2015年11月アーカイブ

記憶と記録に残るもの

 今年も残すところ、あと1か月ちょっと。
 まだ年の瀬でもないしこんなことを言うのはまだ早いかもしれないけど、有名人の結婚がいくつもあった印象だ。
 そう思うのは、長らく結婚しないのかと言われていてようやく...という某ミュージシャンの影響があるのかないのか。あるいは、昨年末あたりからの、僕でもわかる有名人の入籍や交際の話が続いたからか。
 うーん、どうなんだろ。

 まぁ僕は芸能界関係には疎いので、本当にただの印象に過ぎない。実際には、昨年は昨年で、一昨年は一昨年で、毎年いろいろ続いてたわけでして。
 印象に与える影響を考えると、「気になる人か」と「気にならなくても目立つか」とは、大きなポイントのひとつなんだろうなー。ちなみに某ミュージシャンは、後者です。僕にとっては、ね。

 結婚式といえば、披露宴がありますね。必ずではないけど。
 僕はいわゆる普通の結婚かどうかに関係なく結婚をする気はないし、したこともないので、自分で披露宴を開いたことはない。だけど、親戚縁者が多かったり、同年代に結婚が続いたりで、結婚式や披露宴には何度も出席している。
 ほんで披露宴といえば余興があるけど、音楽つながりの仲間の披露宴は賑やかなものが多い。合奏あり、合唱あり、歌も楽器もソロありで、曲はといえばポップス、ロック、ジャズ、クラシックとジャンルを問わず、クラシックも古くはルネサンスやそれ以前の時代から現代まで...といった具合に多彩で、楽しい。披露宴で使う全曲を、すべて出席者(と新郎新婦)の生演奏で賄うこともある。
 演奏するのもいいけど、聴いてるだけでも楽しめる。

 音楽つながりを離れて、僕個人はどうかといえば、昔々に一度、従姉の披露宴で演奏を頼まれたことがある。
 もう何年だっけ。15年ばかり前になるかな。

 しかしそれは、僕にとっては黒歴史である。

 やはり披露宴には、それに適する曲選びというものがある。
 曲選びというものは、どういう視点を取るか、何を一番の目的とするか、どういう内容で何をしなければならないのか、どんな場面で使うのか、何某かの制限があれば何ができないのか、あるいは何をやってはいけないのか、重視することや制約によって変わり得るものだ。
 と言っても、大抵は難しく考えなくてもいいんだろうね。多くの場合、どうしたら誰に喜んでもらえるかなーとか、そういう単純なことなわけです。

 しかし「なんでもいいからやって」なんて言われて、いざ自分がやることを考えたら、まさに際限のない中から選ばなきゃならないわけで、これはこれで大変だ。
 ねーちゃん、大変ですよそれ、マジで。
 僕としては、有名でなくていいので、クラシック系で耳当たりの悪くない曲を選んでおけば無難だし、プラスお祝い代わりになって、自分でも歌いやすいものがいいな...くらいに思っていた。場合によっては、ボップスとかでもいい。

 しかしここで、横槍が入った。

 その槍を振りかざしたのは我が母なのだが、とんでもないことを言いだした。
 わかりやすく言えば、オペラとか、ババーン! と歌い上げるような曲を歌えと。それが望まれているのだと。めちゃくちゃ簡単にすると、そういう意味の槍である。

 いやー、それ違うと思う。

 あの頃は僕にも柔軟性がなくて、内心では閉口しながらも従わざるを得ないような状況であった。今でも柔軟性が高いとはとても言えないが、今とは比べるべくもない。
 とてつもない要求に沿いつつ、僕に歌えるもの。そんな都合のいい曲、簡単に見つかるわけもなし。

 それにしても、母の強権(狂犬?)ぶりには困ったものである。
 なんというか、自分が信じるものに対しては融通が利かないし、他人にもその考えを押し付けるところがある。たとえその内容が、間違えていたとしてもね。
 表向きは仲違いしているわけではないが、正直なところ内情はといえば、母と僕とは、ほとんど水と油のごとくに交わらないのではないかというくらいに別の世界にいるのは確かだ。いろんな意味で。共通項もあるけどね。
 程度を示すのは難しいけど、かなりの部分で相容れない。
 そんな母でそれが当たり前なので、本人には「要求して押し付けた」つもりはまったくないんだけどねー。

 ともかく母のむちゃくちゃな「指令」で選択肢を狭められて選んだのは、いわゆるイタリア歌曲みたいなもの。ええ、もういちいち説明はしませんよ。実際に何を歌ったかも言いませんよ。つーか、具体的な曲名なんてとても口にはできない。
 なんでもいいから、要するにイタリア歌曲みたいなもの。ちょっとハデめの。
 そんなもん、ウケるわけがねえ!
 そもそも僕は、そっちが専門ではない。僕の得意とするものとは、路線が違う。まったく違う。脱線どころの話ではない。線路も根こそぎ吹っ飛ぶ勢いである。

 後の祭りだけど、本当に本当に心底自分が嫌になるほどバカな選択であったと思うわけです。思わずにいらりょうか。
 しかもマイクだって、妙な使い方されて...。だからあんな、なんともいえない...その......。しかもこれって、きっと映像が残って......。


 うわゎぁぁぁあああああ!



  ∧_∧ ザック     lヽ_lヽ
( •ω•) ザック   (   )
(つD―○|> ,.;∴ ゚。°と   i
しーーJ彡 ・;;過去'∴  しーーJ



 ...と、なかったことにできれば、そうしたい。
 しかしこの類いの過去は、消し去れない。

 あー、やだやだ。

 そうは言っても、ちゃんと歌いましたよ。喜んでいただきましたよ(本心が別にあるかは、怖くて聞けない)。
 でも、本音云々はどうであろうと、自分では許せない。恥ずかしくて死にそう。

 それにしてもこういう嫌な記憶というものは、なぜ時々ふっと思い出してしまうものなのだろう。ほんで思い出すたびに、ひぇぇもう生きていけないよう...て気持ちになるのだ。
 あんなもん、歌わなきゃよかったよ...。ただひとり、そう繰り返すばかり。
 死にたい。

 あぁぁ...。

 今でもこの黒歴史が頭をよぎると、そうじゃなくて「Panis Angelicus」とか「The Rose」とかにしとけばよかった...なんて思うんだよね。他にも考えられる曲はいっぱいあるというのに、よりによってあんなものを...。
 もし今歌うなら、さらに選択肢は増えるなぁ。


※ Panis Angelicus は祝いの曲ではないけど、場違いでもない。実際、いろんな場面で便利に使われてますねぇ。僕が歌うとしたら、どちらかといえば少年合唱などのイメージに近い方向になる。語弊はあるけど、おそらく一般的であろう感覚で言えば。間違っても、ボチェッリとかフレミングみたいにはやらないし、やりたくないし、どうやったってならない。