあ、喫煙者が同じように感じるのかと言えば、感じてないことが多いよね。
 喫煙者は、概ね自分が吐き出すもの、吐き出されたものや自分の手元から拡散するものに対して鈍感だ。これ以上は言わない。

 で、例の「規則」に戻って。
 あれこれ書いてきたけれど、こうしたことが事実としてあるわけで、あれがなんとも中途半端で「配慮がない」ものだということは、一目瞭然だ。
 某業界には配慮したのかもしれないが、つまりはそれだけなのだ。

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