2015年8月アーカイブ

二人の幸せ

 日本でも、同性婚に関する、より積極的な動きが出てきてますね。まだまだ充分ではないだろうけど、おもしろい動きだと思います。
 同性婚は、ゲイの間でも興味の差が大きい。ゲイやバイセクシュアルだからといって、みんながみんな同性婚の実現を望んでいるわけでもない。興味のない人は、今のままでいいと思っているものなのである。実現されても恩恵がないから、むしろ今のままがいい...とかなんとか思ってる、ちょっとひねくれたような人もいる。
 けれど、僕は思うのだ。自分には関係なくても、結婚できるようにしておくことは大切なんじゃないかな...と。

 確かに、今の自分には関係がないことかもしれない。僕だって、直接的には関係がない。そんな予定もないし、少なくとも今はその願望もないのだから。
 でも、環境整備の意味を過小評価する必要はないだろうなぁ。
 選択肢があるということが、大事なことのひとつだと思う。そして結婚するかしないかを選び、結婚を選ぶなら、結婚によって得られるべき権利が与えられる。そんな当たり前であるはずのことが、当たり前になることが重要なのだ。今は、結婚を選ぶことすらできない。
 また、これは未来の話、未来につながる話でもあると思う。今の自分だけのことじゃない。同性愛者だけのことでもない。今の行動が、未来の同じように悩み苦しむ人たちの、もっと自由な当たり前の暮らしにつながるかもしれない。
 さらに結婚に限らず、ここからいい意味でのいろいろな社会的影響が発生する可能性だってある。それは、セクシュアルマイノリティを超えた、広く多くの人々の暮らしの改善につながっていくかもしれない。
 と書くには書いたが、まぁこれはほとんど夢物語に近いというか、そんな影響まで起こる可能性は限りなく低いけど、まったくないとも言い切れない、ささやかな希望のような、妄想みたいなものですね。
 そんなわけで僕は、ほとんど陰ながらではあるけれど、応援している。


 さて、憲法第24条には、こうある。
 1項「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」
 2項「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない」

 一方、民法では第二章「婚姻」第一節「婚姻の成立」第一款「婚姻の要件」がある。
 その第739条には、第1項「婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる」、第2項「前項の届出は、当事者双方及び成年の証人二人以上が署名した書面で、又はこれらの者から口頭で、しなければならない」と書かれている。

 この二つが、同性婚の議論でよく俎上に載せられる条文等ですね。

 僕は法学者ではないし、詳しくもない。法律関係は、専門知識を持つ人に助力してもらった方がいいに決まってる。
 でも、同性婚が違憲だの合憲だのいう話を聞いていると、疑問だって湧くわけです。素朴なものも含めてね。

 僕は、現状では同性婚を即実現はできないけど、憲法上は特に問題はないと思っている。
 世間では、憲法で該当の条文ができた理由や成り立ちなどからの解釈を引き合いに、改憲なしで同性婚が可能だという論がある。成り立ちにこだわる人もいるが、それは「憲法24条は同性婚については何も述べていない」ということとも通じる。同様に、民法でも「婚姻が異性カップルでのみ成立するとは規定されていない」と指摘されている。また、基本的人権などの観点からのアプローチもある。
 これらはこれらで大切なことだし、これで話は充分に通ると思うのだけど、ここではちょっと斜めな視点を加えてみたい。「一般的な解釈」のここはなんだかおかしいんじゃないかな、こうなんじゃないかな...というひとつの考え方を、なかなか聞くことのない視点からつらつら書いてみようと思う。
 これは、性的少数者としての、また性の「事実」を通しての、見解のひとつです。解答というよりは、「両性」という文言にこだわる(両性=男女という)意見に対する疑問とも言える。言うなれば、法律以前の素朴な疑問だ。
 これは僕の考え・疑問であって、他に同じことを考えている人がいるかどうかは知らない。
 程度はともかく、歪んだ「常識」に捕らわれているとわかりにくい話かもしれないことを、先に付け加えておきます。ほんでより一般的な話は、最後に少し書き足すことにいたします。

 さて、様々な賛否があるわけだけど、そもそもなぜ性を2極だけに分けなきゃいけないんだ? という疑問がある。性って、そんなにシンプルでしたっけ。
 ほんで、この答はわりと単純だと思うんだよね。

 両性とは何ぞや。

 性を2極として読めば、両性=♂♀=男女。こういうことになるだろう。
 非常に素直な読み方と言えそうだが、この素直さとは、ある種の「常識」に沿ったものであって、大袈裟に言えば「永遠不滅の常識」によるものではない。事実が反映されていないのだ。見ようによっては、歪んだ常識である。
 性は、それほど単一的なものではない。

 憲法では、「書かれていないことは禁止されていない」という読み方がしばしばなされる。某隊を合憲とする論などは、その代表格ですね。

 では、性はどうか。
 同性を禁じているわけではない...の一言で済みそうなもので、実際にそう指摘されているわけだ。「憲法24条は同性婚については何も述べていない」という指摘ですね。
 でもとりあえずそれは横に置いておこう。ほんで「両性」について、もう少し考えてみよう。

 性は、それほど単一なものではない。先にそう書いたが、性とは、男と女のみを表し得ない。性は多様なものである。「性」が、「♂♀」と規定されていないのなら、性の多様性がここに含まれたとして、なんの不思議があるだろう。むしろそれが、ごく自然なことである。
 確かに性別は、通常♂♀で区別する。これは言うなれば動物学的な性差による区別だと思うが、しかし性の違いは、それだけで正確に表すことができるわけではない。
「性」が男と女だけで表せないものだということは、そう解釈できるのではなく、当然のことなのだ。性の多様性については、当サイトでも既にそこかしこで触れている。「性」は、生物学的に♂♀に分類されない性はもちろんのこと、性自認の違い、性的指向の違いも含んでいるのだ。
 つまり、条文における「性」にも生物学的な性、性自認、性的指向のすべてが含まれると考えたって、なんらおかしくはないではないか。生物学的な性だけが、それのみで性を表すのではないのだ。
 だとすれば、「両性」の幅は「男女」などという狭いものではなくなる。むしろ、憲法の条文のみは「生物学的な男女」を意味すると解釈する方が不自然かもしれない。

 でも、同性婚なら「同性」じゃん。「両性」じゃないじゃん。生物学的な性、性自認、性的指向のすべてが同じじゃん──。
 こう言われそうだけど、まず「同性」に対する言葉は「異性」であって、「両性」ではない。
 実際のところ、ゲイは生物学的には同性なわけだけど、性質的には何らかの違いを持っているものだ(生物学的に同性ではないゲイもいると言えるけど、ここではもっとも単純な例として)。性が多様な意味を含み得るのなら、生物学的な性が同じだからというだけで、「両性」でないと言い切れるか。
 まぁこの意味では、ゲイやレズビアンを対象とする「同性婚」という言い方そのものに、疑問の余地があるわけですが。「多性婚」とか? なんか違うな。なんだろう。

 また、こんな解釈もできる。
「両性」という言葉は、辞書では「男性と女性/雄と雌」のように説明されることが多い。しかし銘柄を問わず、辞書が常に正しく、正確なわけではない。あるいは、言葉を具体的に説明するとも限らない。辞書とはそうしたものである。
 辞書の説明を引いてくるのは、場合によってはナンセンスだ。適切さも正確さも欠いてしまうことだってあるだろう。
「両」とは、二つのものを表す。
「性」はといえば、辞書では「男女の区別」のように説明はされるものの、この説明では正確さを欠くことは明らかだ。生物学上の差異のみを意味するなら正確らしさがあるけれど(それでも誤解を生じるので正確とは言えないが)、それ以外の男女の差異が含まれていないんだよね。「総合的な男女の区別の差」とでも言うような(言い換えるなら、性に関する三つの視点から見た男女の区別の差...といったところだろうか)。
 正確さを欠く「男性と女性」との説明は、象徴的・抽象的な言葉の説明だと見ることもできる。その言葉を説明するための、単なる代表例としての「男女」だ。辞書にはこうした例が、たくさんありますね。
 現実として、「性差」は2極のものではなくてグラデーションであると言われている。三つの性表現があり、その差が割合の違いであるのなら、境は非常に曖昧だ。「両性」を「男女」に縛り切れるものだろうか。
 してみると、生物学的な性が同じかどうかに関わらず、二人揃えば、あるいは「両性」と表現し得るのではなかろうか。うーん。
 というのは、まぁおそらく言い過ぎなのだけど、「両性=男女」では「両性」の表現として不正確なことだけは確かだ。

 なにやら訳のわからん話をしているように見えるかもしれないけれど、憲法や法律の解釈に限らずとも、こういうことはよくあるよね。乱暴に言えば、言葉遊びのような...。言葉遊びに徹することが、いいとは思わないけど。
 こうした解釈の方法に倣うのが問題なら、諸々のありとあらゆる解釈は...さて、どうなるのでしょうね。

 ごちゃごちゃとあれこれ書いてきたけど、つまりはこういうことです。
 事実たる性の多様性を認めて、「両性」の意味を広く捉えちゃえばいいんじゃね? と、こう言いたいだけだ。「両性」に関して言えば...ね。
 法律における「性」は、身体的な性差というのがひとつの標準になっているようではあるけど、そう規定されているわけじゃないし、そうでなければならない理由も、それに固執する必要もないと思うんだよねぇ。
 実際の憲法の運用では、「ここでは同性婚(など)は想定されていないので...」と、拒否されるわけですが。しかしこれは同時に、ここでは「同性婚については何も述べていない」ということでもある。

 言葉はコミュニケーションに重要なツールでもあって、言葉遊びに埋没したくはない。しかしながら、辞書や法律の言葉に、事実を正確に反映していない説明があるのもまた事実だ。
「性別」のより正確で「簡潔な」言葉の意味としては「男女の区別の差(のようなもの)」なのであって、生物学的な男女のみを指すのではない。いかに「男女」と説明しようとも、そこに含まれる科学的現実は、2極に分類などできないことを教えている。「両性」もまた、しかり。

「両性の同意が必要なんだから、同性婚は不可能」という主張が、「両性」の意味を、何の疑いもなく「男女」と置き換えていることは確かだろう。
 しかし性の多様性を鑑みれば、「両性=男女」と決め付けること自体に無理がある。しかも憲法にも民法にも「両性=男女」などという規定は、どこにもない。
 言葉遊びのような細かいことは差し置いても、「生物学的な性」「性自認」「性的指向」のすべてにおいてヘテロ・セクシュアルのごとき差異を持つ「性」だけに結婚を限定するのは、もはや正当性すら疑われるかもしれない。個人の権利を持ち出すまでもなく。

 そしてこれは、「同性婚」を超えて、もっと広く捉えるべきことだろう。
 例えばここまで触れなかったことで言えば、中性的な人もいることを忘れてはならない。生物学的な半陰陽(両性具有)の人についてはそれとなく触れたけれど、性自認や性的指向が中性的な人もいるのだ。
 繰り返すけど、性はグラデーション。性質には微妙な差が存在する。

 もし同性婚がこの日本で実現するなら、ゲイやレズビアンだけでなく、トランスジェンダー他諸々のマイノリティの結婚の自由も確保して欲しい。
 さらに、違う立場の人たちの結婚の障害もなくなれば、もっといいだろう。結婚に際して障害や問題が発生するのは、なにもセクシュアルマイノリティだけではない。
 結ばれたいと思う二人が、共に生きていきたいと思う誰もが、当たり前のことを当たり前にして、幸せになれるようにね。
 僕は願いを含めて、そんなふうに思うのです。



【追記的に】
 最後に、もう少し。ここに書かなかった点を加えて、いくつか書き足しておきます。より一般的な話を含めて、僕の個人的考えも合わせて、前置きの補足ついでにね。

 憲法で言葉上むしろ壁になりそうなのは、第24条1項にある「夫婦が」との記述かもしれませんね。同性婚などでも「夫婦」と同等の関係のパートナーではあるけれど、これをそのまま「夫婦」と呼称していいものか。さすがに無理があるだろうなぁ。
 でもこれは、柔軟な対応で事足りるだろう。民法などで、「夫婦」そのものではなくとも、同性パートナーを「夫婦」と同等のものとしてしまうとかね。制度設計がうまくできれば、それで解決できるはずだ。

 また、「婚姻」についての問題もある。
 憲法24条では、「婚姻」が同性間で成り立つと考えるのは難しい...と見る向きもある。この条項をそのまま同性婚などに流用しようとすれば、確かにそうだろう。
 しかし仮に、同性間での「婚姻」は成り立たないと解釈したとしても、これは同性婚を「婚姻」と呼ぶことができないというだけのことでもある。
 つまり、憲法24条は同性婚については何も述べていないわけだし、婚姻と同等の効果を持つ「同性婚」という制度を作ることまでが違憲ということにはならない。「同性婚」の実現を阻むものは、実はここには存在していない。
 同性婚が違憲だという主張は、憲法の「婚姻」に関する定めをそのまま同性婚に当てはめようとするから生じる不具合にすぎない。新しい制度を作れば済む話なので、同性婚を実現する上で、憲法の文言の「両性」も「夫婦」もさほど重要じゃないってわけですねぇ。
 さんざん「両性」について書いておいてなんですが、あれは僕の素朴な疑問なので。

 それと、戸籍法ですね。
 例えば戸籍法は、第6節「婚姻」第74条で、婚姻の届書に記載する事項として、「夫婦が称する氏」と規定していて、同性の結婚は想定されていないと解釈できる。その他、割愛。
 婚姻の届け出をそのまま流用するなら、改正の必要がありそうだ。でもこれも、一般的な「婚姻」とは別に同等の制度を整備すれば解決できるのではないか。どちらがいいかは...どうなんでしょうね。

 何がベストな選択なのかはよくわからないけど、そんなわけで、憲法改正までする必要はないんじゃないかなぁ。
 改正が難しいから避けようということじゃない。
 憲法改正の手続きが厳しすぎて、改正ができない...とよく言われる。でも、本当にそうなんだろうか。憲法の改正が一度もされていないのは、その手続きが厳しいからではなくて、別の理由があるからだと、僕は思ってます。
 なんにしろ、憲法は今のままで、現在の婚姻の制度とは別に、同等の権利を保障される新しい制度を作る方が現実的じゃないかなー。作るというより「加える」でもいいと思う。それが戸籍法とも折りあう形で実現できれば、なおいいかと。

 まぁ、このあたりのことについては実際の動きや提案がいろいろとなされているので、ここではこれまでといたします。


※戸籍云々の詳細な話は、ここでは割愛しました。より広く捉えたへんてこな話が書きたかったので。しかし現状では、特に GID やトランスジェンダーなどの人が結婚を考える時には、戸籍が深く関わってきます。性差による婚姻の壁は、すべてなくなって欲しいですね。