2015年3月アーカイブ

計算控えは便利なもの

 iPhone6 にして困ったことは、使えなくなった、あるいは使いにくくなったアプリがあることだ。
 例えば、メモモモ。iPhone6 でも使えるのだが、まだ iPhone6 のサイズと iOS8 に対応していない。だから現状では見た目がスッキリしないし、カーソル移動も難がある。それでも使ってるけど。ちょこっとメモを置いておくのに便利だから、手放せない。
 こういったアプリが、どうしても出てくる。

 そんな中で一番困ったアプリは、CalcNote である。「計算ノート」という名前でも出回っていた。
 これは、リストに項目と数字を入力すると、その合計を出してくれる、計算機能付きのノートというか、リストというか、そんな感じのものだ。
 Excel などの表計算でも、計算だけなら同じことができる。でも、表計算だと見た目がイケてない。広すぎる不要なスペースもある。計算し直そうとしたら、計算式を書き換えないといけない。メモをたくさん残すように使おうと思ったら、必ずしも使い勝手がいいわけではない。
 CalcNote は、ノート内での各項目は、四則演算と消し込みが簡単に切り替えられるようになっていた。もちろん作ったノートの名称(ファイル名みたいなもの)は、自由に付けられる。ノートは、フォルダに分けることもできる。
 そんな具合で、非常に便利であった。
 必要なものを書き出して、その値段の合計を出したい時ってあると思う。買わなきゃならないもの、予想される出費や経費の概算、お買い物の予定金額の内訳...などなど。ちょこっと計算したいだけなのに、表計算だと使い勝手が悪いし、大仰なのだ。「大は小を兼ねる」と言うには、大きすぎてかえって便利が悪い。
 計算だけができればいいわけじゃなくて、メモとして残しておきたい。だから計算機でも不都合だ。計算の履歴なら残せる計算機もあるが、履歴が欲しいわけじゃない。
 必要充分な決まった入力欄だけがあるノートのような CalcNote は、こんな時に重宝していた。

 しかしこれが、iOS8 で使い物にならなくなった。
 全く使えないわけでもなくて、過去に作ったノートの使い回しならできる。ところが新しいノートや項目が、まったく追加できない。これは困る。すごく困る。
 ほいで、代わりのアプリを探したわけですね。使えないしアップデートされそうもないなら、代わりを探さざるを得ない。
 似たようなアプリから探し始めたのだが、気に入ったものはなかった。類似アプリはあるけど、使い勝手が悪いのだ。四則演算ができない(加算・減算のみ対応など)とか、できても四則演算を簡単に切り替えられないし、消し込みもできず、分類も難しく...といった按配で。
 僕が試した限りでは、どれも「とりあえず最低限のことはできますよ」というようなアプリなのだ。

 家計簿系のアプリにも手を広げて、20種類以上インストールしてみた。明らかに僕の希望に合わないアプリは除外しつつ。

 最後に残ったのは、Money Care であった。昨年の秋から、これを使っている。多機能な家計簿的アプリである。
 見た目が気に入ったのもあるんだけど、1か月単位でリストのように表示できる点が好印象。1ページにまとめたような表示で、前後の月にはフリックするか、ナビゲーションをタップして移動する。なかなか気持ちがいい。
 羅列だけなら他のアプリもできるのだが、どうもスッキリしなかったのだ。

 四則演算の切り替えや、項目の消し込みはできない。家計簿系のアプリだから、当然ではある。でもここは、割り切ることにした。必要なら、マイナスはマイナスで打ち込む(アプリにとってのマイナスで)。
 割り切りは、それだけではない。先に書いた通り、当初は CalcNote から乗り換えるアプリを考えていたのだが、代替となるアプリがないので完全移行はあきらめた。CalcNote で過去に作ったノートを使い回すことはできるので、CalcNote と Money Care で作業を分担することにした。
 分担させても、気持ちよく使えればそれでいいのだ。今のところ、特に面倒は感じていない。

 Money Care の項目表示は、日付順である。まるでカレンダーアプリのように。そこで僕は、月の頭(1日)に、毎月決まっている項目を入力することにした。これ、一度入力した項目は、次回入力時に項目名と金額の候補がセットで表示される。ここも好感度アップ。項目を丸ごとコピーはできないものの、入力は楽ですね。
 逆に月末の日付で、既にわかっている不定期な予定項目を入力しておく。購入予定のものとかね。
 あとは適当に、随時追加する。追加分は、追加した日の日付のまま放置する。いちいち変えるのは面倒だしね。単に日付の順なので、万が一不都合がある時だけ変更すればいい。
 中には、次の月に越す項目も出てくる。そんな時は、処理日の月を変更する。日付をタップしてダイヤルを回すだけなので、手間ではない。

 あと、計算には含めないけど、例えば覚書にメモしておきたい予定がある時には、項目だけ入れておくこともある。金額は 0円にして。

 各項目の金額の右には、小さなアイコンのようなマークが表示される。これもおもしろいですね。
 未来の日付で入力すると、「×」が付く。入力日を過ぎると、「!」に変わる。詳しくは知らないが、事前に入力してそのままのもの、つまり決済処理されてないものに警告として付くんだと思う。後から入力した項目には、チェックマークが付く。
 このマークはそれぞれ、タップすると表示が切り替わる。「!」を、完了項目としてチェックマークに変更できるわけですね。たぶん。

 カテゴリーの設定などもできるのだが、僕は使っていない。家計簿として使ってないから、必要ないのだ。
 その他、分析やタグ、資産管理など、多機能でできることがいろいろあるのだが、いずれも僕は使っていない。アプリの作者が聞いたら、あまりにも想定とかけ離れた使い方に泣きそうですね。検索もできますよ。
 ちなみに日本語には未対応のアプリだけど、利用する機能が限定されててらしくない使い方なので、操作に迷うことはない。

 まったくもって、変な使い方ですねー。

無駄な議論に辟易と

 先日、某番組でまたまた訳のわからない発言が流れていたようですね。
「同性婚を認めたら、少子化に拍車がかかる」などと。

 もちろんそんなことはあり得ないのだが、この答はさほど難しいものではない。少し考えれば、簡単にわかることだ。
 ご大層にかしこまって議論してみたり、政治家だの知識人と呼ばれる人たちだのが、さもこれが真実であるかのように口にしてみたりする。
 しかし実際には、そこには価値のある話があるわけでもなく、ただその人の認識の程度が知れるだけのことですね。答は明白なのだから。
 こんな簡単な問題がわからないのは、よほどなにも考えていないのか、なんなのか。認識不足にも満たない、稚拙で幼稚な発言だ。
 情けない限りである。

 はっきり言って、無駄な議論だ。議論にすらなり得ない。

 同性婚が法的に認められようが認められまいが、同性愛者は増えも減りもしない。少子化には、ほぼなんの影響も与えない。
 簡単に言えば、これで話は終わりである。

 海外のデータを引き合いに、同性婚と少子化との因果関係は認められないことを示したサイトなどもある。データとして提示されれば数字上のわかりやすさがあるので、意義は大きい。
 でもね、そんな話を持ち出すまでもないのだ。しごく簡単な話なのだから。
 簡単な話なんだけど、同性愛者を認めたくないんだろう。思考停止でもしているのか、わからない人にはこんな簡単なことですらわからない。
 誠に不思議なことに。

 同性愛者だけど、今は異性と結婚して子供を産み育てている人が、そうしなくなる...などと、もっともらしい理屈を付ける人もいる。
 いやいや、その理論が崩壊したような理屈はいったいなんですか。
 同性愛者を少数者であると知っていて、しかも場合によっては同じ口が、少数派は認めないとまで言いながら、なぜこんな屁理屈が言えるのだろう。社会に与える影響は、それほど大きなものですか?
 びっくりするなぁ。

 同性愛者の割合は正確にはわからないが、おおよそ 5〜8%程度だと言われている。数字の高い報告では、10%というデータもある。
 そんな同性愛者が、どれほど少子化に影響を与えられるというのだろう。
 さらに言えば、子育てもしたい同性愛者は少なからずいる。出生率には何の影響もないけれど、親子関係のある家庭はむしろ増えるかもしれませんね。
 微々たるものだけど。

 少子化には、同性愛者とは無関係の、多様で複合的な問題が横たわっている。それを直視しない限り、解決することはないだろう。
 なのに、同性婚が諸悪の根源であるかのように言うのは、話のすり替えもさることながら、トンチンカンなこの論自体がまさに差別そのものであって、おおいに問題を抱えている。

 伝統的な家族制度が...などというフレーズも、都合よく使われますね。
 それはなんですか。何を指してますか?
 伝統的と言いながら、彼らの言う伝統は、所詮200年にも満たない浅い歴史の「伝統」を指していることが多々ある。それが本当に「伝統」と言えるものかどうかはともかく。
 あるいはそれは、彼らの考える「正しい家族」、つまり、両親がいて子供がいる「健全な家族」でしかない。狭い見方ですね。これでいけば、それ以外の家族は「正しくない」ということになる。「正しく」なければ、認められないことになる。
 親がいなければ、「正しく」ないのかな。子供がいなければ、「正しく」ないのかな。家族の構成なんて、正しいだの正しくないだのというようなものではないはずだ。しかも彼らは、これまた同じ口で、現実に合わない憲法がどうだとか唱えたりするので、もう何が何だか。
 そして以前にも書いたことがあるが、その「正しい」「普通の」家族が抱える問題は大きい。普段無視しているそれを、直視する方が先だろうに。
 いずれにせよ、やはり同性愛者は増えも減りもしない。

 少し脇道にそれるが、都某区の同性パートナーを認める動きに関連して、やはり反対勢力もある。
 ここでも曰く、伝統的家族制度が混乱し、普通の人々が脅かされる...と。トンデモな笑える話の典型ですねぇ。
 普通の人が脅かされるとも主張するが、こういった勢力は、要するに同性愛者を認めたくないだけなんだろう。だからこういった言説には、悪意すら感じる非常に恣意的で限定的で、一方的な見地が色濃く出ている。配布物に書かれたことなど、一文一文にいちいちツッコミどころが満載で、的を外しまくったくだらないものだ。
 また、少数派の何が、それほどまでに大きな影響を与えることができるというのか論理的に説明して欲しいものだが、そんなことができる人はいない。そもそもそんな危機はないのだから。存在しない危機を、危機だと言っているのだから。
 さらに彼らは、多様化することが悪であるかのようにも言うことがある。
 もともとこの世は、あるいは社会は、あるいは人間は多様なものであって、均質ではない。それを画一的、平均的にしか捉えようとしていないんじゃないかな。
 このような「違いを認められない」人たちこそ、むしろ社会を蝕むように思える。
 しかし一方で、彼らは自分の領域が侵されると、声高に少数者や弱者としての自分の権利を主張するものだ。ますます訳がわからなくなってきますね。

 こういう訳のわからない屁理屈を正義のように言う人には、その根拠を示すことができなかったり、どのような影響があるのか因果関係を説明できなかったり、重大な認識の誤りに気付けなかったりする人が多いですね。
 かの議員殿も、一事が万事であるならば、早々に議員などお辞めになった方が世の人々は幸せになれるかもしれない。

 不利にしないようにすることと、正面から認めることの間にはやはりギャップがあります...などという発言など、言い訳にもならない。
 自分が同性愛者を認められない(生理的にだかどうだか知らないが)、あるいは理解することができない(理解力や想像力、共感力に欠けているために?)、それを体良く綺麗に言い直しただけのことだろう。
 ギャップがあろうがなかろうが、認めればいいだけの話だ。人が人であることをね。
 しかしどうやらそれができず、「私は嫌いだから認めたくありません」とは言わずに、「ギャップがある」などとうそぶいてみせる。自分が、理解する能力を持ち合わせていないことは棚に上げて。これが差別なんだと指摘しても、おそらく理解できないだろう。
 ギャップがあるからどうしたというのか。それが法的に認められてしかるべきこと、言い換えるならより多くの人の「人として普通に生きたい」という希望に応える環境を整えることと、何か関係があるのだろうか。ギャップがあるというなら、むしろそのギャップを埋めてはいかがでしょう。
 ギャップの有無など、理由にも言い訳にもならない。
 そもそもこの世はギャップで溢れてますが、さてどうするの? それらこの世に存在するギャップが認められないと言うのなら、もはや死ぬしかなくなる。

 多くの場合、弱者たる少数者に暮らしやすい社会は、多数者にとっても暮らしやすい社会であることすら理解できていないようで。政治家であるにもかかわらず。
 議員たる価値があるのでしょうかねぇ(念のために付け加えておくが、少数者優遇を推進しろと言っているのではない)。
 彼らの言うことは、事実ではなく、単なる個人の思想や感情だ。事実でないものを、事実と同様に事実だと言っているのだ。
 このあたりの話は、また日を改めて書こうかな。

 こんな考えの人は、少なからずいる。これは単に、電波に乗って流れた、その代表例のひとつに過ぎない。
 場合によっては、テレビ局を含めて、番組に関わったすべての人が、同罪にもなりかねないだろう。今回の番組自体は、そうではないようだけど。