2013年9月アーカイブ

私はあなたとしますんです

 いくつかの国で続けて、同性婚が制度として認められたり、某権威を持つ人が同性婚を認めたり、最近ちょくちょく話題に上る。

 そもそも、結婚って何だろう? こういうことから考えた方がいいと思うけど、長くなるし、ここではとりあえず流せる話だから、はしょる!
 それにしても、当世、離婚率の高さはヤバイですね。ゲイやバイに限らず、結婚って一体何なのか、ちっくと考えてみた方がいいのかもしれない。原因はいろいろあるので、一様には語れないし、そのすべてをすぐに取り除くことはできないだろうが。

 さて、その意味についてはともかく、僕自身は、結婚には制度と思想の2面があると思っている。何を重視するかは、人それぞれだろうなー。

 結婚って、制度を見るかどうか、あるいはどう見るかで意味が変わると思う。結婚に対する価値観の違いはあるにせよ、同性婚は、選べる自由を確保する意味でも、認められてればいいんじゃないかな。したかったら、いつでもできるよ...と。結婚するかしないかは、そのカップルが決めればいい。
 認められてしかるべき権利だと思うけど、それはさておき。
 制度として法で認められれば、社会的に大きな意味を持つ。そこでの立場も変わる。結婚を選んだ場合の、相続や老後のことを含めた生活とその周辺の処理について、新たな選択肢ができる。大事なことだろう。
 ついでに、これは思想や精神面のことだけど、それがきっかけで、生と死についても新たな捉え方ができるかもしれない。

 僕は、どこかの誰かさんのように、結婚して子育てしないヤツは人間じゃない...なんて、もちろん思わない。だけど、出産を除いて考えても、こんなことは思う。
 結婚から老後までの、ある意味で縛られた共同生活の過程の中で、問題と解決の繰り返しがあって、ある種の人間としての成長があり得る。その価値は、決して小さくないと思う。
 結婚しなくても深い人間関係は築けるけど、ケジメのような通過点として重要かもしれない。現代では、この意味が軽くなっている気はするが。
 こうした点を考えると、結婚のない「彼氏・彼女」止まりの関係でしかない今の同性愛者には、精神的にも結婚で得られるものがあるのかもしれない。ここに価値を見出す人にとってはね。
 これに社会的意味が加わるわけだから、新たな選択肢ができれば、価値の増大は計り知れませんね。
 あくまで、選択肢のひとつとして...だけどね。優劣だとは思わない。



 同性婚といえば、さらについて回るものに、子供の問題がある。子供を育てたいと思う同性カップルもいるからねー。
 同性婚や同性愛者の子育てについては、これまでテレビなどでも取り上げられたことがあるようだ。そういった発信を受けて、Web上にはいろんな意見も飛び交う。
 その中には、「同性愛は認めるし本人の自由だけど、子育てには必ず悪影響があるから認められない」といったものがある(自由意志のように言うのは、本当はおかしいけど)。これが案外少なくない。この「悪影響」の内容がまた、クセモノ。
 あるいは「同性婚を認めたら、子供がいなくなる」などと言った政治家がいるが、まったくもってトンチンカンだ。「子供を産まないから」「ゲイが子育てしても、ゲイになるから」という理由をぶら下げているが、無知をさらしているようなものですね。同性婚を認めようが認めまいが、同性愛者はいる。そんなことでは、減りも増えもしない。

 現状では、学校で子供がいじめられる可能性はあるだろう。しかしそれは、親が原因じゃない。同性愛を受け入れたくない人は、それみたことかと親に原因を押し付けるだろうが、勘違いも甚だしい。
 社会の無理解が、本当の原因だ。その責任を、親に転嫁して責めるのだ。

 子育てに悪影響があるだとか、育てられる子供が普通に育たないからかわいそうだとか、まったく根拠がない。異性愛者から見て「普通」じゃない同性愛者が子供を育てられるわけがない、「普通に」育つわけがないと、理由もなく、印象と思い込みだけで決めつけてるんだよね。どう言い繕ったところで、根拠や具体性に欠けることにかわりはない。
 一方では個性が大事とか違いを受け入れるべきとか、イジメはよくないなどと言いつつ、こういう時に異質なものは嫌われるんですね。
 同性愛者は、共同生活では二人が協力的であることが多い...。子供好きも少なくない...。そう言われたりもする。これがどこまで正しいかわからないが、そんなカップルなら、むしろ強力なサポート体制のある家庭になるかもしれない(もちろん、必ずそうなるわけではない)。
 そもそも「普通の家庭」が問題だらけだ。同性婚や同性愛者の子育てに反対の人は、同性婚をとやかく言う前に、このことを考えた方がいい。

 僕がわからないのは、「普通」とされる「父母」の存在がない、言うなれば「父父」のごとき状態であることの子供への影響だ(正確には「父父」ではなさそうだけど)。
 でもこれも、否定はできない。僕はわからないだけで、否定するつもりはない。育て方によっても変わりそうだしね。
 頭ごなしに否定する人はきっと、母子家庭、父子家庭、あるいは両親を亡くした子など、それらすべてを否定するんだろうなぁ。そんでもって、親の資質とやらを問うのだろう。自分のことは棚に上げて。
 なかなかの差別ぶりですね。
 みてくれや印象だけでそれらを「問題」ととらえて、家庭に「問題」がある子供はきちんと育たない...と言う人がいる。でも、これも疑問だ。
 そもそもそれは「問題」などではないが、この「問題」とやらがあるという家庭に相対する「ちゃんとした家庭」でも、「きちんと」育たない人はいくらでもいる。既に書いた「普通の家庭が抱える問題」は多い。
 その事実には、目をつむってしまう。というか、気付いていないし、見ようとしない。

 彼らにこの指摘をすると、それは別問題だと平然と話をそらすこともあるだろう。でも、同じなんだよね。親子や家族のことのはずなのに、「同性愛者だから」とただそれだけの理由で、問題をすり替えてしまう。理由なんて関係なく、認めたくないだけだ。
 それが理由になり得ないことは、更に説明するまでもない。

 もしも両親のあり方が様々であることが社会的に普通のことであったら、そんなことは誰も問題にしなくなるんじゃないかな。
 今の状態が、既にいろいろな差別を孕んでいるということだ。

 と、こういったことを、今の僕は思っている。

 ちなみに僕は、結婚できるようになっても、しない気がする。もしくは、結婚という制度は利用するけど、少し距離も確保する。結婚の怖い部分を見てしまって、いかん。深い絆は作りたいけど、深入りしたくない部分もある。
 部分的な共同的生活までかな。



     ・・・━━━━━━━━━━━・・・



 上記の「ゲイの育てた子はゲイ」という根拠のない決めつけに対して、補足しておこう。

 同性愛が精神的問題ではないことは、とうの昔に明らかになっている。
 未だに精神論や趣味論を展開する人がいるが、いつの時代の人ですか。そんなものは、日本では30年以上前の、古い誤った思い込みにすぎない。何の根拠もない。先端医療だとか最新の研究結果は大好きなのに、これに関してだけは頭が古い人がいる。不思議なことに。
 自分が認めたくないものについては、古かろうが間違っていようが、自分に都合のいい説を持ち出すんだよね。そのためなら、平気で嘘もつく。あるものを、ないことにしてしまうのであった。
 成り立ちが科学的に解明されたわけではないけど、遺伝的影響であることは間違いないだろう。それも、遺伝子に「問題」があるからではなくて、生物の進化の結果としてね(遺伝子の変異といった単純なものではない。関連が疑われる特定の遺伝子情報や遺伝的要因はあるが、未だ決定的な解明に至っていない)。

「子供を産まないから、自然の摂理に反している」などと言う人がいるが、これもなんだかおかしい。子供は産まないけど、自然の摂理とやらには反してないんだよね。
 子孫を残さないという意味では生物の「型」にはまらない以上、この点では「普通」と異なることは確かだ。しかしきっと「自然の摂理」を引き合いにするする人は、ヒトの大人とサルの胎児があまりにもよく似ていることを知らないだろう。つまりヒトの場合は、サルの胎児の状態で成人する。これは、進化の足跡の一例だ。
 突き詰めると、同性愛者には、その未成熟的な影響が強いとも見て取れる。同性愛者の男児には、異性愛者の男児に見られる第二次性徴あたりの幼児から大人への精神的・心理的な変化がない(少ない)。男の子なんだけど、女の子に近い程度の変化があるようで。
 さらに「自然の摂理に反する」とは、まるで子供を産むだけが人間であるかのような言い草だ。
 異性が好きだからって、生物の進化や種の保存、生殖活動として正しいから異性を好きになって、セックスするわけじゃないよねー。誰かを好きになるのに、いちいち自然の摂理にかなっているか? なんて考えないよね。この人の子供を産みたい...と思うことはあるとしても。
 女性は、単なる子供の製造機ですか? しかも同じ口で、結婚や子育ての自由だとか、社会的な出産の圧力は暴力だとか、女性の自立とか男女平等だとか言いだしたりするので、笑える。
 セックスして、子供を産むだけが人間か。それなら当然、子供を産まない女性は否定されるよね。子作りだけなら、動物にでもできることだ。
 しかもその動物には、同性愛の個体が一定数生まれる。自然の摂理とやらは、どうなる。これが本当の自然の摂理だ(より進化の影響が強い生物ほど、同性愛の個体数も多いのが自然に思えるけど、どうなんだろう)。
 事実を捻じ曲げて、同性愛は自然の摂理に反しているだとか言っちゃうのは、自然のあり方や生物の進化の正しい過程を知らない上に、人間に対する言葉としては、随分と心ないもののように感じる。

 僕らは、そうなることを望んで生まれたわけじゃない。当人が楽しんでるかどうかはともかく、普通に楽に生きられたら、どんなにいいか。

 同性愛者同士が子供を産んだら、おそらくその子は同性愛者になるだろう(遺伝的要因がどこにあるかによるかも?)。しかしだからといって、ゲイが子育てをすると、その子もゲイになるわけじゃない。
 そして今はまだ、先天的な遺伝子の影響が科学的に解明されていない以上、後天的影響もまた、正確に「正確に!」計ることはできない(もし後天的影響があるとしたら)。


(さらに追記:遺伝的影響と聞くと、息子がゲイになったのは自分のせいだと自分を責める親御さんもいるけど、そんなことはないですよ。その人の遺伝子になんらかの欠陥や問題があるわけじゃなくて、これは言うなれば起きて当たり前のことなんだから。その子はまさしく、体はお父さんから、心はお母さんから受け継いで生まれたようなものだから、自分たちの息子としてなんら間違っていない、親も何も間違っていないはずですよ)

うんせうんせと、ヌいたものは

 子供の頃、「おおきなかぶ」に親しんだ人は多いだろう。
 これ、今では定番的な訳が2種ある。内田莉莎子版と西郷竹彦版だ。実は他にもあるんだけどね。定番的なのは、この2種類。

 小学校の教科書には、積極的に掲載される作品がある。「ごんぎつね」はその代表格と言っていいだろう。「おてがみ」「スイミー」などもある。
「おおきなかぶ」もまたそうで、今はどうか知らないが、全教科書に掲載されていたこともある。ただし出版社によって、採用する訳が違う(僕が知っているのは、光村だけが西郷訳だということ)。

 この2種類の「おおきなかぶ」の比較や研究、検討は、さんざんなされている。特に、教育的視点だとか学校教育での指導の観点だとか、そういうことでね。ま、そのへんのことはそっちの専門家にでも任せればいい。僕の知ったことではない。
 ただ、両者は味わいが違うので、その点は気になる。

 内田莉莎子訳は、1962年。西郷竹彦訳は、1987年かな(違うかも)。

 どうしても一番比べたくなるのは、引っ張る順番だねー。まだ抜けないことをどう表現してるかってのも気になるポイントだけど、ここでは引っ張る順番の話をば。

 内田訳
「ねずみ → ねこ → いぬ → まご → おばあさん → おじいさん → かぶ」

 西郷訳
「かぶ → おじいさん → おばあさん → まご → いぬ → ねこ → ねずみ」

 正反対ですなぁ。「おばあさんがおじいさんをひっぱって、おじいさんがかぶをひっぱって」と「かぶをおじいさんがひっぱって、おじいさんをおばあさんがひっぱって」の違い。
 起点とカメラワークが違ってくる。一人一人の役割の大きさというか、力のつながりも変わる。意識の中での力の伝わり方、力の大きさと言ってもいいかな。

 絵本やお話の世界では、子供の意識のつながりや流れはとても大切だと思う。けれどそれも、何を重視するかで、表現や言葉遣いが変わってくる。
 抜くのはかぶで、起点になっているかぶからどんどん数珠つなぎになる方が、かぶから見れば流れは自然に思える。「かぶ → ねずみ」へとつながる西郷訳は、その意味では自然で、また最後にやって来るねずみへのフォーカスが大きい。そのかわり、力が徐々に大きくなる感じは薄れる。もうちょっと、もうちょっと...という「ようやっとぬけた!」感は大きいかもしれないが、力の大きさが伝わりにくいのだ。
 逆の場合は、呼んでくる動物たちからかぶへとつながる力にフォーカスが移り、味わいが変化する。まず、あとから呼んできた動物からかぶへと視点が移動するので、「助けを呼ぶ → 引っ張る → 引っ張る → かぶ」という流れができる。このおかげで、視点の動きにあわせて、どんどん力が大きくなる感覚になるわけですな。最後にかぶがくる方が、力強さが伝わる。力の大きさから見た「やっとぬけた!」という感動は、内田訳の方がひとしおに思える。

 あとですね、内田訳には日本の民話調とでもいうような、超訳的な言い換えがあるんですよ。この味わいが捨てがたい。捨てがたいって、変な言い方かもしれないが。
 そういうわけで、僕は内田訳が好きだ。そもそも、内田訳がなければ西郷訳もない...かもしれない。知らんけど。
 ま、好みですね。ここで優劣を決めるつもりはない。

 絵本とは、つくづく恐るべきものである。

 ちなみに、科学的にというか、力学的には、この方法ではかぶは抜けない。みんないっしょに、直接かぶをひっぱらないとね。

今日もスマホは百花繚乱

 ホントにスマホばかり見るようになったなぁ。
 僕はというと、iPhone は持ってるけどそれ以外のスマホは持ってない。その iPhone のメールアドレスは誰にも教えてなくて、通話にも使ってない。いわゆるガラケー(折畳み型)が、通常の通話とメールに使っているケータイだ。

 百花繚乱...と書いたが、日本のメーカーがスマホから手を引いたりして、選択肢が今後変わってくるね。iPhone しか持ってないけど、なんだか複雑な気分だ。
 ほんで当の iPhone は、5s と 5c の発表があって数日経った。
 ほぼリーク情報そのままで、発表直後からいろいろと、あれが付いてない、これがこなかった、と disられてますが。僕はと言えば、今持っているのが 4 だから、買い替えるにはいいなと思う。
 特に調子が悪いわけではないが、ボタンの利きが悪くなってるのと、速度が追いついてこない部分が感じられるようになっている点がよろしくない。
 田舎にいると、どのバンドに対応したとか、たいして恩恵ないからそれほど重要でもない。プラスで対応してればいいなというところ。そういう意味では、各社のプランや乗り換えのメリット・デメリット、メールやその他機能面の小さな差異の有無...などの方が気になるな。

 買い替えるとしても、少し様子見をしてからにしようと思う。
 予約が開始されるのでプランの情報も出ていているけど、今後変更もあるはずだ。どうやら某社が、先行他社の現行料金と同等の設定でスタートするみたいなので(iPhone 専用プランで、他の機種で使える更にお得なプランは使えない)、2社は後日もっと下げてくるかも?
 先に書いた通り、機能面の「蓋を開けてみたら...」の部分もあるはずなので、それも見てから決めるつもり。きっと品薄で入手は先になるんだろうけど、焦らなくてもいいや。

 Android とかを検討するのもアリだけど、たぶんしない。
 Mac といろんなデータをやりとりするし、やっぱり今まで使ってた「資産」の使い回しがしやすいから、このまま iPhone を使い続けるだろうなぁ。乗り換え時のデータの引き継ぎもラクチンだし。
 結局、好みなんだろうなと思うのです。それぞれにデザインが違ったり、使い勝手の良し悪しがあったり、機能が違ったり、ネットワークの状況が違ったり。
 僕はこのテのものを最初から iPhone を使ってて、そのまま iPhone を継続使用...て感じかな。

 iPhone を買ったのは、もともと何かガラケーより文章を打ち込みやすい小さなデジモノが欲しいと、ずっと思っていたからだ。
 PDA や手帳サイズのパソコンも、考えないではなかった。でも何かしら不満があって、見送り続けていた。PC は起動が遅い。リナザウは連携はできるけど微妙にやりにくい。といった具合で、以下似たり寄ったりなので省略。

 でもやっぱり欲しいから、本気で検討を始めた。いつ買うともしれない感じで...。その頃にこれならいけるかなという機種の筆頭だったのは、ノキアのフルキーボード付きのケータイである。そこへ iPhone が現れた。
 発売後しばらくは静観していたのだが、キャンペーン期間中にお店でデモ機をいじってみて、これなら使えるかなと思って購入したのであった。Mac と同期しやすいのもポイントだった。新iPhone(2代目)が出る前のことである。
 当然ながら、iPhone とて万能ではない。でも僕はガジェットは好きだけど、ディープな使い方はしないので、これでよかったと思う。

 当初 iPhone と迷ったものが、ひとつある。iPod touch である。
 違いは 3G ですね。入力して同期するだけなら、iPod touch で充分だ。でも iPhone じゃないと使えないアプリがあるから、選んだのは iPhone だった。地図とか、Wi-Fi 飛んでないと使えないしね。

 iPad は、7インチくらいのがあったら欲しいかも...。Wi-Fi ので...。と思っていたら、出てしまった。
 思っていたより少し大きかったけど、満足できるサイズだね。

 Android にしろ Win にしろ、どの機種がいいかとかよくわからない。このあたり、デジクラのみなさんには脱帽ですね。
 ケータイでも何でもそうだが、自分の使い方にあうか考えて、必要な機能の有無を見て、あとはデザインやさわり心地で決めればいいと思う。
 ディープに使わない限り、ほとんどの人にとってはどれを使っても、機能的にはあまり違いが感じられないかもしれない。そうなると、使い勝手重視の方が失敗が少なくて済みそうだ。
 買った後で気付いたことは、次の時に活かすということで。

自分だけが知るモノ

 以前、「アンダーウェアの選び方」という記事を書いた。そしたら、このタイトルまんまの言葉で検索して、ここにやって来る人が現れた。なんとねー。
 ほんなら、も少しマトモなこともちっとは書いておいた方がいいかなぁ...と思っての、本日の記事。

 とは言ってもね、ぶっちゃけ自分で探して履いて、納得するしかないんだけどね。

 これだけだと、これで話は終わるのです。そうはしないけど、この「自分で納得」は、けっこう大事なことだと思う。
 似合うとか似合わないとか、客観的に見てどうかはともかく、自分に「あう」ものは自分だけが知っているのだ。だから、自分で探して納得するしかない。と思う。たぶん。
 アンダーウェアに限らないことかもしれないが、サイズや着心地の重要性が高いものなら、より「自己中」になっても不思議じゃない。

 さて、アンダーウェアという広いくくりで情報を求める人って、どんな人たちだろう。そんなことも考えてみるけど、ピンとこない部分がある。
 アンダーウェアのことを、いくらか語ることはできる。だけど広く見渡すと、実は最初からある程度、射程範囲が絞られていることが多いのでは? だとすると、どの範疇で何を言えばいいのかなー...と思うわけですよ。
 だってね、トランクスとビキニとボクサーで分けたら、そのどれかしか履かないって人は少なくないはず。そしたら、例えば他のウェアに興味があるけど、鞍替えするか迷う...なんて場合には、キーワードは変わってくるよね。

 そんなこんなでよくわかんないから、以下つらつらと。

 アンダーウェアに求めるものって、みんな違うよね。おもしろいことに。
 何を重視するのか。自分にとって、譲れないポイントはどこか。一般的に、大きく分ければ2点にまとめられそうだ。とりあえず、アンダーウェアの種類は無視しよう。

 ・履き心地(フィット、ゆったり、ロング、ショート、ローライズ、生地...など)
 ・デザイン(単色、カラフル、文字入り、切り換えの有無...など)

 こう考えると、ゆったり履きたい人はトランクスやゆったりなボクサーだろうし、フィットするのがいい人は体に密着するボクサーやビキニだろう。
 もし何よりも、なにがなんでもデザイン優先の人がいたとしたら、トランクスだってビキニだって何だっていいのかもしれない。でもそんな人は、稀ではなかろうか。
 とすると、やっぱり機能や履き心地がまずあって、その範囲内でこんなデザインが好き...ってなるよね。なんでもアリな人でもなければ、ある程度の選択範囲の絞り込みが既にあるわけですよ(アンダーウェア全般を射程範囲に収めるマニア的な人は、これに当てはまらなさそうですね)。

 これを無視する路線だと、このヘンテコリンなアンダーウェアは、履きやすいのか? などと疑問を持つことはあるかもしれないな。

 僕が気になるとしたら、このメーカーのこのカテゴリーの商品はどうなのか? だなぁ。デザインは見た目だから、Web でも見ればだいたいわかる。履いた時にどう見えるかはともかく。この点は、平置きじゃない写真のあるサイトの方が親切ですな。
 でも、履き心地はそうはいかない。
 こんなふうに思うわけだけど、他の人はどうなんだろう。

 僕はビキニは履かないが、ビキニひとつ取っても案外バカにならない。言葉面は同じ「フルバック」でも、生地の伸びも違えば、全体の大きさも違う。フロントの切れ込み具合も違う。
 自分が履いた時の収まりみたいなもの──しっくりくるかどうか、とでも言えばいいのかな──そこも違うんだよね。いわゆるサイズ感というもの。ほんで、これがかなり重要。僕にとっては。
 繰り返しとくと、ビキニは履かないよ(何着か持ってるけどね)。

 じゃ、ボクサーはどうなんだろう。
 ボクサーがまた、バリエーションが広いんだよね。しかも今は、ボクサーともビキニともつかないようなボクサーもあるし。

 ・ルーズ/フィット
 ・ロング/ショート
 ・ハイライズ/ローライズ
 ・カップの有無

 これだけでも、挙げてみると迷うね。僕は「フィット・ショート・ローライズ」の組み合わせしか履かない。カップは絶対ではないけど、あるのが多い。

 当然のことながら、カップにも好き嫌いがあるからねぇ。カップがある方が好きとか、ない方がいいとか、強調されすぎて嫌だとか、逆にそこがいいとか。
 それはともかく、メーカーでこのカップの具合が違うんだよね。厄介ですな。

 ひとつ TOOT を基本に据えてみるとしよう。
 TOOT は、カップがやや小さめ。でもモデルによって、伸縮性との関係もあってか全体的にゆるくて、カップらしさに欠けたり、ホールド感が足りないこともある。逆にキツキツのもある。
 DUGAS はしっかりホールドするけど、ピーニスの存在が TOOT より強調されぎみ。なんかこう、無駄にモッコリする...みたいな、ね。
 GMW はタコバインダーのおかげか、股間はしっかりフィットする。だけど、本体が TOOT や DUGAS よりやや大きめ。ルーズ気味、つまり同じサイズでもサイズ感が微妙に大きい。
 ムスコさんにはどっちを向いていただくか、カップはこの好みとも関連する。TOOT と DUGAS は、上向きが基本かと。GMW は、下向き収納を想定してるぽい。たぶん。
 どのメーカーのウェアも、上下ともいけるけどね。横がよければ、横でも...。

 ついでに BVD は、基本的にカップがない。BW もだね。股間にゆとりが作ってあるモデルはありますが。

 その他にも「あんどるー」とか「でぃーぜる」とか、以下省略してアンダーウェアのメーカーは多々あるわけだが、それぞれ特徴なりこだわりなりがある。僕は自分にあうサイズがないから、そのへんのブランドは履いたことがないけどね。
 海外ブランドは、日本サイズ相当に換算してなければ、1〜2サイズ落とすのが基本ですね。
 僕が S を好む(というか、ちびっこだから絶対的にそうなる)ということは、国内メーカーを買う傾向がどうしたって強くなるわけで。海外ブランドはお呼びじゃない。
 ちなみに某メーカーのあの「ぶら下げ」機能は、ホントにいいのかなぁ。

 こんな感じでメーカーの特徴はあるけれど、失敗したっていいじゃないか...というくらいに思って、履いてみるのが一番じゃないかな。返品なんて考えずにね。


 昔のことだが、僕も何度か失敗したことがある。
 他のページでも書いている通り、僕はアンダーウェアをほぼネットでしか買わない。リアルショップに、自分のサイズのウェアがないからだ。ちくしょう。
 Webサイトに掲載されているサイズは、曲者である。気を付けるべきは、日本サイズなのか、欧米サイズなのか...だ。あとこれに、メーカーの表示サイズなのか、実測もしくはそれに準ずる表示なのかを加えておくといいかな。

 中にはね、まるで日本サイズの表記のように書いてあるけど、実は欧米サイズでしたー...なんてサイトもあるんだよね。
 これは実際に失敗した時のことだが、とあるサイトに、実は欧米サイズなんじゃね? という、疑わしきボクサーがあった。他のサイトには、M までしかなかったモデルである。ところがそのサイトにだけ、S があった。一言一句までは覚えていないが、日本サイズ相当であると表記されていたのだ。
 で、ホントかなぁ...と思いつつも、デザインがよかったから買ったわけ。きてみてびっくりこっくり。デカいじゃないかーぁ!

 こんなもん、履けるきゃ。嘘つき!

 他にも何度か失敗したおかげで、なんだかコツもわかってきた。さらに安全運転して、ほぼ決まったお店でしか買わなくなったけどねー。新開拓するブランドでもない限り、サイズ感がわかっているから悩むこともないし。
 人間、失敗から学ぶものなのだ。

新しきものは、怖きもの

 9/1 といえば、このサイトがスタートした日である。
 でも作り替えたわけだし、9/1 の意味は少々薄れたかな? 僕が個人的に、開設記念日だな...とちょっくら感慨にふけりでもすればそれでいい。うん、そういうことにしよう。


 さて、先日のエントリーを受けまして。Movable Type の話。
 Aqua⇔Breeze 2.0 に採用したサイト構築ツールは、Movable Type 5.2 である。開始時の、最新バージョンですね。
 セキュリティとかいろんなことで、新しい方がよかろうて...と思ったわけだが、これがなかなか大変であった。なんでか? Webにしろ本にしろ、情報が古いのである。既に!
 例えば Web で MT5 の情報にたどり着いても、そこに書いてあることと、自分が相対峙している MT の挙動とが、一致しないのであった。なんでよ。

 ちょこまかといろんなトラブルがあったなぁ。
 サイドバーに表示されるメニューが重複したり、いらん項目が表示されたり、なぜかロゴがどどーんと大きくなったり...。テスト記事をアップしてからが長かった。
 昔の経験のおかげで、HTML と CSS はおぼろげながら覚えていた。手元に本もあるので、覚えてないことはそれと Web で調べればいい。全部を知る必要はないし。自分がいじりたい部分のことだけわかれば充分だ。
 しかし、その都度わからんことを調べては試す、試行錯誤の繰り返し。やってみたら、一発でうまくいくとは限らないのだ。先に言った通り、なんせ書いてあることが微妙に違ってて、その通りにできない場合もあるんだもん。
 なかなかしんどいものである。

 新しいものはいいんだけど、怖いのはこういうところですね。初心者には、その通りの情報じゃなきゃわかりにくいものなのだ。
 僕も MT に関しては初心者で、こういうことに慣れない人ではある。だからコードをたちどころに理解できるような人には遠く及ばないが、まだ少しはわかるから、ちったあマシだったかもしれない。これ、ホントに初心者だったら、きっともっと困るだろうなー。
 新しいものの宿命だね。

 とはいえ、前と似たようなデザインで、狙った通りに表示された時は嬉しかった。なんていうか、新しいけど戻ってきたぞー...というような。大げさだが、感無量といったところである。
 まだ気になる部分はある。
 今後も細かい所に少しずつ手を入れながら、運営する予定だ。突如デザインが変更されることもあるかもねー。