2018年3月アーカイブ

知らぬと居らぬは天と地と

 自分のまわりにゲイはいない...などと宣う人を見ることがある。自分のまわりにゲイはいないから、ゲイなどというものはいないし、一般的なものでもない...と。
 もし 5% 以上もゲイがいるのなら、身近にも必ずいるはずだけど、見たことがない。だから、その統計自体がおかしい。ゲイなどというものは幻想だ...。云々。

 はっきり言おう。そんな主張は、絵空事である。「自分のまわりにゲイはいない」という認識そのものが、むしろ幻想だよなぁ。
 他の記事でも触れたことがあるのだけど、改めてこれについて、掘り下げてみよう。

 自分のまわりにゲイはいない──。
 なぜ、こんな幻想を抱いてしまうのか。自分が知らないままだからこそ、起こることだろうなぁ。
 自分が知らないって、どういうことだろう。
 ゲイが、あるいはレズビアンが、自分のまわりにいないのではない。いるかもしれないけど、知らないだけなのだ。
 なんで知らないのか? 打ち明けられていないからだ。自分に対して、家族なり、友人なり知人なりが、いわゆるカミングアウトをしていないからだ。

 打ち明けられていない原因は、わからない。理由は千差万別、いろいろ考えられる。
 その人がそれだけの信用をされていないのかもしれないし、相手がカミングアウトに非常に臆病なのかもしれない。あるいは、カミングアウトする基準が、すごく厳しいのかもしれない。
 はたまた、例えば今ある友情をどうしても失いなくて、それがカミングアウトよりも重要なことなのかもしれない。その人に告白することが、社会的に、不要な不利益を自分にもたらすと思われていることだってあるだろう。

 同じ同性愛者であっても、カミングアウトに対する考え方そのものが人によりけり。けして一様じゃない。
 そこに環境だとか、友人関係に限らず人間関係での機微、その他諸々が加わってくるのだから、簡単にはいかない。良好な関係があるとしても、それだけではカミングアウトする理由にはならない人が、圧倒的に多いだろう。
 少ないながらも「歩くカミングアウト」というくらいオープンな人もいるけどね。

 いずれにせよ、自分は打ち明けられていないだけなのだ。
 本当はすぐそばにいるかもしれないのに、自分が知らないものだから、自分のまわりにはゲイはいないなどと思ってしまうのだ。

 このようなことを言う人には、ほとんどの人がなかなか打ち明けようと思わないだろう。
 ゲイを嫌悪したり、軽蔑したり、差別したり、ゲイに関することでなくとも普段から人格を否定する発言や行為を繰り返す。一般的な差別に敏感な人でも、同性愛に関しては例外的な態度を取る人もいる。そんな人に、積極的に打ち明けようなどとは、思わないものだ。ゲイだから、ではない。人なら誰しもそうだろう。
 信用できない人に、大切なことは話さない。

 ゲイを認めようとしない人ほど、冒頭のような主張をしたがる?

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