2013年7月アーカイブ

iPhone アップデート手順

 iPhone の iOS のアップデートは、本当はそんなに難しくない。特に今は、母艦の Mac や PC に接続しなくてもアップデートできちゃうので、ますますラクチンなことこの上ない。
 でも、失敗することだってないとはいえない。
 やり方がマズイ場合も、たぶんある。とはいえ何かエラーでもあれば、失敗する時はやっぱり失敗するんだけど。それから、やり方がわからないよ! て声をよく聞くのも確かなんだよね。
 そんなこんなで、備忘録を兼ねて、ここに記しておこうと思う。
 ただしこれは保証ではなくて、僕がいつもやっている作業なだけなので、後は自己責任でね? ネットにはこの手の情報がわんさかあるから、よくよく調べるとよろしいかと。

 さて。アップデート作業に移る前に、やっておくといいことがある。設定変更と、各アプリのデータのバックアップだ。
 設定の変更は、もう終わっていたらしなくていい。初期設定では都合が悪いので、必要なら変更をオススメする。

 まず、設定変更について。変更すべきは、自動同期である。
 母艦たる Mac や PC の iTunes の環境設定に「デバイス環境設定」がある。ここに、自動同期の設定項目がある。「iPod、iPhone、および iPad を自動的に同期しない」とかそんな文言で。ここは「自動的に同期しない」ことをオススメする。
 なぜなら。自動的に同期されると、同期したくないタイミングで同期されるからだ。同期せずにおけば、勝手にカレンダーや住所録を同期されることはないし、それらのバックアップを取っておく余裕もできる。
 初期設定では、同期する。自動同期は便利なんだけど、自分で同期ボタンをポチンとするのが僕は好き。トラブルも少ない。たぶん。
(補足:iPhone と母艦を接続後に、デバイスのリストから iPhone を選択すると、この中にも自動同期の設定がある。これも手動に変更しとくといいですね)

 一方の各アプリのデータのバックアップは、同期されるアプリのもの。標準でいうと、代表格はカレンダーと住所録。他に、写真を同期している場合は、そのアプリやフォルダ。音楽に関しては僕はトラブルを聞いたことがないので、そう心配しなくてもいいかも。iTunes のバックアップがしっかり取れていれば、なんとでもなる。
 と書き連ねたが、つまりは母艦のバックアップも取ろうねってこと。備えあれば、憂いなし。
 カレンダーと住所録については、iCloud などのクラウド上にバックアップを取るのもいいだろう。僕は現在スノレパさんなので、できないけど。写真は、Mac なら「イメージキャプチャ」を使えば、Mac にダウンロードだけできちゃう。
(補足:こういう作業を自由にやりたい場合、iPhone を母艦に接続した時、iTunes が自動で起動しないようにしておくといいでしょうねー)



 では、いよいよアップデート作業でござる。おおまかには、バックアップ→アップデート→復元...と進める。
 桁の変わるアップデートでは、僕はこれら一連の作業をセットで行っている(前述の作業も含めて)。

 1. iPhone の各アプリのデータをバックアップ(念のため)
  ・写真のバックアップ
  ・データベースの同期
  ・メモの同期
   ......など、必要なアプリのデータを個別に。
  (通常は、すべてのデータが iTunes でバックアップされる)

 2. iTunes を最新版にアップデート(していない場合)

 3. iPhone を母艦につないで、iPhone のバックアップを取る
  (iTunes で iPhone を選択して「バックアップ」か「同期」をクリック)

 4.「購入した項目を転送」(通常はバックアップで送られるが、念のため)
   iTunesデバイスリストの iPhone をcontrol+クリック(右クリック)。
   →コンテキストメニュー
   →購入した項目を転送
   ※不要なアプリは iPhone と iTunes 両方で削除。
    必要なら iTunes で残す。

 5. 最後にもう一度バックアップ
  (復元は最新がいいから、まぁ念のため)

 6. OS をアップデート

 7. 復元
  アップデートが終了したら、データを復元する。
  ここは挙動が、バージョンによって違うようですね。

  おおよその流れでいくと、
   システムが復元される
   →「バックアップから復元」クリック
   →データ転送が行われる

 復元は手動でスタートすることもあれば、あっちが「復元する?」って聞いてくることもあって、僕自身、毎回戸惑っていたりして。
 でもだいたいアップデートが終わったらバックアップから復元する流れだから、戸惑うことはあってもわからないことはないと思う。
 後は勝手にやってくれるので、データ転送が終わって再起動されるまで気長に待つだけだ。

 これにて終了!


※アップデートとデータ転送が終わると、iPhone がコンニチハしてくるので、指示に従う。事故がなければ各アプリのデータも引き継がれてるので、アップデート前の続きですぐ使い始められる。
 万が一、データが復元されていない場合は、アプリごとに個別に取ったバックアップから復元ですね。

彼は誰なの、何者なの

 相方、ツレ、彼氏、パートナー、大切な人...以下省略...。
 呼び方はいろいろある。「相方」という呼び方が嫌いな人もいる。そういう人はたいてい彼氏がいない...かどうかはさておき。じゃあどういうのがいいのかなぁ。
 とそんなことを考えてみても、よくわからない。考え始めると、延々とループするのです。ホントに。で結局は、素直に「彼」でいい気がするんだな。

 彼氏を彼氏と呼ばずに言い換えるのは、なぜだろう。彼氏と呼ぶのに、抵抗があるから? あるいは差し支えがあるから?
 気恥ずかしさか。そう呼ぶのに適した状況じゃないからか。
 直接的な言い方を避けるべき状況はあり得るにしても、常に避ける必要があるのか疑問は浮かぶ。何が問題なのかなー。

 疑似的にでもいいから、夫婦に近い感覚になりたくて、「彼氏」ではなく「相方」と呼びたい人もいるかもしれない。「彼氏」だと、どうも軽い感じがしてしまう...と。
 相方と呼ぶのが好きという場合は、ひとまずよしとしよう。
 ところが、彼氏と相方を、なにがしかの意味によって使い分けている人もいる。でもそれは個人的な意味付けであって、共通認識も、固定した意味もない。もうこうなってくると、何がなんだか...。

 ま、現状は結婚がないから、夫や妻に相当する言葉がないわけだ。そう表現することはあるが、結婚ではない。その状況になりえず、同時に離婚も成立しない。付き合い始めて、別れるまで。永遠に「彼氏」。そんな感じはしてしまう。
 この点、夫婦に近い感覚になりたい時やそれに近い関係を築いている時には、「彼氏」じゃ物足りないのも頷ける。ただし代わりの言葉がないし、「相方」といった言い換えがベストかどうかはわからない。

 深い関係を続けるカップルがいる一方で、それでもなにやら希薄なものを感じるのも偽りのないところである。
 ずっと「彼氏」であることが当たり前のように受け入れられて、それ以上になることもなく、たとえ別れても「離婚」のように重大ではない。もちろん、一個人の純粋な感情的重大さの違いはある。でもそれは、男女間でも同じことだ。結婚から離婚に至るプロセスとは別儀だ。
 結婚以上のステップがないのは、気持ちは若いままでいられるかもしれない。けれど確かに、ある種の人生的な成長のプラスがないかも。優劣ではなくてね。
 彼氏以上、夫婦未満?

 一方にあって他方にないものは、互いにあって当然だ。

 夫・妻と表現できる相手がいたとしても、夫・妻そのものはいない。天地がひっくりかえっても無理である。
 だから、こんなことになるのかも。なんて思ったりして。

(今後、同性婚が可能になったとしても、既存の言葉がそのまま当てはめられることはないんじゃないかなぁ。無理に当てはめる必要もないしね)

ヤルからにはワケがなくもない

 なぜ、サイト運営を始めたのか。これも昔話ですな。
 理由はいくつかあるのだが、ここではその中からゲイに関する部分に絞って書いてみる。

 3〜5年前の話から始めよう(2005年からなので、2000年〜2003年頃のことですね)。2年も幅があるが、気にせずに。

 いろんなサイトを見て、いろいろ思ったりするわけである。特に、僕のようなコドモはね(笑)。話を思い切って省略するが、とにかくいろいろと考え込んでしまったりしていたわけである。細かいことは、また別の機会に書くかもしれない。
 そういう状況にあると、訪れるサイトでまた感じることがある。

 あぁ、こんな自分押し殺して、僕は...。
 もっとラクに生きられたらなぁ...。

 要約してしまえば、こんなふうに言えるだろう。
 しかし、である。それがいつの頃からか、感じ方が変わった。同じことが、「苦しい」とか「辛い」の側ではなくて、「嬉しい」「楽しい」の側で感じられるのだ。
 同じ感じるにしても、どちら側から捉えるかで全然気持ちが違う。不思議であった。
 そう感じられるようになった下地があるわけなのだが、ここでは Web に関してのみ言っておこう。
 あちこちのサイトを徘徊するうちに、僕は自分の気持ちを楽にしてもらっていた。そういう捉え方ができるようになったのだ。

 感謝。
 サイトを立ち上げた、大きな理由のひとつである。

 もっとも、僕のサイトを訪れて、どう感じられるかはわからない。どっちかというと、かなりあほなことばかりが書いてあるサイトだしね。
 とりとめもなく、思い付いたことを書き連ねているだけ。まとまりはないし、悩みを抱えた人へのアドバイスなど何もない。ゲイへの理解を広めようと、啓蒙しているわけでもない。その感謝に報いようとしているわけでもない。
 誰かを救おうとか、そんなおこがましいことも思っていない。そもそも、そんなことはムリなのだ。
 せいぜい僕にできるのは、自分はこんな人で、こんなことを感じている...などという日常を、まがいなりにもダラダラと書くことだけである。
 そこから誰が、どんな気持ちを抱くのか、皆目見当がつかない。僕の意図とはかけ離れた想いになる人も、きっといるはずだ。だけど、今はそれでいいと思っている。
 悪く捉えられたり、揚げ足を取られることだってあるだろう。Web なんだし、これは僕の個人的なサイトにすぎないし、嫌ならそっとウィンドウを閉じていただきたいものですが。

 憧れのような気持ちもあるなぁ。
 いろんなサイトに触れて、生き生きとした様子を垣間見て、自分もそうあれたらいいな...と思うのだ。サイトを運営することで、また何か変わることがあれば、それもまたおもしろい。
 変わらないと思うけどね。

 そうは言っても、一番ものをいったのは、もっと単純なことである。「作るのが楽しい」という。自己満足につきる。

選べるもの、選べないもの

 原発は、どうなるんだろうね。

 情報はいろいろとあるわけだけど(出てこない情報もたくさんある)、推進派と反対派のやり取りを見ていると、疑問を感じることも度々ある。
 ひとつの疑問について、書いておこうと思う。

 原子力発電反対の声に対して、じゃあオマエは電気を使わないのか、とかなんとか言う人がいる。でもねー、原子炉を勝手に作って勝手に金をつぎ込んで、他の発電技術の研究を立ち遅れさせたのは、誰なんだろう。既成事実に対して「じゃあオマエは...」と言うのは、どうもよくわからん。
 原発はいらないと言う人は、昔からいた。それを無視し続けたのは、誰だろう。国や電力会社の勝手な振る舞いを黙秘し続けたのは、誰だろう。見せかけの安全神話に騙されたのは、誰だろう。反対の声に耳を傾けようとしなかったのは、誰だろう。
 更に、仮にどうしても原発に頼らざるを得ない事情があったとしても、より安全な原発があるというのに、これを置き換えるのを妨げているのは誰だろう。技術面での難しさはあるが(そもそもこれがあり得ない)、置き換えは人為的に避けられている。
 事実上、同じ場所で置き換えはできないので、新設するしかない。しかし新設でも、安全性の高い新技術が使われることはないだろう。

 危険が伴うとわかっているものに対しては、充分な安全対策と危機管理体制が取られるものだ。しかし原発は、この点があまりにお粗末である。事故は起こりうるが、その備えは手薄で、廃炉すらままならないのが現実だ。昔からわかっていたことにもかかわらず。
 危険だとわかっていながら、利権やカネも絡んで、使いたくて仕方がない。でもそんなことを表立って言えるはずもなく、嘘でも「安全」と言い続けて、それが真実だということにしている。
 そんな原発を信用したことは、生まれてこの方一度もない。中学の夏休みの課題の「原子力の日作文コンクール」で、「原子力発電はいらん。他の発電技術に換えるべし」というケンカ売ってるような内容の作文を書いた人ですからねぇ(当然ながら、こういう作文コンクールは、そのすばらしさを挙げて褒めて、夢のあるものにするのが「正しい」対処方法ですよー。それを本当に「夢」だと呼べるのかどうか、はなはだ疑問だが)。

 政権がジミントーに移ると、原発の報道はめっきり減り、再び推進に舵は切られた。当然そうなるだろう。もともと強力に推進していた政党が戻ってきたわけだから。
 原発に関してミンシュトーの対応がよかったとはまったく思わないし、ここで政党の政策を云々言うつもりはない。しかし、震災がジミントー政権下で起きていたら、どうなっていただろう。原発に関しては、もっと酷いことになっていたかもしれない。
 幸いにして、自分たちがゴリ押しで推進しまくってきた原子力発電所は、ヨソの政党の政権下で惨事に見舞われた。自分で責任を取らなくても、誰も何も言わなかった。逆に、初動の対処もおぼつかない政府を批判していればよかった。本当は当事者なのに、まるで高みの見物である。
 阪神の時も、そのスタートに動いたのは、自陣の首相ではなかった。危ないことは他党が背負ってくれて、ラッキーな党である。

 日本の電力会社は、一般企業なら独禁法に触れる状態と言っていい。地域ごとの独占販売を、法律で守られている。その自由化は、やいのかいのと理屈をつけて退けられている。
 発電と販売(送電)を分業しようという動きがあるが、それじゃあ何の解決にもならない。今と変わらず、消費者の電力の選択肢は、ないに等しい。

 発電、もしくは発電と販売のすべての自由化が実現して、ユーザーに電力会社の選択肢ができたなら、もしかしたらその時初めて、原子力発電を使う人たちに対してこう言えるのかもしれない。
「オマエは電気を使わないのか?」ではなくて、「オマエは原子力発電を選んだんじゃないのか?」と。

(ただしそれでも、原子力発電を選びたくない人にも「原子力発電」というリスクを継続して背負わせる状況は変わらないけどねー)