2013年11月アーカイブ

同性婚のムスコは異常?

 先月と今月は、続けてゲイ関連のネタをアップしてしまったなー。旧Aqua⇔Breeze では、こういうネタはあんまり挙げてなかったんだけどね。

 どうしてそういった類いのことで、多少なりとも知ってることがあるのか。それは元をたどれば、自分で自分に疑問を持ったことがあるから...と言えるかな。
 僕も昔は、自分がゲイだという自覚があったわけでも何でもない。ゲイの人には、珍しくないけどね。そのあたりのことはまたまとめて書くかもしれないが、とにかく自分で自分がわからなかったわけですよ。

 何で自分はこうなんだろう?

 そんなふうに、自問自答を繰り返していた。普通の人と違うって相当戸惑うし、ある意味恐怖なんだよね。
 先の記事に書いた「自然の摂理に反する」などといった間違えた指摘と同じようなことも、昔は考えた。僕自身、実は考えていたんですよー。それはそれは、不思議でたまらなかったからね。
 あれは中学の頃だったか。生物って、子供を産むよね? じゃあ、なんで同性に興味があったりするの? しかし自分は、間違いなくここに存在している。この存在って、なんなの?
 哲学的にではない。生物的に、自分が一体何者なのか...。それがわからなくて、いろんなことを考えていた。
 結局、知識も何もない状態からだと、そんなことくらいしか思い当たらないわけだね。だから自分なりの理屈を考えてみて、納得しようとしてみる。だけど、なんだかよくわからないけどどうやら理にかなっていないことにも気付いて、悶々とする。

 もちろん答は出なかった。
 当時は知識もなかったし、ヒトゲノムの解析もまだまだ遠い話だった。

 幸か不幸か、動物は好きだった。そのせいで、利己的遺伝子のことを知るのも早かった。でもそれを知った当初は僕も、利己的遺伝子を間違えて捉えていた。だからますます、自分への疑問は大きくなったなぁ。
 あれを間違えて捉えると、生物も遺伝子も、ただ一方向にだけ突き進むと思ってしまいがちだからね。遺伝子って、そんなに堅苦しいものじゃないのに。

 だけどそうこうするうちに、少しずつだけどいろんな知識も入ってきた。
 世界で様々な研究も進む。同性愛と遺伝の関係を解き明かそうとする関連書も増える。気になるから、目に留まれば手に取ったし、自ら情報に当たることもあった。ついでに、ゲイを題材にした小説も増えたなぁ(BL ではなく)。
 疑問が解ければ、やっぱり嬉しいしね。気になるものは、気になるのだ。
 そうして蓄積していったものの結果が、先の記事なわけです。


 わからなかったことがわかり始めると、他人の言うことに嘘が紛れ込んでいることもわかるようになる。もっとも、わかろうとわかるまいと、傷付くことにはかわりない。
 関連の記事内には「○○のような人がいるが...」という箇所がいくつかあるけど、自分が直接この耳で受け止めた言葉もけっこう混ざっている。

 彼らの厄介な点のひとつは、科学と哲学をないまぜにしてしまうことかもしれない。
「生物は子孫を残すことが第一目的なんだから...」と、一応の正論を押し通す人は、どうしたっているわけでして。
 この言葉は一見、科学的にも思えますね。ところがこれ、科学的・生物的な根拠をもとにした発言じゃなくて、言っている本人は哲学的意味で発していたりするんだなー。「生物的に」と言って科学的なふりをしながら、続けて精神や倫理の話をする。しかもその倫理観は、一方的で独善的なものでしかない。
 その文脈で話をするのなら、人間について語る必要がある。生物としてのヒトではなくて、人間を人間たらしめるものは何なのか、人間らしさってなんなのか、動物と人間の違いはなんなのか。そういったことについてね。
 ところがこの後にくるのは、既に言ったように、科学的な問題であったりする。
 わけがわかりません。

 人間についての話なのか、ヒトについての話なのか、本当にわからなくなる。
 言い換えれば、きっとそういった人たちは、人間について語ることはないんだろうなー。そんなことを思うこともあるけど、こう言うと、これはこれで噛みつかれるんだなぁ。


 ここからは、さらにたらたら書きます。


 観念的な正論とされるものは、必ずしも正しいわけじゃない。一見正しそうなものではあるけど、なかなか危うい。
 子孫を残すことは大切な、本当に大切なことだ。だからといって、それが、すべてに優先することかどうかわからない。こう言うと不思議に思われるかもしれないけど、そういうものだと思う。それでもそれを正論とすれば、その他をすべて否定できるから、言う方は楽ですね。格段に楽ですね。
 だけどそれが、いかに人間的でないかは、他のページでも触れた。こういう人たちは、同性愛者だけじゃない、子供を産まない人・産めない人、その他諸々の事情なりなんなりを持つ人たちを、ひと括りにすべて否定することになる。
 こう言うとまた、「同性愛者と、子供を産まない人・産めない人は違う」と言い訳されるが。この場合は正確には、「人」じゃなくて「異性愛者」と言わないとおかしいけどね。
 こういうの、ダブルスタンダードって言うんだよね。二枚舌と言ってもいい(ホンネとタテマエがあるのは当たり前...なんて返すのは、愚の骨頂)。

 議論にも意見交換にも、なんにもならないんだよねー。ただただ自分が正しいって、自分の主義主張を一方的に押し付けてくるから。
 だけどそれは「押し付けじゃない」「自分が正しい」「自分はいろんな意見を知っている」「その上で正しいことを言っている」...などと言ってしまう。ほんでさらに、それを押し通す。救えません。

 反対の意見を口にすれば、揚げ足を取る。その根拠はおかしいですよと指摘すれば、やっぱり揚げ足を取って攻撃する。揚げ足が取れなくなると、「自分が正しい」の一点張り。

 なんか、悲しくなるんだよね。怒りも湧いてくるけど、悲しい。

 根拠もなく(本人に言わせれば根拠があるが)、他人を否定して悦に入るとか、なんだろう。揚げ足を取ってやり込めるのは、議論じゃない。意見交換でもない。ただ一方的な、攻撃にすぎない。
 だけどそれが、いじめと同じ一方的な攻撃だということにすら気付かない。理由なんてどうでもいい...と言っているのと同じ。
 それを理論武装ぽく見せるというのは、どうにもこうにも...。

 よくわからないことが、多いですね。

線路は続くよどこまでも

 さて、ここは雑多な話になるけど、まずは同一家系内で同性愛者がよく生まれる話。
 この血縁の同性愛者については、調べた人や機関がいくつかありますね。具体的な数字などは、書籍や他のサイトで見ていただきましょう。引用はしません。

 細かい調査方法や結果、国別などはともかく、同性愛者のいる家族から血縁者を調べると、同性愛者のいる割合が高いのです。この点は共通する。これだけでも、遺伝的な関連性が疑われる。
「幼児」的なヒトの進化といい、エピジェネティック的な影響といい、科学的な完全な究明はされていなくても、遺伝的要素は否定し難いですね。
 こうなるのにもわけがある、ということ。性同一性障害(GID)についても、違う点ももちろんあるけれど、似たことが言えるでしょうね。

 ちょっと話が逸れるけど、GID の場合、体と心とのズレに対して大きな嫌悪があることも多いので、そうなるとそれを改善する手立てを講ずることになりますね。
 これを一般的には「治療」と呼んでいるけど、本当は「治療」という言葉はふさわしくないんだろうなぁ(「障害」も賛否ありますが)。

 GID の人と比べて、同性愛者を「悩みがない」「遊びだ」などと言う人がいるけど、これも随分と見当違いだよなー。遊びじゃないし、悩みはある。
 どんな状況にしたって、もちろん悩まない人もいる。でも、普段平然として見える同性愛者だって、陰ではたくさん悩んでいるものだ。そう軽く言わないでもらえるといいんだけどね。
 当然ながら、GID の同性愛者もいる。
 性に関する世界は、♂と♀なんていう記号のように単純じゃない。それぞれ、立ち位置というか、状況も違う。だから「マイノリティ」として話せることもあれば、そうでないこともあるし、「同性愛」「GID」「トランスジェンダー」「MtF」「FtM」「クィア」などといったカテゴリーの縛りで話せないこともたくさんある。
 ややこしいな。

 話がかなり逸れてしまったが、とにかく遺伝ともなると、血のつながりには逆らえないのです。批判だの否定だのされても、どうしようもないのです。

 ただ、勘違いしてはいけない。
 どこかに、初めの一人がいる。そしてその一人には、誰がなるかわからない。これをとんでもない方向に、間違えて捉えてしまうと、悲惨なことになる。
 悲しいことに、そういう人はいる。
 最初の一人は、随分昔の同性愛者だとは知られないままだった人かもしれないし、自分だったかもしれない。更に今後もどこかで、最初の一人は生まれる。
 確かに過去に同性愛者がいれば、全世代ではなくとも、その親族に今後も同性愛者は生まれるだろう(その確率が、通常よりは上がると予想される)。だからと言って、誰がそうなるかはわからない。当然だけど、全員が同性愛者になるわけじゃないしね。
 同族・血縁を問題にして、その家族や血縁者を奇異の目で見るような人がいるとしたら、それはお門違いだ。自分の親族には過去に同性愛者がいないからといって(いたけど知らないだけかもしれない)、その後も誰も同性愛者にならないという保証は、どこにもない。
 さらに悲惨なことには、家族や大切な友人を知らず傷付けることにもなりかねない。
 ちょっと想像してみれば、わかるはずだ。もしも身近に同性愛者の親兄弟や子供、友人がいて、自分が同性愛者だと話せずにいたら? 軽く口にした一言が、相手を大きく傷つけることだってある。家族が案外、難しい。親しい友人にはカミングアウトしても、家族、特に親にだけは言えないっていう同性愛者は多い。
 誰かが最初の一人になるのだ。
 その仕組みが完全に解明された時、どんな答えが待っているかはわからない。ここに書いていることが正しくなくなるかもしれないが、少なくとも現在では、未来の最初の一人が誰になるかなんて、わかりようがない。
 血縁を問題として挙げても、何の意味もない。

 もっとも、勘違いした排他的な考えは、本来はそれ以前の問題なんだけどね。
 ところがそういう人たちは、あまり人の話に耳を傾けない。ただただ自分の信じる考えを、「これが正しい」と言って、盲目的に押し付けてしまう。議論や意見交換でもするのかと思えば、そうじゃない。何か勘違いなどがあっても、自分が正しいと言い張っちゃう。
 もしかしたら、そういう人が増えているかもしれない。あるいは、そういうことが匿名で、簡単にできるようになったのか。
 しんどいですなぁ。

 また遺伝の影響だと言うと、遺伝子の病気と捉える人がいる。病気だから、治療せよ...と。これも「自然の摂理に反する」などと言いたがる人が、都合よく使う常套句だねー。
 遺伝子の影響が即座に病気だと言うなら、生物はすべて病気だ。極端だけど。でも、そういうことなんだよね。
 進化なんて、その遺伝子の変化の影響のおかげなんだし。「病気」のおかげで、進化したわけですよ。ヒトが世界中に散らばっているのも、そのおかげなんですよ。
 遺伝子のこういう配列が正しいから、これが正常で、それ以外は異常だと言ったりね。でも遺伝子って、基本的な配列、言い換えれば「一般的な正しいとされる配列」はあっても、しょっちゅう小さな変異を起こしもする。エピゲノムの影響もある。遺伝子には、ゆらぎがあるものなんですよ。だからこそ、生物足り得ると言ってもいい。
 それを進化と絡めて、どこまでが正しくてどこからが正しくないかなんて、現在の人間ごときにはわからない。おこがましいですなぁ。

 そもそも、普通だとか常識だとか、平等、公平、正義だとか、これらはとても難しいことだ。どれも気安く使ってしまう言葉だけど、安易に振りかざすと、結構危険でもある。
 たまには「当たり前」ということの危険性を冷静に振り返ってみると、人間としての間違いが少なくて済むかもしれない。それをしないと、無意識に人を傷つける。その相手は身近な、大切な誰かかもしれない。



【追記】
 便宜的に「最初の一人」と書いたけど、より正確には、ヒトは誰もが両性の指向を持っていて、その割合が違うだけだと言われている。ここでいう「最初の一人」は、あくまでも明示的な同性愛者にすぎない。

【ついでに追記】
 それにしても困るのは、Q&Aの質問サイトなどで、嘘ばかり並べる人が多いことだ。同性愛に限らないんだけどね。質問した人も検索した人も、間違った情報を読んでそれを信じることになる。
 Web には、嘘もたくさんある。古い情報もある。その中から、正しい情報を探し出さないといけない。そういう意味では、インターネットの黎明期に言われた「空っぽの洞窟」状態は、形を変えながら、今も、今からも続くわけですね。

遺伝学を超えたもの

 前の記事で触れたエピジェネティクスの話でござる。
 と言っても、わかる範囲での話ですけどね。もちろんね。詳しいことは、ウィキペディアを始めいろんな専門サイトがあるから、そちらでどうぞ!

 前の記事では、簡単に触れた。エピジェネティクスは、遺伝子がどう働いて、例えば病気などにどう影響するのか、遺伝子の影響や変化を研究する学問のこと。遺伝子自身の働きじゃなくて、その外側で働いている力や仕組みを研究している。
 言葉自体、考え方そのものは僕が生まれる前からあるのに、その言葉の意味するものが変わっている。その上、定義も複数あって曖昧といえば曖昧。普遍的な固定した定義がないのであった。
 その定義の言葉がまたわかりにくいので、今現在ではだいたい上記のようなことでいいと思う。

 研究が盛んになったのは、ヒトゲノムが解明された後のこと。

 ヒトゲノムで解明された情報は、そのまま人体に影響するわけじゃない。解明してみたら、そうじゃなかった! ということがわかったんですねー。生命は深遠です。
 遺伝子の「変質」というか「書き損じ」で説明できることは、限られていた。書き損じに当てはまるのはごく一部の病気だけで、ほとんどの病気はその遺伝的要因とは結びつかなかった。
 じゃあ遺伝子情報はどこでどうなってるの? という疑問に突き当たるよね。
 この情報の働きや結果を説明できるのが、エピジェネティクスだ。それは裏を返せば、癌などの病気の治療に応用できるということでもある。

 もう少し掘り下げていきましょう。

 DNA は生物の基本骨格だけど、それだけで成り立っているわけじゃない。
 かつては、この基本情報そのものが最も重要で、それがわかればすべてが解決すると思われていた。だからこそ、DNA を解析することで、様々な病気の治療に役立てられると期待された。
 ところが解析を完了してみると、まだ続きがあった。画期的な情報を得られたものの、それを包む、DNA よりも遥かに膨大な、そして重要な情報が控えていた。気が遠くなるなー。 
 DNA の情報は、自身を覆う化学物質の層にコントロールされている。DNA という生命の基本情報があって、その基本情報の通信を操作する装置があるようなものだと思えばいいかな。
 遺伝子は、受精後すぐは、みんなでわちゃわちゃ動くわけですよ。でも、成長にしたがって、お休みしたり、連絡できなくなったり、また連絡できるようになったりと、動きが変わっていく。DNA を取り囲む物質が、遺伝子のスイッチをオン・オフ、あるいは情報の読み取りの可・不可を入れ替えてるんですね。
 例えば特定の器官を作るために、幹細胞が分化成長するけど、その都度 DNA の情報が修正される。
 DNA 配列は同じなんだけど、こうして働きに違いが生じる。

 DNA を覆う化学物質の層(蛋白質でできたクロマチンなど)のコントロールで、DNA  の情報に装飾を受けたゲノムを、エピゲノムという。エピジェネティック的な変化が、DNA に科学的マークを残していくのだ。このマークを集めるのです。そうしてエピゲノムの姿を暴くのです。
 つまりエピジェネティックマーカーは、遺伝子情報がどの部分で活動を停止・活性化させられていたかを調べることができる。ある病気ではここが止まってて、ここが活発に動いてる...とか、わかるわけだ。
 これがわかれば、病気の治療にも使える。例えば薬を使って外部から酵素で刺激をすると、遺伝子に働き掛けて活動に変化を与えられる。遺伝子情報の活動が変われば、病状も変わる。
 遺伝子はひとつでも、エピゲノムはその数百倍になる。ヒトゲノムの比ではない、あまりにも膨大な情報量だ。完全な解明はまだまだ先だけど、今世界で解析が進められている(情報量が膨大であるがゆえに、もしかしたら、エピゲノムの解明が進むほどに、そのコントロールの難しさが明らかになるかもしれないね)。

 こうした遺伝子の活動の変化は、胎児の間だけじゃなくて、生まれた後も死ぬまで一生続く。思春期には思春期の、老年には老年の、遺伝子の活動の変化がある。
 そして一世代で獲得されたエピジェネティック的な変化は、受け継がれる。例えば喫煙、食事の習慣などの影響が、子供や孫にも影響する。親の過去の生活習慣が、子供にも影響を与える...といった例がわかりやすいかな。
 さらに、通常は一代限りの影響が、稀に次の世代に受け継がれることもある。こうした例には性に関わるものがあるけど、これは前の記事で触れた通りだ。

 エピジェネティクスは、DNA そのものよりも、深く遺伝子の表現に関わっているわけですね。恐るべし。

 ちなみに女性の場合、ちょっと不思議な抑制も受けているようだ。女性は X染色体を2本持ってるけど、2本とも活性化していると死んでしまうらしい。そこで、1本の活動を抑制して、1本だけ活性化してるんだとか。
 生物って、不思議でおもしろいですねぇ。

我思うに、我在り

 どうして同性愛者が生まれるのか。
 同性愛者が生まれる理由は、まだ科学的には解明されていない。しかし、遺伝的要因があることは間違いないだろう。はっきりしないことが多いとはいえ、いろいろなデータや、疑わしき要因はある。
 関連で、脳の構造や大きさがどうだとか、そんな話もある。このあたりは同性愛が生まれつきのものだという証拠ではあるけど、「結果」の話なので、今は横に置いておくとしよう。

 疑わしき要因の筆頭は、今だと子宮内での出来事かな。子宮内ですべてが決まっていることは確かなんだけど、そこで何が起きているのかは諸説あるのです。
 ここで挙げるのは、カリフォルニア大学サンタバーバラ校・ライス教授の研究の話です。学術誌での発表は、2012年の12月だったか。まだ1年経ってない話。

 その前に、ちょっとワンクッション。

 利己的遺伝子という考え方がある。
 簡単に言うと、遺伝子は自己の生存率や繁殖率を他者よりも高めることを最優先する...と。言い換えると、自分のコピーを残すことを目的にする。
 これで様々な生物の行動を、理論的に説明できてしまう。多くの一見不可解な行動にも、説明がつく。
 ほんで、こんな意見を繰り出す人がいる。
「生物が利己的遺伝子に支配されているのなら、生物学的に子孫を残せない同性愛者は、自然淘汰されるはず。同性愛者は理にかなっていない」といった具合で。
 でも残念だけど、これは利己的遺伝子を捉え間違えている。
 遺伝子に「支配」されているわけではない。遺伝子から生物の進化を解釈したのが、この理論だ。自然選択や生物進化を、遺伝子中心の視点で理解しようとしているのだ。
 少し乱暴な言い方かもしれないけど、これは結果であって決定ではないんだよね。
 ここを間違えると、遺伝子は利己的だから...と勘違いしたままになる。遺伝子に「意志」があって、生物を「支配」して、「利己的」に未来の選択を「決定」しているわけじゃない。
「利己的」という、その理論の意味を正しく表しているとは言えない言葉に、ほとんどイメージだけで囚われてしまってますね。
 利己的遺伝子の視点からも同性愛は説明できるようだけど、ここでは関係ないのでこれ以上は触れません。

 さて、本題に戻ろう。

 昨年の研究とやらは、おもしろい内容だった。エピジェネティクスをキーに、同性愛者への影響を調べたもの。
 その内容は仮説を含むものだが、話がややこしくなるので、以下は他の事柄も混ぜながら書いていきます。詳細については、元の論文なり解説したサイトなりを確認してください。

 エピジェネティクスって、一般的な説明で「DNA塩基配列の変化をうんたらかんたら」などと言われてもよくわからんわけです。簡単にまとめると、遺伝子がどう働いて、例えば病気などにどう影響するのか、遺伝子の影響や変化を研究する学問のこと。
 これでも、よくわかりませんね...。
 というか、この言葉自体は随分前からあるんだけど、実は定義すらきちんとなされていない。そんなもん、わかるきゃ。
 エピジェネティクスについては、ここでは簡単に触れておいて、もう少し詳しいことは次の記事と分けることにいたしましょう。

 そういうわけで、話をはしょります。
 DNA は蛋白質とか化学物質で取り囲まれていて、外側からコントロールを受けている。おかげで、遺伝子が働いたり働かなかったりする。これは生物の生存に重要な役割を果たしていて、成長の段階に従って随時必要な遺伝子を働かせるなどしてるんですねー。
 で、このエピジェネティックな要因は、世代間で受け継がれることがあるそうな。てことは、親子や親族の間で、共通する遺伝子のように見える効果になるということ。紛らわしい。

 性別を決定するエピジェネティックマーカーは、胎児の発達の初期段階で形成される。その役目は、男性ホルモンであるテストステロンから胎児を保護すること。
 この機能があると、どうなるか。女児胎児は、テストステロンから守られるわけですね。言い換えると、男性の特徴を受け入れない。男児の場合は保護を受けないので、さんさんと降り注ぐ太陽の光よろしくテストステロンを浴びることになる。
 エピマーカーは、生殖器の発達、性的アイデンティティ、性的指向(好きになる性別)にも影響を与える。これらのうち、性的アイデンティティや性的指向が、性別と逆に働いたらどうなるか?

 通常性別を決定するエピマーカーの影響は、1世代で完結する。つまり、胎児本人だけに作用する。次の生殖では、リセットされるようなもんです。
 ところが稀に、次代に影響することがある。不思議なことに、父親のエピマーカーが娘に、または母親のエピマーカーが息子に受け継がれる。それが性的指向であれば、好きになる性は当然逆になる。父親の女性好きが娘に受け継がれればレズビアンになるし、母親の男性好きが息子に受け継がれればゲイになる...と、こういうわけですね。

 エピジェネティクスはこんな具合に、いろんな重要な場面で影響する。その他、様々な指向に影響を与えているエピジェネティックマーカーがある。
 エピジェネティックな現象は、何世代かに渡って直接的に受け継がれるものもあるわけだけど、1代限りの作用が血族間で度々繰り返されもする。
 血縁者の中に同性愛者がいたりするのは、このためですね。

 まだまだ調べるべきことはあるんだと思う。そうだとしても、興味深い話だ。



 ついでなので、関連することを2点ほど。

 ゲイに比べて、レズビアンは少ないと言われる。その理由ははっきりとはしないけど、想像はつくかも。
 性別は Y染色体で決まるけど、エピジェネティクスや遺伝の性質から見れば、父親よりも、母親からの遺伝的な影響が大きいんだよね。もともと、生物の性の基本は♀だし(♂は♀から変化している)。それぞれの寄与率はまだわからないけど、母親からの影響の強さを考えれば、ゲイの方が多くても不思議ではないと思う。

 最後に、同性愛者が生まれる理由について、まことしやかに出された偽説などにも軽く触れておこう。
 ホルモンシャワー説というものがあるんだけど、これだと同一家系内での同性愛者の出現率に説明がつかないと思う(現段階では)。
 これは、テストステロンの影響だけじゃない...という意味です。ホルモンシャワー説というのは、テストステロンの影響だけに注目しているので。その影響もあるけど、それのみが決定的な意味を持つわけじゃないんじゃないかな。
 母体ストレス説は、眉唾ですね。ただ、一口にストレスと言っても、中をよく見ればいろいろあるんですよ。下手すると、なんでもかんでもストレスに一括りにされてしまう。ちょっと乱暴だね。
 だから母体ストレス説は完全否定している人もいるけど、見方を変えればそうとも言い切れない。ホルモンシャワー説とも関連するけど、妊娠初期における母体へのストレスが、テストステロンの量に影響を与えているデータはある。データはあるけど、もちろんそれだけですべてを説明はできない。
 僕自身は、純粋な母体ストレス説はいいかげんなものだと思ってる。だけど一定数はストレスによるテストステロンの影響があって、すべてではない...ってところなんじゃないかなぁ。
 間引き説などというものものある。
 ネズミを使った実験があってですね、同じ空間内でネズミをどんどこ増やすと、同性愛ネズミが増えるとかなんとか。これを引き合いに、同性愛者が生まれるのは、増えすぎた結果の間引きのためだというのだ。自己防衛のための増殖抑制ですね。
 なんだか笑える説です。同性愛の個体は、増殖しすぎなくても生まれる。そこは無視してる。おそらくそうではなくて、多様化の発現結果のひとつなんだと思うなー。
 養育的な観点からの心理的要因などは、まったくの見当違い。
 いいかげんな説は多いのです(そしていいかげんな説には、ありのままを見ず、前提のように同性愛者を異常として否定的に見ているように感じられてしまうものが多い)。

 原因はたったひとつだけあるんじゃなくて、大きな原因と小さな原因が総体として絡みあっていそうだよなー。

 次にエピジェネティクスの話を挟んで、家系とその他諸々の話を別記事にします。