頭ひとつのオロチかな②

 前回の続き。

 次は、話が少しだけ戻るツイート(時系列の「戻る」ではなく、内容的に)。


〈これは私の勝手な憶測なのですが、S田何某議員のLGBTについてのご発言の意図は、

①日本の少子化問題を解決したい
②年々膨れ上がる財政規模を懸念している
③LGBTの方々を、奇妙な活動に利用してほしくない

だと思います。
「生産性」という部分は敢えて入れる必要は無かったかなとは思いますが〉



 なんとも都合のいい解釈である。
 勝手な憶測などというレベルのものではない。アクロバティックで手前勝手な、実に都合のいい話のすり替えだ。犯罪的と言ってもいい。

 何度も言うが、「生産性」という言葉を入れようが入れまいが、同じことだ。その発想自体にも問題はあるが、たとえこの一言を削ったとしても、その人の思想が変わるわけではない。論考が、中身のあるものになるわけでもない。
 もし仮に、K林氏の憶測の通りなのであれば、そう書けば済むことだ。直接的にね。それについてのみ論じればいい。
 だがあの論考を読む限り、明らかにK林氏の憶測は、論考の主題ではない。意図を読み間違えている。論考にセクシュアルマイノリティを引いてきている時点で、その薄っぺらさが透けて見えるというものだが、やはりそれにも思い至らないようだ。
 故意かどうかは知らないが、このツイートは、主題をごまかそうとしている言葉のように感じられてしまう。ごまかしではなく、本気でそう思っているのだとしたら、はやりこれも問題あり。
 だから、犯罪的なのだ。

 ひとつずつ指摘しておこう。

 ①について(日本の少子化問題を解決したい)。
 そもそも、少子化対策に LGBT を巻き込むのがおかしい。
 少子化の問題は、LGBT とは無関係にもっと遥かに広範囲で、多岐にわたる問題だろう。それを、まるでセクシュアルマイノリティが存在しなければ解決するかのように言うのは、まったく理解できない。
 そうは言っていない...と言い訳するかもしれないが、ならば無関係の事柄を引いてこなければいい。擁護などもしなければいい。あのような見せかけの「擁護」パフォーマンスは、むしろ迷惑でしかない。
 以下省略。

 ②について(年々膨れ上がる財政規模を懸念している)。
 財政規模に対する懸念もまた、LGBT と関係しない。他に検討するべきことが...などと言うのもばかばかしくなる。関連付けること自体が、非常にナンセンスなのだ。
 諸所のことを考えれば、今後その規模はさらに膨れ上がっていくでしょうね。しかし問題の解決は、別のところに求めるべきである。昨今のあちらの様子は、解決するつもりがあるのか甚だ疑わしいが。

 ③について(LGBTの方々を、奇妙な活動に利用してほしくない)。
 S田氏は LGBT の理解者ではないし、基礎知識もないし、S田氏に援護して欲しいとも思わない。それをまるで LGBT の擁護者であるかのように書くのは、ほとんど悪意すら感じる。
 重ねて言うが、S田氏は断じて理解者ではない。実情は、まったく逆にある。擁護など、むしろ絶対お断り(正しい知識を得て認識を改めない限り)。
 奇妙な活動に利用しているのは、まさにS田氏自身であろう。自分のおかしな主張のために便利に使い、嘘ばかり並べ立てている。セクシュアルマイノリティに対してマイナスイメージや謝った認識を植え付けることこそあれど、援護になることなど何もない。

 要するに、K林氏の憶測する①②③は、いずれも論点がずれている。正確性がないし、事実も無視だ。

 次。


〈S田先生は、子供を産む人は素晴らしい!と言っていたのではなく、どちらかと言えば子供を産むことに税金を分配したいと言っていたのでは〉



 言ってない。どうすれば、そう読めるのか。繰り返しにしかならないが、そう言いたいのならば、それを主題として論じればいいだけのことなのだ。
 LGBT を引き合いに出す必要性は、完全にゼロである。
 仮に論考の失敗をひとつだけ挙げるとすれば、これは最大の失敗である。ただし、当人は以前からそういう思想であり、その主張を曲げない人物であるし、あの論考に見るべきものは何もないので、実際には「論考全体がすべて失敗」だが。

 この他にも、少子化と絡めてあれこれ言う人が後を絶たないが、絡める意味がまったくわからない。絡めてどうするの? まったく意味を成さないし、何ひとつ解決しませんが。
 LGBT と少子化を同列のように論じたりするから、本質を見失う。何が言いたいのか、わからなくなる。LGBT の存在程度では少子化には影響を与えられないし、何かしたとしても少子化対策にはならない。そんなことでは、子供は増えない。
 どこを見ているのか、疑問ばかりが湧いてくる。見るべき方向がおかしい。

 まぁ、しかしそれも、当然とも言える。あの、わけのわからなさは。
 あれは、少子化対策という大義名分を振りかざすことで、LGBT を否定しようとするものだ。
 少子化問題を論じるふりをしながら、実は少子化は主題ではなく、それを LGBT の全否定の理由に使おうとしているだけのもの。因果関係を見失っているだけでなく、事実は無視、論点はズレる、思想は歪んでいるし、人道にももとる。そして発言者は、それに気付けない。いいことはひとつもありませんね。
 その魂胆は、まことに醜いものである。頭がおかしな人にしか見えないので、そのような発言はおやめになった方がよろしいと思います。

 最後。


〈議会での発言は言葉足らずであったと反省しております。
私の周りには小学生の頃から同性愛者の友達がおり、同性愛者の方々に向けての差別が日本にあるなんて考えたこともなく、発言してしまいました。
そして趣味という多義語を使ってしまったことも悔いています。
よく議論する必要がありますね〉



 何をどう突っ込もうかと、頭を抱えてしまう。言うことが酷すぎて、二の句が継げない有り様だ。

 K林氏が、議会において「同性愛は嗜好だ」「障害かどうかわからない」などなど、S田氏とまさに同じ思考による発言を延々とぶってみせたのだが、これは、それへの言い訳ツイートである。
 言い訳ブログがまたぶっ飛んでいるのだが、ここでは触れない。

 完全に錯誤である。

 言葉足らずかどうかとか、そういう問題ではないのだ。
 このツイートに限って言えば、的外れな反省に始まり、想像力の欠如(私の周りには〜)、無意識の差別と無知(同性愛者の方々に向けての差別が日本にあるなんて考えたこともなく〜)、基礎知識の決定的な不足と著しい認識の歪み(趣味という多義語を〜)等々、まるで錯誤と無知のデパートである。
 単に無理解なのだ。これらの事情すべてにおいて。
 以下、省略。



 最後に、上記の発言にも関係する「歴史」とやらの話を少し書いておきたい。
 このところ「同性愛者に対する差別は日本にはない」などと言ってのける人を、度々見掛ける。それらは想像力の欠如や無知の問題で、これ自体は、昔からちょくちょく目にすることがあった。
 しかしこの頃は、これに続けて、あるいはその前段階として、意味のわからない発言がくることが少なくない。

 例えば、歴史的事実を見誤った「中世からの伝統として社会が受け入れてきたから、日本には差別はない」といった、意味のわからないもの。一応指摘しておくが、完全な誤りである。加えて、そもそも江戸以前の話を引いてきても意味がない。
 壮大な妄想を、まるで歴史に基づいて論理立てて表明していますとでも言いたげに述べ立てる。まったくお笑いである。

 ここでは思うことの詳細は省くが、僕自身は、擁護においても否定においても、江戸時代やそれ以前の実情を引いてくるのは、あまり有意味だと感じない。
 昔の日本はどうであったかを知るのは、悪くない。歴史を知ることは、大切なことではある。昔はそうであったが、翻って今はどうか...という視点も、あっていいだろう。
 しかし、「だから今でも...」というようなつなぎを持たせることには、疑問を持つ。特に、S田氏やK林氏のような論調においては、疑問は大きくなる。
 昔はどうであれ、今現在どうなのかが最も問題なのだ。それを見誤っては、元も子もない。現実を無視する態度は、怠慢といって差し支えないだろう。
 こうした人たちは、やはり有害である。

頭ひとつのオロチかな①

 先のS田氏の月刊誌への寄稿に関連する話、そこから派生する話は2回でやめようと思っていたのだが、もう少し書くことにした。
 その後のK林何某氏のツイートがとてつもなくおもしろすぎるので、これをこのまま流してしまうのはあまりに惜しい(褒めてない)。宗教と化した超個人的思想世界の無知なマスターベーション思考を全体的・一般的常識のように語る典型例として、非常によくできているのだ。
 他の話、セクシュアリティ以外の話はよそに置いておくとして。
 この二人は、セクシュアリティに関して、思想的に非常によく似ている。性格はかなり違うようだが、これに関する言動で、自己愛的にマスターベーションに興じる様は、コピペしたかのような同質性がある。
 そういう意味では、ぶっちゃけ前回の繰り返しである。

 関連で、某幹部などの発言も非常におもしろいことになっている(やっぱり褒めてない)が、ここではあまり触れずにおく。

 少し期間が開いてしまったネタである点は、ご了承いただきたく。もっとも、たとえ時間が経っても当人らの意識が変化しているわけではないので、ネタとして古ぼけることもない。
 また、あれこれ挙げて噛み付いてみたので、またまた長くなる。今回も2回に分けることにする。

 引用しながらコメントするつもりではあるけれど、指摘できる点はおおよそ共通している。
 いくら言葉を替えても、高尚そうにしていても、根は同じ。

 いくつかの点をまとめると、

・基礎的な認識、知識が欠けている
・事実に基づかない発言である
・LGBT と少子化には本質的に因果関係がないが、まったく考慮されていない
・S田氏の論考で最も問題とされるべきは、優生思想である
・事実のすり替えが行われている
・論点のすり替えが行われている
・私的な知人のごく限られた話を、全体の話に強引に転換している

 等々、大変お粗末である。

 では具体例を見てみよう。
 まず、ひとつ(いつものように、名前は英数を含むものに変換いたします)。


〈S田何某先生のLGBTについてのご発言、確かに「生産性」という言葉の響きはきつかったかもしれませんが、言葉だけ切り取らずに文脈を見ると、あの「生産性」は「子供を産めるかどうか」という意味だとわかります。
言葉を文脈から切り取り、感情的になり過ぎてはいけませんね〉



 もう、笑うしかないのである。冷笑である。
 わざわざ「文脈を見ると」などと言わずとも、まさに「子供を産めるかどうか」ということそのままであって、わかりきったことだ。「そういう意味だから大丈夫」とでも言いたげな様子に、ほとんど興ざめする思いだ。

 この言葉や言い回し自体も、充分に問題があろう。だがしかし、本質的にはそういう問題ではない。「言葉の響き」とか「切り取るな」とか、どうでもいいことなのだ。
 要するにS田氏もK林氏も、これらが優生思想と同義であるとの意識はまったくお持ちでないということなのでしょうね。この二人、驚くほど同じことを言うし、もともとよく似た考えをしていらっしゃるようなので、当然ではあるのだが。
 これでは辞めろといわれても、仕方がない。擁護すべきところもできるところもないので、どうしようもない。

 ついでに触れておく。
「議員が簡単に辞めていては議論にもならなくなる」などと言う人もいるが、「簡単に辞めろ」と言っているのではない。また、議論をしたくないわけでもない。政治家らしからぬ人がそこにいるのだ。失格者を、失格者のまま祭り上げたままにしておこうという認識の方が、僕には理解し難い。
 その上の者は、それに見合うだけの対処を施すことに、何の躊躇がいるのか。それができないのだから、彼らは同じ穴の狢でしょう。
 僕自身は、辞職についてシュプレヒコールを挙げようとしているわけではないが、当の発言者とその擁護者の皆様方の体たらくはあまりに情けないと感じる。辞めてしかるべきとも思う。
 政治家が語ってはならないことを語っているのだから、自らそれなりの身の施し方をするほうがよほど清潔で、有意義なのではなかろうか。

 重ねて言うが、議論をしたくないのではない。
 K林氏はリプライに対して「議論すること自体がタブーになってはいけませんね」とも述べているが、論点がおかしい。
 有意義な議論は歓迎するが、そもそも彼ら・彼女らとは議論にすらならない。なぜなら、基礎的知見がまったく欠けているからである。問題は、「議論」以前にあるのだ。
 それゆえか、議論にしてはならないようなことを平気で持ち出す人が、あまりに多い。結果は当然、おかしなことになる。初歩的事実の正誤に終始して、それ以上の、求められるべき議論にならない。なるわけがない。認識を誤っている者が、常に認識を改めようとしないのだから。正しい知識を得ようとしないのだから。
 議論をしたいのであれば、「議論すること自体がタブーになってはいけない」などとうそぶく人たちこそ、議論に必要な最低限度の知識をまず身に付けるべきだろう。数字を知らないのに「算数」を飛び越えて「数学」やろうとでもいうような、無謀さだ。
「議論にならない」のは、「議員が辞める」からではない。
 誰もがその愚かさに気付けそうなものだが、知らないということを知らない人や、知らないのに知っていると信じ切っている人などは、その無謀さにも気付かない。まさに「宗教」でしょう?

 次に移ろう。


〈私の周りのLGBTの方々は、有能で仕事ができたり才能があったり、尊敬できる方ばかりです。
何よりもきちんと納税しているし、「そういった意味での生産性」はとても高いです。
「あの本の中の、あの文脈での生産性」の問題を飛躍させ、必要以上に嘆き悲しみ怒ることは間違っていると思います〉



 いやあ、まったく何を言っているのだろう。頭は大丈夫なのか、本気で心配になってくる。
 セクシュアルマイノリティを擁護でもするつもりのようだが、まったく擁護になっていない。納税しているかどうかが問題なのではないし、セクシュアルマイノリティについての認識がもともと間違えている。こうした間違いに基づいて都合よく話を展開するのだから、続く話も意味不明となるのは必定である。
 その立場の人物が、この程度でしかない。認識も、発信の内容も。しかし同時に、この無茶苦茶ぶりがわからない人がまた、少なくない。
「生産性」の言葉の意味を飛躍させているのは、他ならぬK林氏自身であろう。まともな知識と感性お持ちならば、ここは先輩であろうと「そのような思想は間違っていると思います」とでも指摘しなければならないところ。やるべきことが、真反対だ。

 次も、関連でツイートされていたもの。


〈子供を持つ・持たないなんて、その人の自由だと私は思う。
前にもTwitterに書いたが、様々な事情から持ちたくない方も多い。
その気持ちもわかる。
私も子供を持つかどうかわからない。
ただ、移民大国スウェーデンに留学していた身からすると、人口が減り、国が滅びていくことを懸念せざるを得ない〉




〈子供を望まない方は持たなくてもよいし、子供を望む方には、ストレスや経済的負担をできるだけ感じることなく持ってほしい。
厚生労働省のデータでは、子供を望む方の4割が「3人欲しい」と答えたというし、一政治家として、産みたい人が産める社会を作りたい〉



 それ、セクシュアルマイノリティと関係ありませんよね?

 直接的にセクシュアルマイノリティを指して言っていることではないが、暗に擁護しているつもりにでもなっているのだろう。
 もしこれが、まったく別の場面で独立的に発せられていたら、それほど気にならなかったかもしれない。しかし、この流れの中だからこそ、大きな違和感を感じてしまう。これについては、この後でも触れる。
 結局、何が言いたいのかわからない。

 こういう無関係のことを、なんだか関係していることのように平気で引いてくるおかしな人が絶えない。関係しているというのなら、何がどう関係しているのだろう。本質も論点もズレている。
 子供を安心して産める社会、どうぞお作りになってください。これは喫緊の課題でもあるし、早急にね。「作りたい」とかツイートしてても、具体的なものに繋がるかは甚だ怪しいが。
 本気でそのつもりがあるなら、この文脈で少子化に言及したのは明らかな失敗だ。関係があると思っているなら、認識が甘すぎる。これぞ、本末転倒である。
 また、こうした点を横に置くとしても、それ以上のものがない。子供を望む・望まないとか、身体的な理由などで望めるかどうかとか、どうでもいい。同じ触れるのなら、問題に対してどうするのか、策を示せばいい話だ。まるで、こうした方たちが大好きな「策を示せ」の通りである。しかし、そのような提言などは、何もない。

 続きは、また次回。

生産ラインの子供たち②

 さて、前回の続き。
 かの論考に好意的なコメントをする人たちの話から始めよう。

 笑えるのは、あれを擁護する人たちの無様さである。O川何某氏などを例にすれば、こう述べている。

「一字一句改める必要がない正論だ。読まずに騒いでいるか読んでも理解できずに騒いでいる人は頭を冷やした方がいい」


 その言葉、そっくりそのままお返し申し上げたい。
 つまりO川氏は、どこに問題があるのか気付くこともできないのだそうだ。この論考のどこに問題があるのかわからないし、騒いでいる連中が理解できない...と。
 あれって、まったく事実に基づかない文章なんだけどなぁ。嘘ばかりが書き連ねてあるんだけどなぁ。あれほど事実を無視した論考だというのに、一字一句改める必要がないものだと読めるらしい。どうやったらそう読めるのか、皆目わからない。
 事実は事実であるので、誰にでも簡単に確認できることだ。
 コメントの最後には「勉強、熟考して中身のある議論をする人が増えることを希望したい」とまで述べているが、スッカスカで中身のない嘘で彩られた論考によって、何を議論しろというのだろうか。それを正論と呼んではばからない人って、いったい何を見ているのだろう。勉強・熟考すべきは、誰だろう。

「人生観はいろいろ」などとのたもうた人などにも、大きな疑問を感じる。静観や中立を装いながら、この一言で無知をさらけ出している。
 セクシュアリティは、人生観の問題ではない...とだけ言っておく。

 次に、先輩に掛けてもらったという言葉を見ることにしよう。そのまま引用する。

「雑誌の記事を全部読んだら、きちんと理解しているし、党の立場も配慮して言葉も選んで書いている。言葉足らずで誤解される所はあるかもしれないけど問題ないから」


 はたして、そうだろうか。図らずもこの言葉が、むしろこの論考の不適切さを強く補完しているように思えてならない。
 僕は全文を読んでこれを書いているが、どこに擁護できるものがあるのか、まったくわからない。S田氏のそれは、稚拙と言わざるを得ないと感じた。
 言葉はそれなりに選んでいるかもしれないが、それは、正しい知識に基づいて、セクシュアルマイノリティに関する事象を誤りなく伝えるためのものではない。まして「きちんと理解している」などとは、到底言えない。
 仮に、仮にだ、もし他の部分が正しく理解されていたとしても(実際にはまったくそんなことはないが)、それをもって「生産性がない」という言葉に正当性を持たせることは不可能だ。

 あれはね、セクシュアリティのことを知らない人が、セクシュアリティのことを知らない人に、よく書けているねと褒められた...と言っているのだ。おかしいよね。すごくおかしい。
「1+1=3」だと主張する人が、「1+1=3」だと思っている人に、何も間違えていないから問題ないよと褒められた...と言っているようなものだ。「1+1=2」だと知っている人からは、どう見えるでしょうね。
 擁護している人たちは、たいてい同じような認識しか持ち合わせていないので、このような問題山積の論考に賛同できるのだろう。それらの人たちを信用ならない人たちだと感じたとしても、何の不思議があろうか。

 こちら方面のみなさん口を揃えて「切り取るな」と言うけれど、切り取ろうが切り取るまいが、同じことだ。
 本当に最初から最後まで、酷い論考なのだ。見るべきところがひとつもない。ひとつもだ。だからどこを切り取ろうと、中身がなにもない。どう切り取ろうと、意見を付けることに不自由はしない。
 何か「ここだけは賛同できるが...」とでも言えるところがあれば挙げることにやぶさかではないが、ないものはないので挙げようがない。

 おそらく「切り取るな」とは、例えば「自分はセクシュアルマイノリティのことを理解できると書いているのに...」とでも言いたいのだろう。
 そうであろう箇所を、ひとつ例に挙げておこう。

「もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます。職場でも仕事さえできれば問題ありません。多くの人にとっても同じではないでしょうか」


 この部分だけでも指摘できる点がたくさんあるが、それらはさておき。
 読む人によっては、「理解がある人なんだな」と受け取るのかもしれない。しかし、本当にそうだろうか。本当に理解があるのか?
 その答えは、紛れもなく「生産性云々」他、多くの場所にしっかりと現れている。これは言うなれば、ただのフリである。
 セクシュアルマイノリティに理解があるのではない。そう述べてもいない。ただ「一緒にいても平気」という意味のことが書かれているだけだ。
 一緒にいても平気なら、誰もがセクシュアリティのことを正しく理解しているのか。答えは「NO」だ。正しく理解しているかどうかと、単に交流ができるかどうかとは、別次元の話だ。つながりはあるにしても。
 交流だけなら、上辺だけ取り繕えばできるものだ。自分が認めたくないセクシュアリティを嫌悪しながらでもね。
 そして現実には、交流すら躊躇する人も少なくない。この点でも、この記述は正確ではない。
 何も知らず、何もわからないからこそ、あれほど酷いものが書けるのだ。正しく理解できているのであれば、その文中でもっとも言いたいことであろう「LGBTへの支援の度が過ぎる」などという話が出てくるはずがない。どう考えてもおかしい。
 それをもって「私は理解者だ。全部読め」などと主張するのは、まったくもって愚鈍である。それを擁護のよすがとするのは、あきれるほどのナンセンスだ。
 すべて読んでも見るべきところが何もないので、読んだところで意味がない。本当に唾棄すべきもの。あえて言うならば、この方がどういう人なのかを知るには、非常に役に立つ。

 その後の動向についても、少し触れておこう。
「殺してやる」などという脅しがあったとか。これ自体は、褒められたものじゃない。むしろ当事者としては、こうした行為は冗談でもやめていただきたいし、許し難い。
 しかし、思うのだ。翻って、S田氏の言っていることはどうなのか? まさしく「非生産的な人物は不要」と言っているのと同義だ。実際にそうだろうと問うと、口先では違うと答えるかもしれないが。「非生産的な人は存在価値がないから殺してもいい」というどこかで聞いたような思想と、大差がない。
 S田氏は「生産性云々」の話で、セクシュアルマイノリティを殺しにかかっている。こうした人たちは、往々にしてセクシュアルマイノリティが存在しなくなればすべてが解決すると思っているものだが、S田氏もまたそうだ。
 直接「殺す」だの「死ね」だのとは言っていないが、暗にそう恫喝し、圧をかけている。その存在が抹消されれば、何も問題はない、みんなが幸せになれる...と。
 やんわりと、論考という形を取りながら、寄稿によって公然とそれをやってのけている。嘘っぱちのその主張によれば、性同一性障害を除くセクシュアリティは「嗜好」とのことだしね。
 S田氏のような人たちは、セクシュアリティを趣味と同じようなものだとしか思っていない。

 その諸処の問題に対して「セクシュアリティを変えればいい」と答える人がいたならば、その人は真性の「頭のおかしな人」というほかない。セクシュアリティは、変えたり治したりできるものではないのだから。「指向」と「嗜好」の区別もできない人の言葉に、説得力はない。
 どこかの国のナンバー2氏はこれを公言してはばからないが、それによって自分で自分の愚かさをアピールしている。アピールは好きにやってもらえばいいが、それらは非倫理的で非現実的な思想であることに加えて、「生物学的に歪んでいる」と言って差し支えない。
 生物としてのゆらぎや多様性を失った時、果たしてヒトはヒトであり続けることができるだろうか。興味深い命題だが、僕は存在し得ないと思う。
 おそらくその時、ヒトは、進化の線上にいる生物としてのヒトらしさを失う。その先の道は、滅びしかないのではないか。もしくは、ヒトをやめるかだ。

 最後に、これはセクシュアリティやセクシュアルマイノリティへの差別を遥かに超える話だということを指摘しておきたい。
 ここまでセクシュアリティ関連でいくつかの話をピックアップしてきたが、それに留まらない。上記の「セクシュアルマイノリティを消そうとしている」という話とも共通する、非常に危険な話だ。
 S田氏の論考は、極めて主観的なものだ。ごく個人的な、先入観と印象によるもの。その主張にある「生産性がない」も、極めて主観的。
 もしこれが容認されるなら、どれほど非倫理的・非人間的思想であろうとも、ごく主観的な「生産性がない」のたった一言で、どんな相手でも差別し、抹殺できてしまう。このような優生思想を得意げに政治家が語り、それを擁護する政治家が少なくない。背筋が凍るような恐ろしさだ。
 そうした思想の片鱗は、一般の中に潜んでいるのだろう。おそらく個人の中の「片鱗」を消し去ることは、不可能だ。ならば、それが表出しない社会を作るべきなのではないか。
 その片鱗が個人の中に存在し続けるものだとしても、政治家が公然と語ってはならないものだと思う。

 それにしても、よくあれほど逸脱した論考を載せたもんだなぁ。ぶっ飛びすぎてる。

生産ラインの子供たち①

 出ましたね。
 雑誌への寄稿において、どこかの議員殿が、セクシュアルマイノリティの人たちを指して「生産性がない」とし、そこに税金を投じることに疑問を示した論考である。
 これに関する批判的な指摘が、方々でなかなかやまない今日この頃。まぁ、S田氏が何か言ったところで、今更驚きもしないが。情けないことに相変わらず...といったところ。

 こうした「意見表明」が出るたびにここに取り上げているわけではないが、今回はいくらか絡んでみよう。
 順に文を挙げながらちまちま指摘していくこともできるけれど、そこまではしない。本当に最初から最後まであらゆる事柄を混同し、酷くまたつたない、とても論考とは呼べないものなんだよね(ここでは続けて「論考」と呼んでおく)。また、逐一指摘しなくても長くなるので、2回に分けることにする。

 冗談でもなんでもなく、言ってることがサッパリわからないレベルの話なのである。
 ご本人の資質だの無知ぶりだのは、ここではいちいち指摘しないことにする。特にこうした人たちの無知ぶりについては、過去に何度も書いている通りだ。これにも、それがそのまま当てはまる。
 ぶっちゃけ、そんな無知・無能を晒して恥ずかしいことだなぁ...と思ったりもするんだけれど、当の本人は露ほどもそうは思っていないものだ。ますます恥ずかしいことだなぁ。
 もっと簡単に言えば、頭がおかしい。それに対して無言を貫く、もしくは支持をする周辺の人たちも、同様でしょうね。
 あれが「政治」だと思っているのなら、やっぱり頭がおかしい。

 生産性とやらに価値観を求めているようだが、これ自体もう理解に苦しむ。生産性って、なんですか? 何を指す生産性ですか? なぜここで、生産性が重要ですか?
 子供を「産むことができない」から、どうしたというのだろう。人間としての存在価値と、何か関わりがあるだろうか。あると思っている人は、既に差別主義者と言っていいだろう。そして、それを生産性と言い表すセンスも神経も、僕にはわからない。

 本来ならば、そのようなことが重要なのではない。別の話をすべきなのだ。この論考は、本質を大きく外した論考である。故意にではなく、当たり前のこととしてこれをやってしまうところがまた、非常に怖い。
 重ねて言うが、あるべき話は、S田氏が問題にしようとしているようなものではない。生産性がどうかとか、税金の投入がどうだとか、それが重要なわけではないのだ。
 なぜ、そんな話になるのか? なぜ、それが重要事項であるかのように訴えるのか? 何も理解できていないからであろう。

 セクシュアルマイノリティの人たちも、一枚岩ではない。いろんな考えの人がいる。細部に至るほど、その違いは多様になる。それこそ、個人の自由だ。当然のことだ。それでいい。
 それでも、望むこと・言いたいことを最大公約数的に集約すれば、極めてシンプル。「不自然な格差の是正」とでも言い表そうか。普通に生きたいだけ。ただそれだけなのだ。
 無能で無理解な人たちは、その「不自然」さがわからないわけだけど。残念なことに。
 要するに、「差別」はやめてよ...ということ。当然の、当たり前のことを言っているにすぎない。

 もう少し付け加えて言い換えるなら、支援してくれという話じゃない。支援に疑問を呈しているけれど、そもそも「支援」が重要課題なのではない。支援なり対処なりが必要な事柄はあるにしても、それだけで解決するなら、むしろ話は早いのだ。でも現実には、どうだろう。
 そうじゃなくて、法律や税制上の差別があって、だからそれをやめて...って話だ。もちろん、差別はそれだけではない。多岐にわたる。
 ところがS田氏は、話を「親の同意」のみに矮小化している。ここでも、混同が起きている。物事のごく一部のみしか見ていないことも、よくわかる。
 この点においてS田氏は、そちらに深く関わることのできる議員でありながら、それに触れることもない。個人的で歪な思想の披露と、偏狭な感情論に終始している。しかも、それらをあらゆる方向で混同した上で。
 これはつまり、自らの職務を完全に放棄していると言える。

 こんな時「普通に生きたいのなら、普通の人になれば?」などと返す人もいるんだけれど、そうした指摘は極めておかしい。
 セクシュアルマイノリティが「普通ではない人」という意識が、まずわからない。なぜ、そのような前提があるのか。既に普通の人ですが? セクシュアリティの違いは、人としての正常性や異常性を区別するものではない。

 この論考には「LGBとTを一緒にするな」と書かれているが、なぜそれが一緒にされているのか、つまりなぜ共に行動するに至ったのか、歴史的経緯もまったく知らないのであろう。そうした事情は、完全に無視である。なんとなく性的少数者同士が寄り集まっているだけだろう...という程度の認識であると推察される(付け加えておけば、「T=性同一性障害」という単純な記述も、正確には誤りである)。
 この意識、先程の「差別はやめて欲しい」という話と対立的だ。
「差別と区別は違うし、きちんと書き分けられている」かのように言う人がいるけれど、変ですね。
 差別と区別は切り分けるべきだと僕も思っているが、切り分けを間違えている人や、違うものだと言いつつ混同している人は多い。
 S田氏のように支離滅裂でアクロバティックな論を唱える人に、こうした区別が正しくできるとは到底思えない。文中で度々話のすり替えが行われているのだが、差別と区別の違いだけは別だなんて言えるだろうか。実際この方の思想は、差別と区別の混同が甚だしい。
 その極め付けは、「(Tは性同一性障害という障害であるのに対して)LGBは、性的嗜好の話です」という記述だろう。
 とんでもない大間違いですね。勘違いなどとも呼べない。セクシュアリティのことが、まったくわかっていないことを示す一言だ。嗜好ではなく、指向である。指向は、セクシュアリティに関係なく存在する(指向がないという指向もある)。
 この後に出てくる「なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう」という記述もまた、セクシュアリティについて無知であることを如実に表している。性が二つに収まるわけがないことは、もはや常識である。
 それに先立ち「(性表現が多様すぎて)もうわけが分かりません」とも述べているが、わけがわからないのはS田氏の頭の方である。LGBの性同一性障害者もいますが、さて?
 また、代表的な略称・総称のようなものとして「LGBT」という表現がなされるが、実際の意味は広く捉えられている。総称としての「LGBT」は、それが指す直接的なセクシュアリティだけを示すものではない。4つの頭文字では表現し得ないセクシュアリティも、そこに含まれている。

 書いていることのほとんどは今までの繰り返しになってしまうが、仕方がないかな。

 今回はここまでといたします。

煙に巻くにも隠せぬ地

 いつぞや、シガーさんに関する規制云々について書いた。

 その関連で、先日、某議員が暴言と言われてしかるべきヤジを飛ばしてましたね。
 この個人の資質だのなんだのとか、関係する業者だとかは、ここではどうでもいい。ついでに言えば、某飲食店のことは、この個人とは切り離すべきだと思うけどね。そっちの話の多くは他社・他業者にも言えることなので的確とは言いがたいし、これをきっかけに標的としたり巻き込んだりすることには疑問を感じる。

 で、ヤジそのものも首をかしげるものだが、その「釈明」がまたおもしろい。おもしろいと言っても、褒めているわけではない。「言い訳」にもならない「言い訳」すぎて、すばらしくておもしろすぎる。

 なにがおもしろいって、

「まずは参考人の方はもとより、ご関係の皆様に不快な思いを与えたとすれば、心からの反省と共に深くお詫び申し上げる次第でございます。もちろん、参考人のご発言を妨害するような意図は全くなく、喫煙者を必要以上に差別すべきではないという想いで呟いたものです。とはいえ、今後、十分に注意して参りたいと存じます。この度は誠に申し訳ありませんでした」


 とな。

 なんだ、これは。ぜんぜん反省してないよね。しかも、言い訳にもならない言い訳のオンパレード。
 それなりの大きな責任を負う立場の人たちが度々使う「〜したとすれば...」という、まさに「ボク悪くないもん」という主張が見え隠れする、反省の色がまったく見えない言い回しは横に置いておくとして。

 シガーさんを愛する心無い人たちの代表のような言葉ですね。まぁ「代表」だから、まさにそのまま「代表」なのか...。

 煙を撒き散らすことへの無自覚さ。
 シガーさんを愛することで、虐げられている人たちが大勢いる...という事実を、まったく顧みることもない。さすが、無自覚なだけありますね。まったく意に介さない。

 ちなみに、その後送付された「詫び状」なるものもまた、おもしろすぎる。
 ここでは割愛して、終了といたします。

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