2017年9月アーカイブ

自覚する人、しない人

 過去の検索キーワードに、「ホモだと自覚しない人」とか「ホモとしての自覚」というものがある。「○○な人は同性愛者か」とか、そんなキーワードもある。
 何を知りたかったのか、正確にはわからない。わからないけれど、関連として思うことはいろいろとあるので、その一部を書いてみよう。
 ここでは主に「他人からの受け取り方・感じ方」の話をしますね。自分自身が、自分のセクシュアリティをどう捉えているか...といった話を絡めながら、しかしそれを主題にはしません。自分じゃなくて、他人がどうかって話(本人の自覚については、「自覚したのはいつの日か」「自分を知る怖さ」などでも触れています)。

 ゲイみたいに振る舞う。ゲイのように見える行動を取る──。
 それが本当にゲイの人に共通する言動かどうかはともかく、受け取る側が「そう見てしまう」振る舞いが、何かしらある(その意識や受け取りが、「正当」なものかどうかはともかく)。
 でも本人は、自分はゲイじゃないと言う。

 とりあえず「本当はどうなのか」は横に置くとして、ではそうした人はゲイなんだろうか。必ずゲイだと言えるのだろうか。
 自分はゲイじゃないという人であっても、まわりから「何らかの理由でゲイのように見えてしまう人」であれば、みんなゲイなんだろうか。
 結論めいたことを言えば、ゲイかもしれないけれど、ゲイだと断定はできないだろう。「ゲイのように見える人=ゲイ」ではないのだ。
 
 当の本人の意識として言えば、「ゲイだけど、ゲイだと認めない」のか「ゲイじゃないから、ゲイだと言わない」のか。
 さて、どちらだろう。そうした疑問はある。
 しかし、その疑問がどうであれ、たとえ傍から見るとゲイのように見えるとしても、それがどれほどゲイのような振る舞いであったとしても、ゲイだとは限らない。そんな決め付けはできない。断定なんてできないし、ゲイでなかったとしても何の不思議もない。

 素直に受け取れば当然わかるであろう事柄だけど、自分の思い込みを「唯一の真実」のように勘違いする人は少なくない。ほんでそうした人たちは、「ゲイでないはずがない」などと言ってしまう。
 そんな現実もあるから、もう少し続けます。

 まわりからの見た目や印象は、当たっている場合もあればそうでない場合もあるのは当然で、それだけで断定なんてできるはずがない。それは、「オカマのような人」だとか「女っぽい人」「女装する人」「オネエな人」など、よくある安易な指摘や思い込みすべてに当てはまる。
 類似する例を挙げれば、
・同性とキスしたがる人
・同性とハグしたがる人
・同性と手をつなぎたがる人
・同性と遊びたがる人
・股間のムスコさんを見たがる男
・オネエ言葉を使う男
 などなどまだまだ、いろいろありますね(ゲイを例にしてはいるけど、レズビアンとかにしたって同じこと)。また、「したがる人」と書きはしたけれど、「したことがある人」なども同様だ。
 これらはすべて根拠にはならないし、できない。
 そんなことだけで疑いなく判断できると思っている人は、改めた方がいい。100%間違いだとは言わないが、ただそれだけで断定なんてできるもんじゃない。
 更に言えば、安易な決め付けが、不幸な結果を招くことだってある。そうなってからでは遅い(これについては、あとで)。

 少し脱線して、先にチラと触れておいた自分のセクシュアリティに気付いていない場合の本人の意識としては、どうだろう。
 ゲイのように見えて、実際ゲイなんだけど、本人は自分のことをゲイだとはまったく思っていないことだってある。または、ゲイのようには見えなくても、実際はゲイで、しかし自分がゲイだとは思っていない...そんな場合だってある。だから当然、否定する。
 もちろん、そういう場合があるというだけで、それがすべてではない。
 ついでに付け加えれば、自分のセクシュアリティがよくわからないまま(大雑把にでも認識していないまま)だから、ゲイじゃないだろうと漠然と思っていて、とりあえず否定しているだけってこともあるかもしれない。
 何らかの理由で、自分がゲイなんだと認めたくなくて、認めない場合もある。認めるのが怖いとか、認めるのは悪いことなんじゃないかと思ってしまっていたりとか。
 理由や状況はいろいろあるけれど、本人が気付いてない・本質的にそうだと思っていないから、認めないことがある。それは確かにある。だから、本人の否定はあてにならない場合があることも事実だ。
 これを根拠のように「そうした人たちはゲイだ」などと言う人がいるかもしれない。だけどそれでも、それは根拠にならないし、できない。まわりの思い込みや安易な判断の方が、むしろもっとあてにならない。
 外見的な印象ほど不確実なものはない。コミュニケーションにおいては、大切なものではあるけれども。
 セクシュアリティは、外見的なものだけじゃないしね。セクシュアリティを表すもののうち、外見に依存し得るのはひとつだけ(それでも絶対的ではなく、曖昧さが残る)。残りのふたつは、目に見えない。
 その否定が、意識的か無意識的かはともかく、また本人の認識がどうであれ、他人が軽くあれこれ判断できるものじゃない。いずれにしても、本人がどうだろうと、他人がどうだろうと、この点には注意すべきだろう。

 あれこれ書いているけれど、結局のところ、他人にどう見えようが、当の本人のセクシュアリティとはさほど関係がないと思う。それだけのことだ。
 ただ、悲しいかな、「それだけのこと」がわからない人が少なくないという現実がある。
 外見的なものが直結する人も確かにいるけれど、そうじゃない人の方が多いと思っておいた方がいい。不幸な結果に繋がってからでは、遅い。

 ヤバイことって、いっぱいある。

 ゲイのように見える何か、感じる何かを、すべてゲイに直結させる人がいる。それどころか、「ゲイなの?」と聞いてみるだけならまだしも、「オマエはゲイだ!」と決めつけたりね。
 もしかしたら、偏見の強い人ほど、その傾向は強いかもしれない。
 しかし先に挙げたようないずれの行為も、既に書いた通り、ゲイと「イコール」で結ぶことができるわけじゃない。
 繰り返しになるけど、改めて言っておこう。
 この意味に、疑問を持つ人もいるかもしれない。「イコール」で結べないのがなぜなのかがわからない...という人も。
 物事が「A=B」のように簡潔にただひとつのものと結びつくとは限らないことは、自明のことだ。セクシュアリティもまたそうだし、ここで挙げたような例をすべて「ゲイの証拠」とするのは、あまりにも強引で軽率だ。
 それがわからないとしたら...その人には、かなり問題があるかと。

 自覚しないゲイがいても、おかしくない。
 でもだからといって、ゲイっぽいとか女っぽい男だとか、そんなことではセクシュアリティを判断できない。さらに、セクシュアリティを表現するものは3つあるとしても、実際にはそれほど単純なものじゃない。

 細かいことを言えば、例えばバイの可能性だってあるよね。どっち寄りかはともかく。同性に興味があるって意味ではゲイと共通点もあるけど、ゲイとも違う。DIG の場合もある。この場合が、最もヤバイ気がする。
 相手がどんなセクシュアリティであっても、不用意な一言が、その人を深く傷付けるかもしれない。安易な決めつけや判断は、想像する以上に危ないんじゃないかな。
 蛇足ながら付け加えておけば、「そう見える」のも、客観ではなく、主観なんだしね。しかもそれは、歪んだ主観かもしれない。